綸(ito)

色々書いてます。

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マガジン

  • 「神戸」

    生まれ育った街のことを書いています。

  • 平凡にして非凡な日常

    日常のあれやこれやをつぶやいてます

  • こうして社会人が30歳で看護師になりました

    社会人が看護学校に入学し、看護師になるまでのあれやこれやを書いています。日々のことや勉強、お金のことなど社会人で学び直したいと思う方の参考になればと思います。

記事一覧

あるワンコの投稿を毎日観ている。滅茶苦茶に可愛いし、投稿者の愛情に溢れた文面が好きなんだが、同時に胸を締め付ける感覚がある。
で気付いた。私は家族が欲しいんだなと。血縁とか言う摩訶不思議な繋がりとかとは関係ない温かい「家族」が欲しかったんだな。安全基地が欲しかったんだ。

綸(ito)
10日前
1

「神戸」 ②梅田のおっちゃんとそば飯

 小学生の頃、歩いて1分くらいのところに梅田さんと呼んでいたお好み焼き屋があった。看板もなく、板張りのかなり年季の入った小屋のような店で表にはアイスが入ったボッ…

綸(ito)
11日前
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「神戸」①私の生まれ育った街

 JR R駅、三宮駅まで数駅数分で行け大阪駅までは快速を使えば20分ほどで行ける。山と海が近くどちらも子供の足でも意外と簡単にたどり着ける。子供でも歩いてR山に登れる…

綸(ito)
2週間前
1

私的感覚だけど雨ってバリアなんですよね。雨のカーテンが自分を隠してくれる様な。普段泣きたくても泣けない人、辛くても辛いと言えない人が雨に紛れて気付かれずに吐き出せる。そんな感覚。雨は鬱陶しがられるけど、必要な人もいると思うんです、優しい雨を。

綸(ito)
1か月前
1

記憶って優しくて残酷ですね。温度、匂い、声。覚えている事で救われる事もある。でも時間と共に消えてしまうものもある。その喪失を味わう苦しさ。また失うのかと。私も沢山のものを失ってようやく気付きました。だからこそ失われるものを見送り、残ったものを両腕で抱えて、必死にもがき続けよう。

綸(ito)
1か月前

久しぶりに髪をセルフカットしました。YouTubeの美容師さんの動画を見ながら20センチカット、すっきり。キッチンクリップを使いましたがこれは神アイテムでセルフカット派の方に是非おススメしたい!本当に綺麗に切れるから!

綸(ito)
11か月前
1

自分に自信がない等の話になると当然のように自己肯定感という言葉を使うのはあまり好きじゃない。自分を好きにならなければならない、前向きじゃなきゃダメだみたいに聞こえて。今の自分を抑えつけて自分を変えろ、好きになれ!は暴力的すぎる。いつか歪みが再燃して苦しさを反芻するんじゃないかな?

綸(ito)
1年前

春に向けて薄手のショール編んでて気付いた。編み物って瞑想に似てる。肩は凝るけど、頭は軽くなる。余計なことを考えないのではなく、ひょっこり顔を出した記憶や感情にいちいち反応しない。ただただ糸を紡ぐ。確かにそこに癒しがある。(写真→作成中の)

綸(ito)
1年前
2

悪意の有無に関わらず、誰かのフィルターを通した情報で「あの人○○な人だよね」と勝手に設定してしまう事がある。それって自分も誰かのフィルターを通した情報で○○な人と設定されてしまう危険もはらんでる。そんなの嫌!なら、自分が勝手に設定した相手もきっと嫌だと思う想像力は持っていたい。

綸(ito)
1年前

社会は冷たい→社会の一員である私は誰かにとって私は冷たいかも
不愉快な行動だな→誰かにとって私の行動は不愉快かも
負の感情が失わせるのは客観視。おかしい事をおかしいと言うのを否定しているのではなく、否定と客観視はニコイチじゃないと本末転倒じゃない?と思うと言うことです。

