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私の物語はいつだって憧れから3話

【ヴォナ村に到着した初日のお話】

私の就労先が決まり、再びレストランのあるヴォナ村を目指すため、お世話になったマダムに別れを告げたのは2010年6月7日の月曜日。

マダムの名前はフランソワーズ。彼女は二人の孫を持つ60代の女性で気が強く、身長も私よりも高い60代の女性です。

(そもそも私は身長が170cmないのだが・・・)

ワーキングホリデービザでフランスに滞在中フランソワーズに会うのはこれが最後の日になるが、実は就労ビザを取得してからは年に1度のペースで
ルーアンを訪れては彼女に会うことを欠かさない。

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彼女の誕生日、私の妻を紹介する時もことあるごとに彼女とは連絡を今も取り合っている。これらはまた別の話になるので違う機会に紹介しようと思います。

さて、パリを経由し再び6時間以上かけて無事ヴォナ村の駅に着いたのは、時刻が17時30分を回っていた頃である。

日差しが強く湿度も高い陽気であったことを覚えている。

これから慣れないフランス語でやり取りをするという緊張感と、昨晩の睡眠不足の影響からか、ヴォナ村の駅に着いた頃には非常に疲労感を全身に感じていた。

ヴォナ村は当時、人口2000人程度の小さな村ではあるが幸運なことに1日に数本通るバスと電車が止まる駅がある。

しかしその駅から村の中心にあるレストランまでは1キロほど徒歩で歩く必要があり、重いスーツケースを引きずり寝不足の疲れた体には少ししんどい距離である。

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駅を離れレストランへ向かう直線の道を50メートルほど進んだ時、私の横に1台の車が止まってくれた。見るとそこには昨日面接で訪れた際に、挨拶をしたブラッスリーのシェフが車を止めて『車に乗ってけよ 』と声をかけてくれたのである。( 多分そのような風に言っていたはずです。当時はフランス語が全くわからなかったので…)。

幸運なことにちょうど彼はお昼休憩から午後の営業に向けてレストランへ向かう途中に私を見かけ乗せてくれると言うのだ。

なんともいいタイミングである。

実はジョルジュ・ブラン氏のレストランはヴォナ村に三つ星のレストラン以外に、郷土の伝統料理を出すブラッスリーが存在する。

ブラッスリーの名前は『ランシエンヌ・オーベルジュ』
スタッフは皆このブラッスリーをオーベルジュと呼び、三ツ星のレストランの方をガストロと呼んでいる。

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難なくブラッスリーのシェフのおかげで1分足らずで目的地に辿り着き、再び昨日面接をしたガストロ(三ツ星レストラン)のシェフと会うことができたのである。

シェフは私に『君は明日から、ここのオーベルジュ(ブラッスリー)で働いてもらうよ。今晩は、レストランの向かいにある我々の施設のホテルを準備しておいたから、その部屋で休みなさい』と私に説明し、『部屋で少し休んだら、18時半にブラッスリーのスタッフがまかないを食べるから一緒に食べるといい』と話してくれた。

きっと多くの日本人のフレンチ料理人ならば、同じ敷地内にあるブラッスリー三ツ星レストランならば、後者で働きたいと希望するだろう。

ただ当時の私はとにかく料理ができる環境を求めていた。

フランス料理に憧れ、その憧れのフランスのレストランで料理ができるのであれば私は喜んで働くし、どんなポジションだってやってみたかった。

まあ、そもそもその時の自分は料理人でもない。
どちらかと言えばレストランのお菓子を専門に作ってきた人間である。

フランス語でコミュニケーションもまともに取れず料理の技術も知識もない自分にとってみればブラッスリーからのスタートは、環境に慣れていくことも含め、私の身の丈にあっていたことは間違いないことである。

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賄いはスタッフに混じって一緒にテーブルを囲んだ。
営業で残った郷土料理のブレス鶏のクリーム煮バスマティー米のピラフ。

『これがフランス料理なのか!』
と感激しながら口に運んだことをよく覚えているが、周りのスタッフに色々質問されながら自己紹介を兼ねての食事は、とても緊張した時間でもあった。だからどんな味だったか、はっきり覚えていないのが正直な感想。

食事を終えて、オーベルジュのシェフから『明日は8時から仕事始めるよ』とだけ言われ、シェフは調理場へ戻っていった。

私はホテルの部屋へ戻り、テレビを付けた。そこには今週開催される予定の、サッカーワールドカップの特集番組が流れている。

フランス語で内容はわからなかったが、

『前回大会準優勝のフランスが、チームに多くの問題を抱えながら今回の南アフリカ大会でどこまで健闘できるか』っというような内容のようであった。

時刻は21時を回っていたが外の明るさは、私がヴォナの駅に到着した時の明るさと大きな変化は感じられない。

とても静かな時間が流れ、ただ私はテレビの画面を眺めている。

自分は日本で働いていた当時、過去に大きな成功体験自分に自信を得るような経験をしてこれなかった。

自分を変えることができるとするならば、それは大きな環境の変化か、
強い影響力のある誰かからの指導だとその時は信じていた。

そんなテレビの様子を見ながら、自分がどれほど健闘できるか全くわからずとも、それでも私は嬉しさと不安の入り混じった感情の中で喜びを噛み締めていた。

そして長旅による疲労感からそのままテレビを付けたまま眠りについたのである。

『料理がしたい

この想いだけが、私を日本からフランスの田舎にある小さな村まで連れてきたのだ。

それでは今日はここまで❗

続きは次回❗

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Chef Ichi





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