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#56 わなわなDay

本日もなんとか6時30分起床に成功する。だんだんとそれが日常になってきている。慣性の力が発生しつつあることを感じる。
また、一日失敗しても、翌日から立て直すことも出来ている。機械的に毎日継続することよりも、穴をあけても軌道修正して続けるという技術の方が高度で実用的だと思う。
臨機応変。レジリエンス。
なんと魅力的な言葉だろう。

今日はイライラと手の震え、身体の緊張が来ている。
こういう日を私は「わなわなDay」と命名し、そのように認識している。
今朝は洗濯物を干した。
その時に、わなわなDayを確信する。
手の震えと焦燥感、とにかく早く終わらせたくてたまらない。時間に追われているわけでもないのに、何を急いているのだろうか。
ここでも思考スピードに追い付かず。
精神と肉体の乖離。ズレ。
とにかく肉体は遅い。否、精神が速すぎるのかもしれない。
この際そんなことはどうでもいい。兎にも角にも、その勝手に広がっていく差異が私を苛立たせる。

単純に私は寝不足なのだと思う。
本当に私は早寝ができない。早起きの方がずっと容易である。
どんどん時間は過ぎていく。自律は本当に難しい。結局小学生の辺りから私は進歩していないような気がする。時間は謎だ。
つまり、私の現状は、遅寝早起きであり、それは体に悪い。そんなことは誰でもわかる。
わかっていても変えられないのだから、習慣というものは困ったものである。
そして理性の脆弱さを痛感する。まぁ、私のそれは大分粗悪なものだろうから、単に私の能力の問題のような気もするが。
これらは人類普遍の課題だと思う。つまり、平凡を煮詰めたような「普通のお悩み」といったところか。言い方で随分と印象が変わるものだ。

夕飯を摂ることも、風呂に入ることも、歯を磨くことも面倒になるくらい眠くなればいいのだが、そうもならない。
これはスマホとかパソコンの影響もあるのだと思う。何もやることが無ければ眠くなるような気がする。
それから、夜にピアノを弾くと頭が冴えてしまうから、どうしたものかと考えている。しかも、その日の調子が悪いといたずらに落ち込んだりイライラしたりするものだから、諸刃の剣のようなところがある。
かといって、早朝に弾くのも憚られる。今日のように日曜日の朝であればまだ良いのだが。
そういえば、今朝の隣人は早くからうるさかった。
6時くらいだったか。ガチャガチャとものを移動させたり、置いたりする音がする。あまり風情はない。日曜大工は尊敬に値するが、せめて7時を過ぎたらやってほしいと思った。今は真夏でもあるまいし。
私もこれぐらいの鈍感さが必要なのかもしれない。
などと言ってはみるものの、それが本心ではないことくらいとうに解っている。
ある種の譲歩というやつだろうか。それから羨望と嫉妬からくる皮肉。
そんなことも言わずともわかる。
私はついつい過剰な説明をしてしまう。そういうのを無粋というのだ。
だのに、肝心なことは言葉足らずだったりするから、人を困らせてしまう。
人を困らせると、結局自分が困る。言葉とそれによる伝達はいくつになっても難しい。
一言だけ、重みのある核心的なことを言ってその場を立ち去れるようになりたいものだ。
冗長さは美しくない。説教臭いのもまたうざい。支配してやろうという心が透けて見えるからだろうか。品性の欠落。

こうしてパソコンに向かって記事を書いていると、幾らか気が紛れる。
先ほどからイライラも少し軽減されてきたように思う。
やはり、もやもや、ごちゃごちゃ、そうしたとっ散らかった心を外在化することは癒しになっているのではないか。

そういえば今回、音楽を流すのを忘れていた。最近noteを書く際に音楽を流し忘れることが多い。今日に限って言えば情報過多はストレスを増幅しそうだから、結果オーライだったかもしれない。偶然の恩恵。


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