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科学的悪魔に捧げる鎮魂歌【日記:2023/5/26】

『マクスウェルの悪魔』という悪魔がこの世には存在する。
それは物理化学の一部門、熱力学という分野において、提唱された思考実験ではあるのだが、時の科学者たちが気を利かせたのか”悪魔”という呼ばれ方をするようになった。
私は彼のことをとても気に入っている。一番好きな悪魔は何ですかと聞かれたら、多分『マクスウェルの悪魔』ですと答えると思うくらいに。
理由としては、科学の悪魔というSFチックで異端児感のある代名詞がカッコいいというのもあるが、彼の存在としての儚さも私が彼を好む要因の一つだ。

彼、『マクスウェルの悪魔』は常に科学者たちから命を狙われて生きてきた。より正確に言えば、彼はそもそも殺されるために生まれてきた。
主張)第二種永久機関の夢を完全に破壊するために。熱力学第二法則を揺るがす可能性がある彼を否定する事さえできれば、徒労に倒れる人がいなくなるから。
結果、提唱から100年近くを要したものの現代では彼は見事倒され、理論の正しさを証明することができている。
めでたしめでたしだ。ただ、私は初めてこの話を物理化学の教科書で知った時、少し悪魔を可哀そうだと思った。

理論であって意思など全くない概念とはいえ、殺されるために生まれてきて、そして実際に否定されて消えてしまうとはなんとも寂しい。
何故だろうと思ったけど、それはある種人間の人生も同じようなものと言えるからかもしれない。
人間はいつか死ぬ以上、始点と終点だけ見て考えたら死ぬために生まれてきたといっても間違いじゃない。少なくとも化学という学問はそういう考え方をする。

もし『マクスウェルの悪魔』の意識があったとしたら、『ミュウツーの逆襲』でのミュウツーみたいに自らの存在意義に悩んだりするのかもしれない。
そう思うと、紙の上の悪魔にもどことなく感情移入してしまう自分がいる。




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