マガジンのカバー画像

父親が「ヤコブ病」と診断された

68
運営しているクリエイター

#闘病

私の隣で 眠るように

12月24日 パパが天国へ行く。56歳だった。

午前2時まで父の隣で起きていたが、呼吸が落ち着き安定したため、安心して隣で寝ることにした。

午前3時30分ごろ目覚めた。寝息が聞こえないので心配になり、顔をのぞいた。呼吸をしていなかった。父は、静かに息を引き取っていた。

最期の時、隣にいることができたが、その瞬間を確認することはできなかった。父は、きっと私が眠ったのを確認して、安心して自分も眠

もっとみる
神経病院という場所

神経病院という場所

11月13日 神経病院の見学に行く。

近くの精神神経病院に転院するという選択肢も、まだ残っていた。病院のようすを見に行ってから、施設が病院かで行き先を決める。

父親のような重篤な神経病の人が入院する「特殊疾患病棟」に案内され、病院の中を歩く。呼吸器のシューシューという音は、このフロアの6割を占めるALS患者たちのものだ。痰吸引のジューッという音も、ひっきりなしに鳴っている。48床中、車いすで歩

もっとみる

変わり果てた父親

11月10日 症状が一気に進行し、かつての父親の面影がなくなる。

父親は経口摂取ができなくなったので、処方箋が書き換えられた。経口摂取用の錠剤しかないリボトリールという薬がストップされた。脳の興奮状態をおさめ痙攣を止める薬だ。

父親は朝から何かにずっと怯えていて、左上方向をしきりに気にしていた。何もない空間を見て怖がり、「ア...ア...」とずっと声を漏らしていた。眠ったかと思いベッドを覗くと

もっとみる

施設の見学を経て現実を知る

11月9日 ホスピスとしても利用できる施設の見学へ行く

プリオン病のような特殊な感染症は、受け入れてくれる施設が限られてくる。そして、受け入れ態勢を整えるために準備期間も必要だ。来週火曜日にまず在宅看護かそれ以外かを決定して、主治医に伝えなければならない。在宅の場合は、点滴などの医療行為を自宅でやろうとしているのだから、当然感染のリスクを伴う。

施設は、自宅から車で30分ほどの場所にあった。区

もっとみる

人の命を延ばし、断つことは残酷か

11月5日 延命のための入院を決意する。

朝、父親はいままでにないほどしっかりと意識があった。私の方を向いて、名前を何度も呼んだ。発音はできないが、音はそう言っていた。私は、「自然のままにしていたらもって2週間」という話がずっと引っかかっていた。意識があるのに父親がこのまま死んでしまうことが、急に怖くなった。私たちの判断は間違っていたのでは?と。

このまま「自然のままに」自宅で看ていては、意識

もっとみる

無呼吸の罠

11月4日 「中枢性無呼吸」というヤコブ病の罠を知る。

ミオクローヌスや失行失語など、まだ本人が動ける時期の症状については、素人なりに勉強してきた。治療はなくとも、接し方や対症療法を打診することはでき、できる限りのことをできたとは思っている。

私たちには、末期症状の知識が抜けていた。父親は、いつのまにか、あっという間に末期段階に来ていた。

今一番苦しんでいるのは中枢性無呼吸だ。脳幹という呼吸

もっとみる
祖父と父親の話

祖父と父親の話

10月31日 家族と祖父が父親のことで衝突する。

昨日の夜、浣腸をし腹痛が治ったのと、眠剤が効いたおかげで、父親はぐっすり眠ることができた。食事も充分に摂り、いつもより意識して水分を飲ませたおかげでトイレに行った際にきちんと尿が出ていた。おもしろいことがあれば笑うし、表情も和やかで、こんなに意識がはっきりしている父親を見るのは久しぶりだった。

父親は御朱印集めを趣味の一つにしていた。今日は、一

もっとみる
意識と無意識

意識と無意識

10月29日 父親の親友たちが見舞いに来る。

父親は最近、意識と無意識を短時間で行ったり来たりするようになった。いつも全身は不随運動に苦しんでいるが、それでも意識があるときは笑ったり、返事をしたりする。逆に無意識のときは目を見開いてまばたきもせず、口は尖ったり開いたままになったりして、体は右側に倒れている。残念なのは、意識がある状態は5秒続くか続かないかで、ほとんどは無意識の状態でいること。無意

もっとみる
父親がみんなの前で泣いた日

父親がみんなの前で泣いた日

10月27日 父親が家族の前で泣く。

あんなに泣いた父親を、初めて見た。

最近、父親はほとんどぼーっと過ごすことが多く、呼びかけにも答えなくなってきて、目が開いたまま意識がなくなりそのまま眠ることも多くなっていた。日常の動作は介助なしでは出来なくなっていた。介助といっても、父親が自分で行動するのをサポートしているのではない。父親の体を借りて実際には私がやっているようなものだった。

例えばトイ

もっとみる
伯母の存在について

伯母の存在について

10月26日 父親の友人たちが会いに来る。また、伯母の言葉に救われる。

今日は11時から理学療法士による派遣マッサージを予定していた。父親がなかなか朝食を食べ終わらず11時半からマッサージがスタートした。施術中、父親はとても気持ちよさそうにしていて、笑顔のまま眠ってしまうほどだった。私が遠くから親指を立てて首を傾げ、「良い感じ?」のサインを送ると、うんうんと頷いて答えていた。施術後は今まで不随運

もっとみる

「介護拒否」という壁

10月25日 介護拒否が顕著になる。

介護拒否とは、読んで字のごとく介護を拒否することだ。プライドが高かった人や、情けない、迷惑を掛けたくないと思っている人によくあるという。残念ながら父親にはすべてがあてはまっていて、先日より介護拒否が度々見られたのだが、今日は特別顕著だった。

特に食事の際は「赤ちゃんじゃない」「自分でできる」「全部食べられる」などしゃべることがあり、介護を拒否したいという何

もっとみる

同じ土台にいる祖父母の存在

10月24日 叔母のことについて伯母に話す。

父親は夜、やはり眠れなかったようで、何回か飛び起きていた。朝方になってやっと落ち着いて眠りにつき、昼頃まで私は同じ部屋で寝ていた。

父親の妹(叔母)は、前にも書いたがヒステリックな性格をしている。家事をやってくれるし、介護の経験もあるので助かっている部分も多い。だが、「~してあげる」という介護へのスタンスや、自分を心配してほしいことが分かるような言

もっとみる
はじめて聞いた言葉

はじめて聞いた言葉

10月23日 父親と本当の親子になる。

最近父親は、おそらく「夜間せん妄」という症状にうなされて、よく眠れていない。せん妄とは、認知症の方に多く見られる、幻覚、幻聴、妄想が一時的に起こり、混乱する状態のことだ。奇声とともに飛び起きたり、いきなり立ち上がろうとすることもあって危険なので、隣で寝ている私も異変を感じたらすぐに起きて、寄り添って安心させることが大切だ。どうやらレム睡眠(あまり深くない眠

もっとみる
認知症の急速な進行

認知症の急速な進行

10月21日 「近いうち限界がくるかも」と感じる。

今日の午前中の父親のようすは話しかければ反応があるし、トイレに自分から行きたいと言ったりと、割かし調子が良かった。

今後お世話になる訪問看護師の方が家にきてバリアフリーの状況を確認したりして、時刻は昼を回った。

私は風呂の大掃除をしたり、洗濯物をたたんだり、インフルエンザの予防接種に行ったりして、夕方まで忙しくしていた。その間父親は目を開け

もっとみる