見出し画像

その3 『らしさ』を求めて

小学に上がり低中学年の頃は普通に育っていたと思う。特にこれといった思い出がないのだ。あるとすれば大学病院の通院とボロボロだった歯の矯正器具をずっとつけていてそこに慣れてしまったことだろうか。子どもは好奇心旺盛かつ順応性がある。初めて入る異物でさえもなんだろう?と舌で確認してはその生活が数年続けば当たり前となる。よく言われる頭痛や痛みはさほどなかった記憶がある。その痛みすらも慣れてしまっていたのかもしれない。

毎回片道30分かけていく親とのお出かけ、学校は早退でき電車にも乗れる、病院が終わったらレストランの食事にマンガ本を買ってもらえていた。今考えると親なりの私への最上級の気遣いだったのだと思う。幼いながらに病院に行くこと、矯正器具をつけ続けること、経験のない親にとっては不憫に思えたのかもしれない。しかし、親のその気にさせない気持ちがあったからこそ私はそれに嫌悪感を抱かなかったのかなと今では感謝している。親は偉大という言葉が実感できる。

そんな私でも10歳にもなれば周りとの違和感に気付いてくる。ただでさえ田舎だ、男の子は外で遊ぶかゲーム、活発な時期だった。
そんな私は仲いい年下の子と親のすすめもあり剣道を始めた。きっかけはその子と会えるし習い事すらも遊びに思っていたのかもしれない。我が強いのか興味は持つけど嫌だとすぐに逃げちゃうのが悪い癖で想像とは違った「ザ・体育会系」の世界。基礎までは良かったが練習稽古となると必死だった。それでも試合にでたりしてらしいことはできた。

記憶にあるのは私の前に男の子が先生に激しく指導されていて運悪くいつも優しい先生が鬼と化していた列に並んでしまったのだ。それを見て私は他の列に行こうとしたら思い切り竹刀で面打ちを喰らい逃げたことに叱責を受けた。
怖いことから逃げたくなるのは人間の本能ではとその時は理不尽にも思えた。そして2年間で辞めた。

親からしても剣道で男らしくなってほしいと思ってのことだとも気付いていた。だからこそスポーツ番組をみたり野球を好きだと言って父と話そうとしたり髪をワックスで立ててワイルドに振る舞ったりもした。ただ私の性格を知っている友人からは失笑されていたが。男らしさを求めて自身でも努めたつもりだったが全て偽りの自分で苦しかった。

今思うと、今でもかもしれないが我慢強いほうだと私は思う。見えない部分(矯正など)で努力し、人を気にして見える部分でも偽りの自分に近づけた。頑張ってたなと思うのと同時に虚しくもなる。それは『私』ではなくみんなが求める一般の男の子らしい子どもだったから。今の私が一番『らしく』生きれている。その道を選んだ本当の自分も褒めたい。偽ることなく自分らしく日々を送れることに喜びと幸せを実感できています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?