50 祈り
何者かわからない何かに、私は祈っていた。
1日でも、1時間でも、1分でも、
母とのお別れをとどめてください。
お願いします。
・・・神様。
家は曹洞宗。でも、普段から信仰深いわけでもなく、寺にも神社にも教会にもお祈りする。とりあえず神々しいものの前では手を合わせてみる。
そんな私だが、母はキリスト教に興味があったようだ。
母はそこまで信仰に熱心というわけではなかったが、
若い頃に聖書を勉強していたようで
「イエス様に祈るんだよ」
「天国や地獄は本当は無くてね、死んだらみんな無になるんだ」
「そろそろ世界滅亡が近いんだよ」
などと、子供の頃から聞かされてきた。
まだ世界は滅亡しないようだが。
入院中に母はこう呟いた。
「こういう時、信じるものがある人は強いよね。」
日本では、宗教を熱心に信仰しているとよく思われないように思う。
(犯罪に手を染める教祖がいたり、押し売りされる、お金を騙し取られるなどいいイメージがないからだろう。)
しかし、なぜ宗教が何千年も続き、今なお世界中で信じられているのか。
信じるものがある人は、きっと強くなれる。
対象が、神だろうが、推しだろうが、愛するものだろうがきっと同じ。
お母さん、私は信じるよ。
だから毎日、何かに祈る。
想いはきっと届くこと、信じてるから。
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