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美食の街リヨン【後編】

リヨンが美食の街である本質的な意味を紐解いていくには、ある人物の存在を知る必要がある。

何故ならばその人物こそが

「リヨンはガストロノミーにおいて世界の首都だ」
っと言った人物であるからだ。

この言葉の根本を理解するとリヨンのみならず世界中に点在する美食の街、しいては美食が私達に教えてくれる本当の役割を知ることができる。

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彼の名前はキュルノンスキー(Curnonsky 1872-1956 ) 

キュルノンスキーとは当時の彼のペンネーム。料理研究家の彼の本名は
モーリス・エドモン・サイヤン (Maurice Edmond Sailland )という。

彼はフランス郷土料理の素晴らしさを伝えた最初の料理研究家と言われ、数ある彼が残した著書の中でも、フランス国内で埋もれている各地の料理やお菓子を『美食の国・フランス』という本にまとめパリで紹介している。

ミシュランガイドの初代責任者も務め、1927年に食の専門家たちによる投票で名誉ある『美食の王』にも選ばれた人物である。

現在の食に関するガイドブックはこのキュルノンスキーによって確立されたと言っても過言ではないそうだ。

彼は『美食の国・フランス』の中で、フランス料理を4つのカテゴリーに分類している。

①高級料理
(宮廷料理に起源を持つ伝統的な高級料理のことを指す。複雑な味付けと手の込んだ飾り付けが特徴で、今日では主にレストランやホテルなどのコース料理として提供される)

②ブルジョワ家庭料理

(料理人が仕えているフランス中流家庭に特徴的な、高級料理ほどは洗練されていないが上質なフランス料理)

③地方料理
(フランス料理の原点とされる料理。一つの地方の食材と伝統的技術を用いて特別な席で作られる料理)

④農民料理
(自ら育てた野菜、卵、肉、獲った魚などで調理された料理)

これらの中でも美食は宮廷料理のようなものではなく、③の地方料理に根付く豊かな郷土料理に美食を見出し、その信念を生涯持ち続けフランス料理の地位向上に努めた功績が評価された。

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そんな彼が1934年のある日、リヨンを訪れたときのこと。
夕食をリヨン市内のレストランでリヨンの郷土料理食べた時のことである。彼はカワマスのクネル、ザリガニのグラタン、ローヌ河の川ハゼのの小魚のベニエなどの地元の料理を食べ終えて言いきった言葉。

「リヨンはガストロノミーにおいて世界の首都だ。フランスとナバラにあるレストランはほとんど全部行ったが、リヨンよりも堪能したところはなかった」

この言葉こそがリヨンが美食の街と言われている所以なのだ。

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だがキュルノンスキーが発した言葉を表面的にとらえると、リヨンの料理こそが最も優れ、誰もがリヨン料理に魅了されると捉えることもできる。

ただここで知っておくべき事はそもそもガストロノミー(美食)とはどのような定義なのかという点。

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2010年にユネスコ無形文化遺産に登録されたフランスのガストロノミー。日本語で美食術と訳すことができる言葉。

しかし美食術は誤って理解さることが多く、食材をおいしく調理して食べることに限られ、その代表がフランス高級料理ではないだろうか。

実際に私自身、渡仏してからリヨン市内に住み始めた当初は良質な食材、高度な調理技術からなる料理、豪華絢爛な内装のレストランで食事をすることや、そういったレストランで働くことのみでしか、自分が探求する美食の本質にたどり着けないと思い込んでいた時期もあった。

しかしガストロノミーの本来の意味合いは

【食事をすることの喜びについて考える学問】

について示す言葉なのである。

フランスにおけるガストロノミーについて例えるとわかりやすいと思う。
フランスでは食事が出産・結婚・誕生日・成功・再会などの個人や集団の生活の最も大切な時を祝うための社会的習慣となっている

