日記「ドラッグストアで彷徨う人々」

 銀行に行くついでに、その向かいにあるドラッグストアに立ち寄った。
 下町の色を濃く残した大阪の中心地から少しはずれた町の大通りに面した店舗。近くには駅を中心に広がる、まだ現役の商店街が賑やかである。
 少し路地を入れば、背丈の低い玄関や板貼りの壁の昔ながらの民家が立ち並んでいる。中には明らかに空き家で外壁もボロボロ、何故か玄関前にテレビの液晶や何かの部品のような物が投棄されている。
 あぁこの家は家主を失い、時が止まったまま自分が朽ちゆくことも気付かずに、ただそこにあるのかもなぁ。朽ちゆくことも自分じゃどうしようもないことだしなぁ。
 そんなことを考えながら散歩をしてドラッグストアに入った。
 あまり来ない店舗だが、欲しいものを探すのはさほど難しくない。
 この辺にありそうだなと何となく見つけられる。
 歯磨き粉、洗顔、洗濯用洗剤。本日の目的の品たち。それらをカゴに入れ、他の商品も見ていたらあることに気付いた。
 店内にいる高齢者の多くが欲しい商品を探して右往左往していることだ。
 商品が豊富にあり、所狭しと陳列されていて、狭い通路が迷路のようになっている店内。棚も高く、上の方までびっしりと商品がある。
 BGMもやたらアップテンポで騒がしい。
 視覚、聴覚から情報が多すぎて、私もたまに情報酔いしそうになる。
 背が低かったり、背中が曲がっていたり、視力が落ちている人からすれば探すのにも物を取るのにも苦労するだろう。
 忙しなく働くスタッフもどことなく面倒くさそうに早口で対応していて、多分そんな早口だと伝わりにくいから余計時間かかるんだよねと思った。
 古い街並み残る場所にはその街と共に生きて来た高齢者が多く残る。多分都会のど真ん中と比べたらその比率は高いと思う。
 でも街も古いままではいられない。街が死んでしまわないように利便性や人の流れを作り出す為にどんどん変わっていく。
 その変化の中で若い人が感じない不便さを感じている人がいるかも知れない。
 少しだけその人たちの背景に心を寄せることが出来たら、みんなにとって豊かで便利で優しい街になるのではないか?と思う。

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