見出し画像

あなたはなぜnoteを書くのか? ~物事の目的と欲求について~

先日、
文章を客観的に書くにはどうしたらよいのか。
というコメントがありました。

簡単に結論から言えば、

・他者の視点を想像する

これだけなのですが、
それにはたくさんの問題があります。

①どういった他者の視点を考えるのか

あまりにもたくさんの人がいるので、
そのすべてを包括するのは無理です。

②他者の評価を目的として書くことにならないか

他者の評価を目的として、
文章を書くのは

・お金が欲しい人

以外にはおすすめができません。

なぜなら、
noteや文章を書くのは、
自己目的的でなければ継続をすることは
なかなか難しいからです。

また、
他人の視線をいちいち気にしながら、
なにかをすることはストレスです。

社会性に縛られるのは、
仕事くらいでいいでしょう。

なにか物事を上達したいのであれば、
自学自習をする形に持っていかなければ
なりません。

そしてなにより、
客観的に文章を書くには。

そういう質問でしたが、
正直に言って
この質問にただ答えるだけでは

"そうしなければならない、そうでなくてはならない。"

と、コメントしてくれた人が思うだけです。
自学自習のステージに持っていくために、
質問者の方はなぜそう思ったのか。

これをまずは書いていきましょう。

・なぜnoteを書くのか

まずここからです。

人はなぜnoteを書くのでしょう。

端的にいってしまえば、

・ストレス発散
・他人からの承認を得るため
・文章を書くことの練習

こういったことが挙げられます。

・ストレス発散

これが書いている人たちには、
もっとも大きいことでしょう。

普段は言えないことや、
自分の意見を表明することが
簡単に行えます。

また、noteは仕組み的に
他人からのview、スキといった
反応がつきやすいです。

そのため、
自分の文章が誰かに見られる。
誰かに自分の意見を支持してもらえる。

そういった感覚が得やすいです。

・承認の欲求、所属の欲求

こういった、
基本的な欲求が満たしやすい。

それによって、
文章を書くことで

・自己有用感
・自尊心

こういったプラスの感情が得やすいので、
noteはとても続けやすいです。

そもそもわたしたちの行動は、
欲求を満たすために行っています。

その欲求が満たしたいからこそ、
noteを書くのです。

こういう話をすると、
自分の嫌なところを見せられるようで
避けたがる人が結構います。

しかし、
社会性が後で、本能が先です。

誰しも醜いところはある、
というよりただの動物なのが事実。

それを認め、
受け入れることから
まずは始めないといけません。

前提の説明が終わりました。

質問者の方は、
何を目的として書いているのか。

・自分の存在を誰かに認めてほしい

これが理由でしょう。

なぜこう断言ができるのかというと、
これには根拠があるからです。

エリクソンの発達課題、
という概念があります。

この概念では、
青年期の発達課題は

・自我同一性の獲得

であるとされています。

自分はどのような人間なのか、
自分の社会的役割は何か。

この自己への問いかけの形で、
自己の存在証明を求める。

そしてのその自我同一性は、
他者との関わりや社会的役割の
遂行などを通して達成されるものです。

質問者は若いこと、
また質問の語り口から
自分に自信がないことが散見されます。

ですので、
わたしは彼のnoteの書く目的を
他人に存在を認めてほしい。

そういう風に推測をしたわけです。

一つ言っておくこととして、
これは恥じることではありません。

なぜなら誰しもが通る道であり、
これの獲得はなかなかに難しいことだからです。

特に年齢が若ければ、
達成はとても難しいでしょう。

Twitter、インターネット、
なにを見ても
たくさんの人がこれを得ていません。

そしてその様をたたくのは、
こういう知識がないからでしょう。

閑話休題。

社会的役割の遂行、
他者との関わり。

これを求めて、
noteを書いている。

だとすれば、
彼の悩みはどう解決するのか。
これを考えていきましょう。

・他人からの評価と動機づけ

彼は

・上手な文章を書きたい

という欲求があります。

これは、

・上手な文章を書いたら他人に認められる、
社会における役割を得られる

こういう期待があるからです。

わたしの友人の神絵師の話をしましょう。

彼は全く同じ要求を持ち、
ある程度、
というよりかなり上手に
絵を描けていました。

質問者の方も、
とても上手な文章をすでに書いています。

似通った状況であるといえるでしょう。

神絵師の友人は当初、
Twitterでの評価を得られないことから
自分の絵に自信が持てずにいました。

この原因を、自身の能力の不足に
彼は求めた。

しかし、

・インターネットでの他者からの評価

これはあまりに流動的であり、
コントロールが難しいものです。

また、
既に評価をされている人が
評価をしないと、
芸術のようなものは評価をされません。

さらに言うと、
その仕組みから
評価をされるための工夫をしなければ
評価をされなくて当たり前です。

Twitterの絵は、
タグをつけて
誰か神絵師にRTしてもらわないと
全く見向きもされません。

文章は、
しかるべしところに応募しなければ
プロになることはできないでしょう。
noteの評価も、
急上昇に入ったとか、マガジンに入ったとか。
そういう神絵師のイラストと
同じような評価をされるので、
なかなかコントロールをできません。