綸(ito)
1年前

誰かが亡くなると死因は何?とかで騒ぐ人たちいるけど、あれ何?何でそんなに知りたいの?死因書かないのはおかしいとか言う人もいるけどおかしいポイントどこかね?言う必要も知る必要もなくない?自分の好奇心を満たしたいだけな気しかしない…ただ悼むことすら出来ない、他人事。そんなものか。

綸(ito)
1年前
1

雪の中歩いていると10m程先に黒猫がゴロンゴロンしていた。あらまぁと思いながらも戯れたい欲で驚かせないようゆっくり近づいた。モフりたい!3m程の距離で気が付いた…植木の黒いカバーじゃね?すぐ近くに確かに花屋がある。ついに目と脳がラリパッパになったのかと悲しくなった雪の日だった。

綸(ito)
1年前
1

最近裁縫やマクラメを改めて始めて気付いた。私は何かを作るのがめちゃ好き。好きがない!と思い込んでただけで実は好きやん!てあるあるよね。ただ好きな事で生きていける技術はないから、好きなことしながら生きていく。好きなことで生きていかなきゃって呪縛から脱したらきっともっと好きが溢れる。

綸(ito)
1年前
2

去年の平均歩数9991歩、何故か4、5月の1番良い気候の時期に歩数が少なく平均10000歩に届かず。7月は暑さに負けたのだろう…今年は平均10000歩オーバー目指します。膝がぶっ壊れないことを祈りながら…

綸(ito)
1年前
1

河川敷まで散歩に行くと澄んだ空気を切るように無数の凧が泳いでいました。天高く上がって見る模様と手元で見る模様。同じなのに何か違う。近づく程見えなくて、近づかないと分からなくて。離れる程見えなくて、離れないと分からなくて。何だか人との距離感も同じだなぁと思いました。距離感大事だな。

綸(ito)
1年前
2

あけましておめでとうございます❗️今年もぼちぼち書いていきます。ちなみに私は筋トレ始めとジャージのお繕いをした元日でした。いつもと変わらない日に感謝、いつもと変わらないことが出来る体と心に拍手を❗️

綸(ito)
1年前

あるワンコの投稿を毎日観ている。滅茶苦茶に可愛いし、投稿者の愛情に溢れた文面が好きなんだが、同時に胸を締め付ける感覚がある。
で気付いた。私は家族が欲しいんだなと。血縁とか言う摩訶不思議な繋がりとかとは関係ない温かい「家族」が欲しかったんだな。安全基地が欲しかったんだ。

「神戸」 ②梅田のおっちゃんとそば飯

「神戸」 ②梅田のおっちゃんとそば飯

 小学生の頃、歩いて1分くらいのところに梅田さんと呼んでいたお好み焼き屋があった。看板もなく、板張りのかなり年季の入った小屋のような店で表にはアイスが入ったボックス、入店してすぐ左脇には駄菓子の棚、真ん中に鉄板がある10畳ほどの小さな店だ。その店は持ち込みで白飯を持っていくとそば飯を作ってくれるため、時々土日の昼時になると祖母が鍋に白飯を入れて
「梅田さんとこ行って来て、そば2玉で頼んでや。」

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「神戸」①私の生まれ育った街

「神戸」①私の生まれ育った街

 JR R駅、三宮駅まで数駅数分で行け大阪駅までは快速を使えば20分ほどで行ける。山と海が近くどちらも子供の足でも意外と簡単にたどり着ける。子供でも歩いてR山に登れるこの地形のせいで小学生の頃は毎年3回山登りが行われた。高学年になる頃には道順を完全に覚えており「うわぁ、まだまだあるやん。ここ頂上に見せかけてちゃうねんよなぁ。だましよな、これ。」などと友達とぼやきながら登っていた。山登りは嫌いではな

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私的感覚だけど雨ってバリアなんですよね。雨のカーテンが自分を隠してくれる様な。普段泣きたくても泣けない人、辛くても辛いと言えない人が雨に紛れて気付かれずに吐き出せる。そんな感覚。雨は鬱陶しがられるけど、必要な人もいると思うんです、優しい雨を。

