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#3 わたしがチームを作ったわけ

こんばんは。吉田ちひろです。

今回は、「つなぐ、おくる」プロジェクトが生まれた経緯についてお話しようと思います。

前回の記事を読んでいない方は、こちらから読んでいただけると幸いです。

このプロジェクトが生まれた経緯

このプロジェクトは、コロナ禍で、やりたいことができなくなり、自分自身が立ち止まってしまったことをきっかけに生まれました。

今思えば、コロナがなかったら生まれてなかったと思います。

いくつかの項目に分けて想いをつづっていこうと思います。

コロナ禍の悩み

コロナ禍で、「挑戦」することや「継続」することが難しくなり、色々諦めかけていました。料理教室を開催したくても、もし自分が開催した場所で感染者が多発したら、クラスターになったらどうしよう。責任は取れないなと思い、開催することができませんでした。

中には、もし感染者がでてもしょうがないんじゃない?と意見をくださる方もいましたが、開催しなければクラスター/感染者が発生しないので、自分が開催した料理教室で感染者が出ても「しょうがない」と考えることはできませんでした。

いつコロナが落ち着くのかわからない状況が続く中で、「このままでいっか」「楽に生きよう」と徐々に思うようになっていき、「諦める」という選択肢はすぐそこにある状態でした。

ただ、諦めるという選択肢を取ったらどうなるかと考えたときに、「これまでやってきたことは無駄だったのか」という感情が生まれました。なんのためにいろいろ頑張ったのか、なんのために東京にいるのか、人生とは何か…と悩み、沼にハマってしまいました。(今回に限ったことではなく、悩んだ時に必ず陥る沼…負のループです…)

これまで自分が選んできた人生は、仕事は、やってきたことは意味があったのかと自問自答を繰り返す日々。周りの人に色々できて凄いね、東京で頑張ってて凄いねと言われても、一つのことをやってきたわけではない自分は「中途半端」の一言に尽きました。

今までできていたことができなくなった。仕方ないと諦めるのか、コロナが落ち着くまで待つのか、それともできることを探すのか、たくさん迷いました。

そして、自分はどう生きていきたいか、もっと先の未来でどんな大人になっていたいか、どんな存在になっていたいかと考える時間を増やし、とにかく自分と向き合ってみました。

コロナ禍の過ごし方

将来のことを考えるのと同時に、コロナ禍で増えた「自由な時間」を有効に使ってみました。東京に来てからを振り返ってみると、「何でもない日を充実させる」ことはあまりなかったことに気づきます。

「何かやらなきゃ」と常に考えてしまって、何もない日常をうまく楽しめず、何もない日・何もやらなかった日には、ひたすら罪悪感を感じていることが多かったです。

ゆっくり家でご飯を食べたり、たくさん寝たり、いろんな映像作品を見たり、音楽を聴いたり、本を読んだり、植物を育ててみたり、アート作品を観に行ったり、ちょっといい服を買ってみたりしました。

なんでもない日常を楽しむ、とても充実した時間でした。

幸いなことに、私の現在の仕事はコロナウイルスの流行によって大きな影響を受ける業界ではなかったため、仕事がなくなったり、給与が減ったり、大きな負担を強いられたりすることはなく、行動に制限があること以外は普通の日常を送ることができていました。

普通の日常が送れて、仕事もあって、好きなものが買え、自由があること。とても恵まれていることに気づかされました。

良いものに出会ったら

家にいる時間を楽しんでいる時、素敵なモノにたくさん出会いました。

世の中には自分が知らないだけで、素敵なモノ・コトはまだまだたくさんあって、創り出してくれる人がたくさんいる。たくさんの素敵なモノに出会えたことで、感謝する気持ちが自然と湧いてきました。一生懸命作られたもの、本当に価値のあるもの、想いの込められたものが広がっていく世の中であってほしいとも思うようになりました。

また、楽しませてもらったり、受け取るばかりでなく、自分も何かを提供・届ける側でありたい、形に残したいと改めて思うようになりました。

そして、数々の良いものを発掘できた中でも、特別に良かったものが一つありました。

いままでの悩みが解決するヒントがたくさんつまっていて、私にとっては迷路の出口を発見したような感覚でした。

不完全である自分を受け入れ、不完全だからこそ完成させる楽しみがあるということに気づけたのです。

もちろん若いうちからすごい人は世の中にたくさんいます。私よりも相当努力している、行動してチャンスを掴んでいる、あるいは生まれ持った才能を持っているなど様々なことが考えられますが、いずれにしてもその人たちと自分を比べること自体が間違っていると思いました。

社会人になってたった6年。できないことがまだまだあって当たり前、認めてくれなくて当たり前、今の未熟な自分を受け入れ、次に進む、進み続けるしかないと決意させてくれました。

今はいろんなことに挑戦して、自分が40・50歳になった時にどういう人間になっていたいかを考えようと自然と思うようになり、そう思うことで今何をしたら良いかが見えてきました。

形に残して届ける

出てきた答えは、「形に残るものを作っていく」でした。どんな形に残すのが良いのかはこの時点では漠然としていました。ただ、今よりもずっと大人になったときに、私は「こういうものを創ってきました」「こんなことができます」と胸を張って言いたいと思ったのです。

そして何か形に残るものを「完成」させるには、自分一人の力では不可能だと気づき、仲間が欲しいなと思うようになりました。仲間がいれば作り上げる工程も楽しいし、喜びも共有できる、人生そのものが豊かになる、、そんな気がしたのです。

自分が40・50歳になったとき、より多くのものを届けられる人間になっていたい、そのための第一歩が「つなぐ、おくる」プロジェクトです。

やりたいことは思いついた。チームもできた。あとは進むだけ。まだ未完成だけど、今はそれで良いと思っている。これからみんなで作っていって、作る側も受け取る側も、みんながより良い人生を過ごせて行けたらいいなと思っている。

p.s. 私の生活

友達のために作るお弁当
植物のある生活
シェアハウスの仲間と作る自家製丸パン
時間があるときのおうちご飯
カメラをもっていく散歩

なんでもない日を楽しもう。


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