ですので基本的に、
上手なだけでは
評価をされないのは当たり前。

評価をされるには、
それ相応の工夫と
運、それに耐えうるだけの
気の長さが必要になります。

耐えうるための気のながさには、
動機付けの強さが必要です。

物事を好きであることが
もっとも良いのですが、
強くするための考え方を
書いていきましょう。

達成動機という概念があります。

これは、
目標を立てて、
それを達成するための動機のことです。

してはいけない、
ということを言われると低まり、
承認・支持・励ましで高まります。

ここは他者からの要因ですが、
自己の要因として
原因帰属、
成功失敗の原因を何に求めるかがあります。

達成動機が高い人は、

成功を
・自己の努力、能力
が原因と考え、

失敗を
・自己の努力不足
に帰属させます。

頑張ればなんとかなる、
ちょっと今回は本気出してなかっただけ。
みたいに思うわけです。

低い人は、

成功を
・幸運
・課題の容易さ
が原因と考え、

失敗を
・自己の能力不足
に帰属させます。

自分の能力が低いから、
できなかったと思うわけですね。
これは、
能力を努力で変えることができないもの。
そういう考えてしまうからです。

固定的なマインドセット、
というもので
こういう考えをする人は
何かを上達させるのは非常に難しい。

努力に価値がない、
と思えてしまうからですね。

神絵師が成功するのは運。
そういう考えとは反するように思えますが、

・自身の能力不足と考えないようにする

ための手段です。

また、
コントロールをしづらいのは事実であり、
それをどうにかしようとするには
あまりにも大変で、
それに対して無力感や諦めを感じやすい。

だからわたしは、
神絵師がTwitterで
評価をされるかどうかは
コントロールしづらい。

なので他人の評価を気にせず、
ただひたすらに描けばいい。

ということを言いました。

彼も同じく、
他人のことなど気にせず、
自分の好きなものを
ただひたすらに書いておけばいいでしょう。

上達をしたければ、
まずは好きになることが大切です。

そのためには、
他人の評価を求めず、
自分自身のために書く。
という心意気が重要。

noteなんて
ただのストレス発散くらいの
気軽さで書けばよいのです。
かしこまった文章を書くところでは
ありませんからね。

気軽に好きなことを書いて、
それがある程度評価されるようになると、
段々物事は面白くなってきます。

こうなると、
上達するための工夫は
自分で勝手にするようになります。

神絵師の友人は、
一度Twitterで評価をされたら
Twitterの評価のくだらなさ、
コントロールできなさを実感して
それを逆に自分の動機づけに
上手に使うようになりました。

そして、
上達するための努力も
勝手に自分でやっています。

世の中の技術本なんかは、
この段階の人でなければ
全く理解ができないことが多いです。

そうじゃないnoob(初心者、という意味です。)には、
ただテンプレをなぞることで、
良い評価を得て、
動機づけを強くするためだけのものです。

評価をされるための工夫は、
ここでは書かないことにします。

機会があれば、
孔明として考えてみてもよいですが。

わたし自身があまりそういうやる気はないので、
あまり詰める気もありません。

また、評価を気にすると
好きなことが書けませんからね。

ストレス発散のための場を、
仕事にはしたくないのです。

・客観的な文章、noteを書く目的

ここまでで、
想定される彼の欲求、
またnoteというプラットフォームでは
あまり気にしないで好きなことを書けばいい。

という話をしました。

しかしせっかくですので、
客観的に文章を書く方法も
書いていきましょう。

客観的に文章を書くには、
まず自分がどういった人に対して、
どういう風に見られたいかを想像します。

対象が定まらないと、
あまりにも多すぎて
味っ気のない
韻文的な文章を書くことになります。

対象を設定したら、
その人が書いた文章に対してどう思うか。
読んだ人のどういう欲求を満たし、
どういう体面を傷つけるか。

こういうことを考えます。

わたしのnoteの記事を
例として考えてみましょう。

この記事は、
珍しく自分が上手に書けたな、
ということと
スキの数が一致していました。

あまりにもスキというものの多寡、
意味不明というかコントロールできないので
わたしは1でも2でもうれしいと思うようにしています。

友人からの評価とも、
スキの数って合わないので
本当に気にしなくなりました。

閑話休題。

この記事は、
Vtuberのファンではない、
スーパーチャットをしていない人には
おもしろおかしい記事です。
しかし、
Vtuberにスパチャをしている人の体面は傷つけます。

