来たる朝にはシーツをかけて / 創作
幼かった私は、血の気も失せた祖母の顔をじっと見つめていた。白粉の塗りが甘い頬骨と耳の間の素肌は亡くなった人間の血色をこれでもかと表しており、鼻先から曲線を描くように綺麗なグラデーションになっていた。生まれてからよく私の手を引いた柔らかい掌も、生ゴムを押しているような感覚で、すっかり硬くなっていたことをよく覚えている。
こうなる2年ほど前から祖母は重い心臓の病を患っていて、亡くなるまでに三途の川と現世とを、私が覚えている限りで3回ほど行き来していた。当時私は祖母が亡くなることを心の何処かで楽しみに思っていた節がある。その証拠に、祖母がかつて生死の境を彷徨いながら生還した晩のこと、「おばあちゃん、元気だよ」と微笑みかけられた時に湧き上がって来たものと言えば「残念だ」という感情ひとつだけだった。
結局、小学1年の頃に祖母は息を引き取った。代々傷病に強い人ばかりが揃っていた我が家の家系をもってしても、身体中枢を司る心臓が破損してしまった以上はどうにもならなかったようだ。ただ祖母は医者が推察よりもずっと長く生きていたというのだから、同じ病を患う人の中でもかなり頑張って生きたのだという。
訳も分からないまま先程降ろしたばかりのランドセルを背負い直して、大勢のクラスメイトに見つめられながら学校を後にした。道中、母はハンドルを握りながら涙を流していた。「おばあちゃんの所へ行くからね」という母の言葉を聞いて、真っ先に浮かんだのは苦しそうにしながらも活力の残る祖母の姿だった。どうせまだまだ息をし続けていて、どれほど危ない所まで来てもこちらへ戻ってくるものだとばかり思っていたが、病室へ着いた頃にはもう二度と目を開けられない身体になっていた。生まれてからこれまで、母が読み聞かせてくれる物語を子守唄に眠っていたけれど、昨夜はそれがなかったことや、母の衣服が昨晩から変わっていないのを見て、泊まり込みで祖母を見送ったということが年端もいかない私でも分かった。死に目に会わせなかったことも、まだ私が幼いからということに他ならなかったのかもしれない。
「おばあちゃんはどうやって死んじゃったの」と目を丸くしながら聞くと、母は " 眠るように亡くなった " ということを私に伝わるように教えてくれたのだが納得がいかず、それからしばらく、同じような質問を母やその周辺の人に投げかける日々が続いた。
老年人口が年々膨れ上がる郷里は自宅で息を引き取る人間が多く、知らない人の葬式に何度も訪れたことがある。動かない人を目の前にして、誰に教わったのかも分からないような声を上げて参列者のすべてが涙を流していたが、私にはその意味がよく分からなかった。中でも特に身近な存在であった祖母が亡くなったその時までも、涙は一滴も流れなかった。
人がどうやって死ぬのか、昔から興味があったから老人ホームで働き始めた。身体の輪郭がぐにゃりと曲がった入居者に挨拶をしてからもう4年の月日が流れているけれど、おじいちゃんおばあちゃんってばなかなか死なないのだ。看護師資格を取った時、小児病棟の方が死に目に合う確率はかなり高いことを知ったけれど、幼い子供が死ぬのを見るのは心が痛い気がして辞めた。施設内に溢れる時間の流れは緩やかなもので、毎日決まった時間に起床し、3食しっかり、個々のニーズに沿った形で飯が出てくる。折り紙やお手玉なんかで手指をくまなく動かし、健康体操で日々運動を取り入れることを日課とする。まるで無菌室で植物を増やしているような感覚で、あっという間に月日が流れた。私が思い描いていた「死」を感じさせる世界とはどうやらほど遠いと気が付き始めた頃から、死ぬことへの興味は段々と薄れていった。これは諦めとは違って、皆生きていても確実に動けなくなっているのを見ると、興味を傾けるほどの事柄じゃないらしい、と悟ったような気持ちになった。
たった一度だけ、施設内で93歳にもなるおばあさんの最後を看取ったことがある。傍らで控えていた町医者が聴診器を取り出し、あらゆる手段を使ってからこちらを向いて死亡を伝えるまで、いつも通りの緩やかな時間が流れていて、亡くなったおばあさんも何処か深い所へ吸い込まれていくような、そんな最後だった。涙こそ流せないものの、はっきりとした悲しさを感じ取る。初めて人間らしくなれたような気がする。
産まれてから声を上げるまで、また亡くなってから全身の血液の流れが止まるまで、私たちは目を瞑ったままその時々をやり過ごしている。その長い眠りに関して言えば、生まれることも死ぬことも、あんまり大した違いもない気がするのだ。「死んでしまったらどこへ行くか」みたいな問いは世の中にごく有り触れているものだけれど、全員同じところから産まれて、また同じ場所に帰っていくのではないかと思う。
田園風景にぐるりと囲まれるようにして施設は立っている。朝陽が園地に植わる木々にぶつかると、木漏れ日となって部屋の中へと届く。東向きの二重窓に掛けられる重いカーテンを精一杯に開くと、暗かった部屋の中が朝でいっぱいになった。
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