変わり果てた父親

11月10日 症状が一気に進行し、かつての父親の面影がなくなる。

父親は経口摂取ができなくなったので、処方箋が書き換えられた。経口摂取用の錠剤しかないリボトリールという薬がストップされた。脳の興奮状態をおさめ痙攣を止める薬だ。

父親は朝から何かにずっと怯えていて、左上方向をしきりに気にしていた。何もない空間を見て怖がり、「ア...ア...」とずっと声を漏らしていた。眠ったかと思いベッドを覗くと、少しの音や人の影で起きて怖がり、後ずさった。昨日まで1日のうち15分ぐらいは以前の父親のように意思の疎通ができ、柔らかい笑顔を見せていたが、それもなくなった。

昼に、決定的な出来事が起きた。シーツを替える際に、今までにないほど叫び、大暴れしたのだ。その時は祖母と伯母が2人で病室にいて、何気なしに看護師がシーツを変えようとした途端、飛び上がり「アー!オー!」と叫び、嫌がったという。82歳の祖母も、必死で暴れる父親を抑えた。その姿を見て、自宅で看護したいと希望していた祖母も、現実を知ったようだった。

以前の父親は、祖父と祖母に介助されることを申し訳ないと思っていた。夜、飛び起きて転倒してしまい、二人に介助された際には、もう喋ることはできないと思っていたのに「大丈夫だから」と泣きながら介助を拒んだ。

そんなことがあったので祖母は余計ショックだった。今日の父親は、自分を抑えているのが祖母だとわからず、大きく暴れて抵抗し、傷つける勢いだった。祖母は、あの暴れようでは施設でも取ってくれないのでは、と心配していた。

痙攣止めの錠剤を飲んでいたために、今までは安静に暮らせていた節もある。その痙攣止めが飲めなくなったとき、今の父親の本当の状態が見えてきた。私が思っていた以上に、父親には体力も筋力もあったのだ。そして、意識だけがものすごいスピードで抜け落ちていく。

父親は私の顔を、私の声を、もう忘れているだろうか。いくら声をかけても、もう笑ってくれなくなった。明日、施設の方が父親の状態の視察に来る。施設の人は、なんと言うだろうか。ダメだった場合、父親は精神神経病院に転院することになるだろう。環境の良い介護施設に父親を入れることにすら抵抗を感じた家族は、その結果に耐えられるのだろうか。

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