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#エッセイ

「ここで頑張れない奴は一生頑張れない」系の言葉がめっちゃくちゃ嫌い

青春。部活や受験の重要な局面。よく言われたよね、「ここで頑張れない奴は一生頑張れない」系の言葉。ここでやれない奴は一生やれないぞ。僕も言われたさ。ああいう言葉がずっと嫌いだった。 端的に、性格悪すぎない?なんで応援ワードの後半に罰ゲームを添えるんだろう。しかも罰ゲームが重すぎる。「頑張れない奴になる」「しかもそれが一生続く」ってヤバ過ぎるだろ。死ぬまで虚ろ人間をやりなさいって話だ。シャバで無期懲役。生きる意味や主体性や自己効力感を奪われるんだ。罰ゲームとして重た過ぎるだろ。

モチョモチョ青春譚

おーい…あの、すみませんw ボク、気づいちゃったンですケド……ww オタクを表現する際に用いられる音の例として「ニチャニチャ」が最もよく挙げられていると思うんですけど、アレ、正しくは「モチョモチョ」じゃありませんか?仲良い根暗の先輩が己の恋愛を語るツイートで「モチョモチョ」と使ってて、すげーピッタリだな…と思った記憶がある。オタクって口を開けて喋らないからなんだかモゴモゴしてるし、どういうわけか口腔内の湿度が異様に高い。その籠った、水分量の多い喋りを最もよく表現しているのがモ

二食分の料理を作ると必ず二食分になる

・先日、はじめてゴーヤを用いた料理を作った。長らく自炊生活が続いている割に、何故か今まで手を出そうと思わなかった食材である。そういえば実家に居た頃も食べた記憶は無い。辛い物も苦い物も不得手な一家だった。 ・「どうせ料理を作るなら二食分も五食分も大して変わらないわよ」と母や祖母はよく言っていた。自炊をはじめて実感したけれど、その言葉は半分は正解で、半分は間違いだった。 ・二食分の料理を作ると概ね二食分になる。つまり、翌日の家事は免除される訳だ。これは生活における手間の削減に

科学的悪魔に捧げる鎮魂歌【日記:2023/5/26】

『マクスウェルの悪魔』という悪魔がこの世には存在する。 それは物理化学の一部門、熱力学という分野において、提唱された思考実験ではあるのだが、時の科学者たちが気を利かせたのか”悪魔”という呼ばれ方をするようになった。 私は彼のことをとても気に入っている。一番好きな悪魔は何ですかと聞かれたら、多分『マクスウェルの悪魔』ですと答えると思うくらいに。 理由としては、科学の悪魔というSFチックで異端児感のある代名詞がカッコいいというのもあるが、彼の存在としての儚さも私が彼を好む要因の一

何が好きかより何が嫌いかで自分を語れよ

 ツイッターを見ていてとても楽しくなるツイートを見かけた。  元来思い出は美化されるもの。”あの頃のゲーム特有の外付け要素”まで読んで、「昔を懐かしみ感傷に浸るツイートだな」と思った矢先に”普通に嫌いだった”と続いていたのでクスりと笑ってしまった。  この文体で素直な批判感情は不意打なんよ。 その上この短い文章で「本当に嫌いだったんだな」と読み手に思わせてくる凄みもある。  “普通に嫌いだった”という素直すぎる評価もいっそ清々しい。技あり1本…! 批判にも良し悪しがある

君がもし捨て猫だったら

注意:DISH//のファン、あいみょんのファン、またはDISH//の猫という曲が大好きで仕方ないという方は絶対にこの記事を読まないでください。 またここに書かれている内容はキモ人間の凝り固まった偏見とひねくれた見方による物なので本気にしないでくださいお願いします おいおいどうした1919かずや歌詞をいきなり書き出して病み期か?かまってちゃんアピールか?って思ったみなさんご安心を ひねくれ坊主1919かずやですどうぞよろしく上の歌詞はDISH//の猫って曲のラストのサビなん

無責任に優しい言葉かけてごめんね

 恋人ができたと意気揚々とブログを書いたが、振られてしまった。「抱えきれない」と言われた。  約束の時間に通話をしてくれなくて喧嘩をして、泣いてしまって、今までの生い立ち、虐待や病気や家族や友達のことを話すと、なんか引いてしまったみたいで、距離ができた。彼女は「好きな音楽は何?」と聞くと「クラシック」と答えるほど育ちがよく、僕みたいな人間に耐性がないというか、怖かったんだと思う。友達が自殺したとか母親が癌で死んだとか、そりゃ重いよね…。ごめんなさい。  あまり長くない永遠に

やってる感

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小説が私達のコミュニケーションツールでもあった話

小説がコミュニケーションのツールでもある。 この言葉から、あなたはどんな示唆を連想しただろうか。 メッセージ性を強く物語に投影すること? 小説の中に特定個人への私信を仕込むこと? 作者と読者の非対称な関係性について比喩した観念的な話? 本の勧め合いによって芽生えた友人関係のエピソード? しかし今回の話は上記のいずれとも違う。……と勿体ぶったが何のことではない、私が大学時代に所属していた文芸部の、ほんの一側面を表現したに過ぎないのだ。つまりここで言う小説とは、部員達が執筆し

あなたはなぜnoteを書くのか? ~物事の目的と欲求について~

先日、 文章を客観的に書くにはどうしたらよいのか。 というコメントがありました。 簡単に結論から言えば、 ・他者の視点を想像する これだけなのですが、 それにはたくさんの問題があります。 ①どういった他者の視点を考えるのか あまりにもたくさんの人がいるので、 そのすべてを包括するのは無理です。 ②他者の評価を目的として書くことにならないか 他者の評価を目的として、 文章を書くのは ・お金が欲しい人 以外にはおすすめができません。 なぜなら、 noteや文章

自分の感情は疑う/情報は得をする人を考える

・自分の感情は疑う自分の感情というのは、 感情であり合理的ではありません。 大概において、 あなたが何かをしたいときに 邪魔をするばかりでしょう。 なので、 ふと想起される感情、 特にネガティブなものは 一度疑ってみた方が良いです。 noteの記事を例にしてみましょう。 おそらくnoteのユーザーは、 大抵記事を書いたことがありますから。 例えば、 毎日投稿をすると、 大変ですし粗製濫造で 質が低くなるように思えます。 しかし現実はそうではありません。 ・文章はた

誰よりも理性的に発狂する人を、天才と呼ぶとして。

 小説です。そう思って読んでください。 **  せいぜい偏差値70程度くらいの高校に通っていて、自分のことをなまじっか頭が良いと恥ずかしい勘違いをしたまま大人になってしまった、中途半端なガリ勉にしか会った事がない人には、決して分からない事がある。   本当に頭がいい人は、とても感情的だという信じ難いこの世の真理だ。  偏差値75を超える進学校に「ここより偏差値が高い高校はないから」と、仕方なしに入学した天才たちに会った事があるか。  高校1年生のときに、高校3年生に混