つまり特定の食事のことではなくより食事を美味しくする習慣のことなのだ

今でこそフランス人の食事も日本人のように、健康志向やより美味しいものにフォーカスされてきた印象を私は受けるが、それでも食の場面で最も優先されているのは

【親しい家族や仲間と喜びを共有する時間】

に強いこだわりを持っている印象を受ける。

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キュルノンスキーはリヨンで味わったカワマスのクネル、ザリガニのグラタン、ローヌ河の川ハゼのの小魚のベニエなど、料理の味のみに対して堪能できたと言ったわけではないと思う。リヨンの郷土料理を味わいながら、きっと気心知れた仲間と楽しい会話を交え、至福の時間を共有できたのだろうと読み解くこともできる。

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そんな彼の姿が想像できると、美食の街リヨンの言葉の本質は

【親しい人と至福の時間を過ごすにはリヨンの郷土料理が最も適している】

と言い換えることもできるのではないだろうか。

郷土料理に限らず料理は私達を幸せへと導くれるために、多くの喜びをもたらしてくれる。それは作る喜び、食べる喜び、共有する喜び、相手を思いやる喜び・・・。

しかし喜びとは一時の感情であり、時間が経てば消えてしまうものである。

その分、喜びというのは多方面から自分に向いている数が多いほど、自分自身が既に持っているはずの【持続が可能な幸せ】に気づく機会は増えてくる。

強い輝きを放ち憧れの対象になりやすい一部の高級料理は、一瞬で華やかな時間と喜びを容易に作り出す事ができる。だが普段の生活の中で高級料理のような特別な食事に占める人生の割合は極めて少なく、高価で特別な食事を摂る人も極めて稀。持続可能な幸せとは程遠い場所にあると思う。

私も含め多くの人は普段の食事は、身近な食材から作られる質素な料理が多いはず。そしてそのような食事の場面でも素晴らしい味、楽しい時間、至福の空間に出会うことができることは言うまでもない。

ガストロノミー(美食術)から私達が学び知るべきことは、私達が既に持っている豊かさや自分本来の魅力に気づくためのツールであるということ。

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フランス料理会の巨匠、故・ポール・ボキューズ氏が残した私の好きな言葉がある。

「私は伝統料理の信奉者です。バター、クリーム、ワインを愛しています。私の料理は、簡単に見分けが付きます。肉には骨、魚には小骨がありますから。でも、これだけは譲れないのです」

他人が羨むような美しさではなくとも、自分が向き合ってきた時間、注いできた愛情と誠実さに比例して、目の前にあるものは自然と自分が心から愛すべき対象になってくる。

それはとても美しくそして愛おしい。

ボキューズ氏の言葉を噛み砕いていくと、何か決まった形やスタイルに美食という概念を照らし合わせるのではなく

【自分が愛した対象とその時間にこそ価値がある】

と信じきることへの勇気が湧いてくる。

世界中の美食の豊かさは、その土地でそこに暮らす人の匂いや温もり、そして優しさに触れた時に初めて郷土料理の特徴や性格が少しずつ少しずつ見えてくる。

それはとても分かりづらかったり、理解に時間がかかるかもしれない。

そんな美食の本当の豊かさを、キュルノンスキーはフランスの郷土料理を世に広めることで

【誰もが華やかな高級料理を味わうことができない。しかし誰にでも美食を生みだすことができる】

そんな人の心を豊かにしてくれるような願いにも似たメッセージを、リヨンの郷土料理、フランス各地の郷土料理は教えてくれるのかもしれない。

私はリヨンを離れて数年が経つ。

偉大な料理人や料理研究家を先頭に、食通や料理人に限らず多くの人を魅了し続けてくれる美食の街リヨンは、いつの時代も我々の胃袋を満たしながら心も満たし癒やしてくれる。

近い未来に再びリヨンを訪れる時は、リヨンの郷土料理を私の愛する家族を連れて美食を心から楽しむとしよう。

もちろんお腹もすかせて。

美食の街リヨン【完】

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