記憶って優しくて残酷ですね。温度、匂い、声。覚えている事で救われる事もある。でも時間と共に消えてしまうものもある。その喪失を味わう苦しさ。また失うのかと。私も沢山のものを失ってようやく気付きました。だからこそ失われるものを見送り、残ったものを両腕で抱えて、必死にもがき続けよう。

久しぶりに髪をセルフカットしました。YouTubeの美容師さんの動画を見ながら20センチカット、すっきり。キッチンクリップを使いましたがこれは神アイテムでセルフカット派の方に是非おススメしたい!本当に綺麗に切れるから!

自分に自信がない等の話になると当然のように自己肯定感という言葉を使うのはあまり好きじゃない。自分を好きにならなければならない、前向きじゃなきゃダメだみたいに聞こえて。今の自分を抑えつけて自分を変えろ、好きになれ!は暴力的すぎる。いつか歪みが再燃して苦しさを反芻するんじゃないかな?

春に向けて薄手のショール編んでて気付いた。編み物って瞑想に似てる。肩は凝るけど、頭は軽くなる。余計なことを考えないのではなく、ひょっこり顔を出した記憶や感情にいちいち反応しない。ただただ糸を紡ぐ。確かにそこに癒しがある。(写真→作成中の)

悪意の有無に関わらず、誰かのフィルターを通した情報で「あの人○○な人だよね」と勝手に設定してしまう事がある。それって自分も誰かのフィルターを通した情報で○○な人と設定されてしまう危険もはらんでる。そんなの嫌!なら、自分が勝手に設定した相手もきっと嫌だと思う想像力は持っていたい。

社会は冷たい→社会の一員である私は誰かにとって私は冷たいかも
不愉快な行動だな→誰かにとって私の行動は不愉快かも
負の感情が失わせるのは客観視。おかしい事をおかしいと言うのを否定しているのではなく、否定と客観視はニコイチじゃないと本末転倒じゃない?と思うと言うことです。

誰かが亡くなると死因は何?とかで騒ぐ人たちいるけど、あれ何?何でそんなに知りたいの?死因書かないのはおかしいとか言う人もいるけどおかしいポイントどこかね?言う必要も知る必要もなくない?自分の好奇心を満たしたいだけな気しかしない…ただ悼むことすら出来ない、他人事。そんなものか。

雪の中歩いていると10m程先に黒猫がゴロンゴロンしていた。あらまぁと思いながらも戯れたい欲で驚かせないようゆっくり近づいた。モフりたい!3m程の距離で気が付いた…植木の黒いカバーじゃね?すぐ近くに確かに花屋がある。ついに目と脳がラリパッパになったのかと悲しくなった雪の日だった。

最近裁縫やマクラメを改めて始めて気付いた。私は何かを作るのがめちゃ好き。好きがない!と思い込んでただけで実は好きやん!てあるあるよね。ただ好きな事で生きていける技術はないから、好きなことしながら生きていく。好きなことで生きていかなきゃって呪縛から脱したらきっともっと好きが溢れる。

去年の平均歩数9991歩、何故か4、5月の1番良い気候の時期に歩数が少なく平均10000歩に届かず。7月は暑さに負けたのだろう…今年は平均10000歩オーバー目指します。膝がぶっ壊れないことを祈りながら…

河川敷まで散歩に行くと澄んだ空気を切るように無数の凧が泳いでいました。天高く上がって見る模様と手元で見る模様。同じなのに何か違う。近づく程見えなくて、近づかないと分からなくて。離れる程見えなくて、離れないと分からなくて。何だか人との距離感も同じだなぁと思いました。距離感大事だな。

あけましておめでとうございます❗️今年もぼちぼち書いていきます。ちなみに私は筋トレ始めとジャージのお繕いをした元日でした。いつもと変わらない日に感謝、いつもと変わらないことが出来る体と心に拍手を❗️