不便は決して不幸ではない 2


補聴器をつけて、近くで話すと会話はできる。でも補聴器を付けないと呼んでも返事が返ってこない。

私は、そんなおじいちゃんが大好きだ。

父親を知らずに生きてきた私にとって1番近くにいる異性だった。おじいちゃんはよくタンスの中に小銭を隠していて、おばあちゃんに見つからないように、お金(100円や200円)を私にくれた。これで2人分のアイスを買ってきてと。そして、お釣りを渡すとこれはアイスを買ってきてくれたお礼だといっていつも私にくれた。

補聴器がないと耳が聞こえないおじいちゃんを見ていると、子供ながらに私はおじいちゃんのことを不便だなーと思うこともあった。

しかし、今の私の生活はまるでおじいちゃんだ。

なぜなら、頭の中のスイッチ(補聴器)を切っていると、人の会話が聞こえてこない。日本語なら、テレビや電車の中の会話は、勝手に頭の中に入ってくるのに、英語ならスイッチをオン(聞こうと意識)しないと英語が頭の中に入ってこない。もし、スイッチをオフにしていると、英語は私にとって雑音でしかない。最近はこのスイッチの性能が悪くなってきて、通りすがりの人の会話が少し理解できるようになってきた。これはいいことなのか悪いことなのか私にもわからない。

そして、日本から来た人にこんな質問をされたことがある。

オーストラリアに住んでいいことは何ですか?

私は英語がすべて理解できないところです。と答えた。

もし、英語が日本語のようにすべてを理解したらきっと私の人生はもっと便利になるだろう。しかし、それによって私は、嫌なことも、悪いこともすべて受け入れなくてはならない。

それでは、オーストラリアに住んでいる意味がなくなる。

おじいちゃんは不便だっただろう。しかし、おばあちゃんから、嫌みや愚痴を言われても補聴器の電源をオフにしていまえば何も聞こえない。聞こえなかったらケンカにもならないし、嫌な思いもしなくていい。そんなおじいちゃんは不便だったが不幸ではなかったと思う。今は、認知症を発症して老人ホームで生活をしている。私のことも忘れている。だけど、子供4人いて、孫が8人、玄孫が6人いる。そして、日本に帰ったとき毎回会いに行っている。私の子供3人もおじいちゃんに抱っこしてもらった。おじいちゃんは今補聴器なしで生活をしている。一切の音がない無音の世界で生きている。私は無音の世界で生きるおじいちゃんの気持ちはわからないが、年に一回私たちが会いに行くことによって、無音の世界から少しだけ違った日常をプレゼントしたい。今年は無理かもしれないが、来年は会えるといいな。

私は田舎の不便な場所に住んでいた。

バスは2時間に1本。電車はない。コンビニは歩いていけない。

しかし、今思えば自然いっぱいの素敵な場所。こんなところで子供を育てると、生き抜く力最大レベルに育つような気がする。山に海に川に遊び相手は常に自然。そんな素敵な場所で育った私はとても幸せだった。

そして、都会に出た。

何でもそろっていた。何でも売っていた。何でもあった。便利だった。私の知らない世界、とてもキラキラしていて楽しかった。色んな人にも出会えて私にとって、とても幸せな時間を過ごすことができた。都会に出てきてよかった。そう思った。しかし、私はこの都会に飲み込まれていった。

仕事しかしていなかったため、友達の作り方も忘れた。

人と話すときは、常に接客。自分の話よりも人の話を聞く方が多かったし、仕事つかれたーや辞めたいなど、ネガティブなワードは使ってはいけないような気がした。常に、美容が大好きで、人が大好きで、夢に向かった生きている自分を演じなければならなかった。見えない敵に負けないように、心に鎧をつけて戦っていた。この街に負けないように、自分に負けないように立ち止まらず、ただひたすら、前を向いて、前を向こうとして…

しかし、作られた自分でいるほど、私は強くなかった。

それから、私はオーストラリアで本当の自分を探す旅に出かけた。

便利な生活に慣れてしまった私。オーストラリアの生活は不便だったが、その不便さが私の心の鎧を溶かしていった。

なんでも手に入る世界から、あるもので何とかする!!自分でなんとかする!!

そんな真逆の世界に来てしまった。

そんな国で私は13年目を迎えた。今では大抵のことは自分でなんとかする力を身に着けた。

世界は便利なもので溢れている。

勝手に掃除機掛けをしてくれるお掃除ロボ。IOTの家電、クリック一つで配達してくれる宅配サービス。

子育て中のお母さん、仕事をしているお母さん。自分の時間を作るために、どんどん使ってください。

便利なものに頼ろう!

しかし、私は便利なものがもたらしてくれる自由な時間の使い方を知らなかった。

ずっと美容師で生きてきて、趣味なんてなかった。

仕事が趣味。そういえばかっこいいと思ってた。趣味を堪能する時間がなかったからだ。

今は時間がある。有り余るほど。

しかし、私は趣味を見つけられずにいる。

そんな私がこれ趣味かもって思うのが、これ。noteだ。

今は、noteを更新するのが楽しみだし、投資の勉強、塗り絵。

これが私の趣味だ。

オーストラリアには便利グッズは売られていない。

お惣菜の唐揚げは売られていない。売られているのは鳥の丸焼きだ。


私は、自由な時間の使い方を知らない。

だから、私は、少しくらい不便な生活の方が幸せだと気づいた。

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どんな場所で暮らそうと、不便か便利かは問題ではない。人はどこでも生きていけるプログラムを持って生まれている。そして、住む場所も自分で決めれる。幸せも自分で決めることができる。

おまけ

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オーストラリアでは生まれた次の日に聴力検査をします。この線を繋いで、耳が聞こえるかどうかすぐに判断できます。




私の海外育児生活や今までの人生、家族、趣味について(すべて事実)をnoteに全部書いています。そして、少しでも私の記事がお役に立つことを願っています。サポートしていただいたお金は、母に軽自動車を買う費用にあてたいと思っていますのでよろしくお願いします。私に親孝行させてください。