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🤱【あなたの為を思って】という罠〜締め出し

前回⤵️

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少食だった私にとって、ご飯粒ひとつ残せない食事は緊張の時間。
お茶碗の持ち方から何から何まで、毎回注意されるのは苦痛だった。
気をつけているつもりでも「脇を締めなさい」と言われ、これ以上どうやって締めれば良いの?と途方に暮れることもしばしばあった。



何かを取ろうと手を伸ばした右手がお椀に当たり、テーブルの上にお味噌汁を溢してしまった。
間髪入れず「出ていきなさいっ‼︎食べ物を粗末にしなさんなっ‼︎」と母が大声を出した。
えっ、わざとじゃないのに?
「ごめんなさい、ごめんなさい」と言う私を、母は玄関へ引っ張って行き外に押し出すと鍵を閉めた。



靴を履く時間はあったっけ?
思い出せない。
拳でドアを叩きながら謝り続けた。
ドアに耳を近づけてみても、なにも聞こえない。
手が痛くなってきたけれど、こんな所でどうやって寝ればいいのかと思うと心細くて「開けてぇ、開けてぇ」「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返した。



「○○さん(母のこと)、ちゃりれれちゃんを入れてあげてください」
お向かいに住む幼馴染み姉妹のお母さんが、私の泣き声を聞きつけて助けに来てくれた。
「こんなに謝ってるし、夜も遅いし、もういいんじゃないの?」
どれだけの時間しめ出されていたのか私には判らないけれど、母も引っ込みがつかなくなっていたのかもしれない。
私にとっては勿論のこと、母にとっても助け舟だったんじゃないかと思う。



締め出されたのは初めてではない。
弟と一緒のときは、何分か後に母の方からドアを開けてくれた。
弟や妹が食事中に粗相をしても、単独で締め出されることはない。
弟は母のお気に入りだったし、妹は「末っ子で我儘で甘えん坊だから」という理由で許されていたから。



私に僻みがないとは言えないけれど、今でも左手を下ろしたまま食べたり、脚を組んで食べたりする妹を観ると、「やっぱり露骨に虐められてたよなぁ私は」と思わずにいられない。

妹よ、何度もごめん⤵️



母が玄米菜食(今で言うヴィーガン)を始めた。
父には白米を出していたようだから、母の一存。
動物性のものは一切食卓に載らなくなったし、市販のパンやお菓子を食べられなくなった。
当時の大豆ミートは、味も匂いも食感もお肉を想像できるようなものではなかった。



コンフリーという葉っぱを菜種油で天ぷらにして食べさせられた。
コンフリーは、「長生き野菜」と呼ばれていたらしい。
今では肝臓に弱い毒性があることが判っている。
菜種油は現在のものとは比べ物にならないくらい、黄色くて独特の匂いがあった。



「遠足のお弁当はサンドイッチにしようよ」「運動会には海老フライの比べっこをしよう」とクラスメイトから誘われても、私のお弁当は玄米の茶色いおにぎりに決まっている。
玄米モードの炊飯器なんてない。
母が圧力鍋で炊いた玄米ご飯は、べちゃべちゃと軟らかいか、芯が残るほど硬いか。
せめて白いおにぎりに海苔を巻いて欲しかった。
給食が楽しみで仕方なかった。



母は玄米菜食だけではなく、ヨガや真向法や健康器具や怪しい療法などにも次々と手を出した。
前回書いた「酵素を飲んで断食」もそのうちの一つ。
最終的には新興宗教にどっぷりと浸かることになる。



母のことは、いろんなことに飛びついては乗り換える「熱しやすく冷めやすい人」だと思っていた。
未だ父が生きていた頃だったろうか?
笑い話で済むだろうと「お母さんが試すいろんなことが嫌だったのよ」と言ったら、どれも私を「治す」為だったと返された。
母にとっての私は、治さなければならない存在だったらしい。


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