見出し画像

運命のパンには出会えなかった 〜私が復職した理由

パワハラにあって休職していた時、図書館でライフスタイル系雑誌を読みあさっていた。『暮らしの手帖』とか『天然生活』とかリニューアル前の『クウネル』とか。巷には「心が疲れて休んだ時に運命のパンに巡り合えてパン屋さんで修行」、「故郷に帰ったときにお花に癒されて花屋さんに」、「満員の通勤電車に疑問を感じiターン。収入は減ったけれど心の豊かさアップ」といったストーリーがあふれていた。私も何かに出会わないかなと期待していた。

主治医からは「好きなことをしたり好きなものを食べたりしてよく休むように」と言われていた。だから映画館や美術館に行ったり、カフェや本屋を訪れたり、和菓子の食べ歩きをしてみた。鍼や整体、日帰りスパにも行った。

それらはとても楽しかったけれど、自分の運命をゆだねたくなるような出会いはなかった。パワハラ上司の元に戻るのはいやだけど、それ以上に魅力的な選択肢がいつまでたっても現れない。そもそも、そんな大きな方向転換をはかれるとしたら、それはもはやうつ状態を脱しつつあると今となっては思うけど。

私の会社ではパワハラで休職した場合、元の部署に復職するのがルールだった。それはあまりにもハードルが高すぎて早々に退職したかったけれど、主治医の引き留めでずるずる休職期間が延びていった。多くのリワーク仲間が復職するのを見送った。大抵の人は部署異動をしてもらえて、私はとてもうらやましかった。

でも、超優良上場企業でばりばりと働いていた20代男性が「これからは仕事上の成果は考えず、生活最優先でやっていきます」と言って早々に復職していったとき、「あれ、それ本心かな?」と引っかかったのを今でも思い出す。一緒にリワークをやる中で知った彼のキャラクターとのギャップが大きかったからだ。本当はまだやりがいのある仕事をやりたかったんじゃないかな?一度休職したらスローライフを送らなきゃいけないなんてルールはないのに。

彼の本心はわからないけれど、少なくとも私の本心はわかった。やりがいのある仕事に未練があるのだ。でもパワハラ上司の元に戻るのは怖すぎる。だいたい私は部長と課長の二人からステレオパワハラにあっていたのだ、そんなに簡単に復職できない。

腹を決めかねている私に主治医は「非がないあなたの方が退職するなんて理不尽すぎる。他の人がパワハラにあっても被害者の方が辞めなきゃいけないわけ?あなたが辞めてしまったら他のパワハラ被害を受けている人はどうなるの?やっぱり辞めなきゃいけないの?」と投げかけた。

聞きようによってはずいぶんなプレッシャーだ。でも私はそういう使命感を示されると発奮してしまうタイプだった。主治医は私の性格をよくわかった上でそう言ったのだろう。「パワハラを受けても復職する道をつけたい、後に続く人のためにも」、私はちょっとずつ腹を括っていった。

内服、禁酒、リワーク、認知行動療法、カウンセリング、通勤訓練、マインドフルネス、ストレッチ・・・それでも中途覚醒は1年以上続いた。ふとしたときに課長の姿がちらついてしまう。最終的にはEMDRをやった。連日悪夢を見た挙句に生まれて初めてインフルエンザになった。痛みと高熱で数日苦しんだ後、ふっと体が軽くなって眠れる日が来た。

そろそろ会社に戻ろうかな。もう治療はやりつくしたし、トラウマ療法だと思ってためしに戻ってみよう。ようやくそう思えるようになった。1年3カ月が経っていた。

復職前に人事面談があった。「やれることはすべてやり切りました」と言ったら、「そんなことを言って復職した人は今までいなかったですよ」と人事担当者に驚かれた。その彼はもうこの会社にいない。というか二人のパワハラ上司もいない。産業医も法務担当者もコンプライアンス担当者もいない。数年のうちにみんな辞めてしまって、結局私一人が残ったのだ。

運命のパンには出会えなかった。でもたぶん、挫折しても立ち上がってどこまでいけるか見てみたい、というのが私にとってのパンだったのだ。まるで映えない生活で、雑誌の記事にはなり得ないのだけど。

#うつ #休職 #復職 #パワハラ #ビジネス

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?