なぜなら、

さらにいえば、もともと
社会でのオタクはそういったラベリング。
生産性のないことにお金を費やす、
哀れな被搾取者という扱い。

そこから搾取をする構造は、
社会的にも是とされています。
愛情を通貨に変換させ、
その通貨価値をオタクラベリングでキャンセル
する。

彼らが望んでやっているかはわかりませんが、
そうやってお金と愛を搾取する構造。
これがVtuber、
ひいてはアイドルの構造と言えるでしょう。

こういうことを書いているからです。

当然、
Vtuberにスパチャしている人は面白くありません。

事実コメントで怒られています。

Aという人から見れば、
良く思えるものも、
Bという人の体面を傷つけている可能性がある。

しかし文章とはそういったものです。
万人に受けるようなものは難しい。

三島由紀夫の金閣寺だって、
ネガティブで暴力的とみる人もいるでしょう。

そもそも、
正論であろうと
それを読んで怒っている人は
理由をつけて受け入れません。

体面を傷つける時点で、
その人には受け入れてもらえないと
考えなければなりません。

というわけで、
客観的な文章というのは

・対象を想定し、
その相手がどう思うかを考えて書いた文章

であるといえるでしょう。

論文や新聞記事のような
たくさんの人に確実にみられて、
自身の評価に直接的につながるものではないので、
基本的にはそんなに意識をする必要はありません。

対象を絞るというのも、
たくさんの人を想定したら
あまりにもコストがかかるからです。

どうやったら面白くなるかな、
と考えるときの一つの材料として
みるくらいがちょうどいいでしょう。

完ぺきなものを求めると、
完成することがいつまでたってもできず、
結果としてなにも上達しません。

最後にnoteを書く目的を
もう一度書いて締めましょう。

noteを書く目的は、
再三言ったように

・ストレス発散をしたいから

ぐらいがちょうどいいでしょう。

書きたいことがあるから、
それを書いたら気分が良くなるから。

それぐらいの心意気で、
書くようにすると良い。

気負わずにやることが大切です。

お金や社会で認められたいのなら、
小説やエッセイを
出版社に投稿する方が良い。

そうして運よくだかなんだか、
通ってしまった人がプロと呼ばれます。

そしてそこから、
仕事になり、
他人とどう向き合って
どう良くしていくかを考えるようになります。

でも、
noteはそういう場ではありません。

評価は流動的で、
素人の文章を素人が読むだけ。

マネタイズできる人もいますが、
それって本当に難しい。

元々知識がある人や、
ファンがついている人でないと
そうなるのは厳しいでしょう。

自我同一性の獲得は、
仕事や生活のなかで
得るようにした方がいい。

それはnoteでは得づらいからです。
そしてnoteのプレイ時間、
人生で長くはないでしょう?

そこで受けたストレスや、
自分の思考の整理に使うツール。

少なくともわたしのnoteはそういったものであり、
自己目的的なものです。

この記事も、

・自分の思考を整理するため
・能力を発揮して、有能感を得るため

と、自分のために書いています。

他人の評価を気にして、
そのために自身の行動を制限することは
なかなかにつらく、
物事が好きでなくなってしまいます。

外発的動機づけ、
ってやつですね。

これこそ続かなくなり、
これこそ上達しません。

あまり悩まず、
やりたいように、
好きなようにすればいいでしょう。

元々上手にやっている人には、
そのくらいしかアドバイスすることはありません。

そういうひとは上達なんて、
勝手に自分でやりますしね。

長くなったこの記事も、
要約すればこれだけです。

"好きであることなら、
嫌いにならないように他人を気にせずやればいい"

そして、
質問者の発達課題、
自我同一性の獲得は
時間が解決してくれます。

これも気にしないことが大切です。
気にしないためには自己受容が必要になりますが、
まあそんなものは適当にマインドフルネスでも
しておけばいいことです。

というか、
書くにはこの記事は長くなりすぎました。

今度こそ、
わたしの好きな言葉を一つ
引用して締めましょう。

神よ、変えることのできないものを
静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、
変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを与えてください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/二ーバーの祈り

それではまた。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,685件

#眠れない夜に

69,580件