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『 少しずつ 』、 家族になる


義母、彼、わたしのドイツでの実家暮らし。

嫌いとかそんなんじゃなく、彼の母を含め彼の家族を最初は自分自身の家族のように思うことができなかった。
話す言葉も違う、目の色も髪の色も文化も、食べるものすら違う。
ドイツ語を話せないわたしは、もちろん会話に参加することすらできなかった。

言葉の通じない、何を話しているのかも分からない多数の人たちに囲まれている雰囲気というのは、まるでその部屋の中で自分だけが檻に閉じこめられているようななんともいえない息苦しさがある。
HSP( Highly Sensitive Person )、いわゆる「繊細さん」な私にとってその時間というのはもはや地獄のように長い時間である。

ここに来てしばらくの間のわたしといえば、

” この人たちと私はここが違う ”

ことばかりを見ては1人疲れ果て、馴染もうとする努力すら「したくない」という日がしばらく続いた。あからさまに1人で居ようとしたり、一緒に過ごす事を拒絶することすらあった。
なぜそうしなければいけなかったのか、自分でもよくわからなかった。わからなかったけど、かなりめんどくさいやつだったと思う。今思うと、本当にごめんなさいという気持ちしかない。
でも、そうでもしてなんとか自分を守っていなければ、自分が自分でなくなっていくような気持ちだった。自分でも経験したことのない恐怖感、自分の中のたったひと握りの日本人としてのプライドとか、今までの人生で培ってきたアイデンティティが無くなっていくことの恐怖への抵抗とか、そんな気持ちだったのかもしれない。

海外暮らしというのはしばしばそんな気持ちになる瞬間がある。
自分が今まで培ってきたアイデンティティを手放さなければならない(ような)瞬間。人は、手に入れたものを手放すことが怖い。

だけど今ならわかる
価値観やアイデンティティなんてあってないようなもの。
価値観なんて違って当たり前。家族だからとか、家族になったからといってそれが同じになることなんて無いに等しい。

みんな同じであることを望んでいた。
みんな何も言わないけれど。
それがわたしのアイデンティティの1つだった。

話せる言葉が少なくて、自分の言葉がうまく通じなくてウジウジと悩んでた。
伝えたい言葉があるのに上手く伝えられない。
でも、なんでも言いたいことを話せることが家族なんじゃない。
なんでもない、たわいもない時間を通して〝 少しずつ 〟家族になっていくのだ。

こんなどこの骨かも分からないような東洋人のわたしを受け入れてくれたドイツの家族。

彼がすきだ。
義母もすきだ。
だって今までずっと、彼を守ってきてくれた人だから。
耳が遠くなってしまって、ケンカしてるのかと思うような大声で会話しなきゃいけないOma(おばあちゃん)も好きだ。
会うといつも駆けってきてハグしてくれる甥っ子も、いとこのお兄ちゃんもみんな。


もうすぐ、新しい家族が仲間入りする。

どんな顔をしていて、どんなに愛しいだろう。
こんなにワクワクするのはいつぶりかな

明日には、生まれてきてくれるといいな。




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