主夫ご飯 番外編 「父と娘」
今日はお義父さんが食事を作ってくれて持ってきてくれた。
数ヶ月に一度の恒例行事だ。
お義父さんは精進料理の料理人として今も勤めている。
たまに材料なんかが仕入れた時にわざわざ県を跨いで持ってきてくれる。
今日はバラ寿司(チラシ寿司)と魚の煮付けを作ってくれた。
これ実はまだ3分1程度…現在入院中の父は食べれないので夫婦二人。
バラ寿司の具材はあと乗せタイプなので具材だけでも9種類。
ご飯は間違いなく5合。
プラスメンバーにもお裾分けしたので「7合」はあっただろう。
メンバーも「こんなにもらっていいの?」と言うくらい(他にもご飯のお供が数品)。
お義父さんの料理食べたら他のが食べられなくなる。
如何に自分の普段の料理がただの食事というのが分かる。
素材から味を出しているので味に嫌味がない。
50年というキャリアはとにかく凄い。
腹の限界まで食べて明日に持ち越し。
父親の愛情は凄いといつも感じる。
実はうちの相方は母子家庭で育っている。
若干ここから暗い話にはなるが、お義父さんとちゃんと面と向かって逢えるようになったのはこの10年くらいの話。
先程も言ったが相方は母子家庭。
そして彼女には幼き頃「父親」と過ごした記憶が全くない。
相方の中では「記憶」を抹消しているのか、それとも母親から記憶を消すようにされたのかは未だ不明。
相方の母親は25歳頃に事故で他界。
それがちょうど10年ほど前だ。
孤立無援だった彼女が唯一頼ったのが、成人式以来にあった「父親」だった。
実際大人になって父親と会った時彼女は「実感がない」と言っていた。
色んな事を含めて「母子家庭」で育った彼女は私と出会うまで常識が欠けていた。
ご飯を初めて私の実家で一緒に食べた時、彼女は…
「おかずがいっぱいで何から食べていいか分からない」と
私に向かって言った。
この時私は言葉が詰まるような想いだった。
とにかく母子家庭で育っているので食事はあまり与えて貰えなかったという。
結局「お金」がないとどこかを削らないとダメになる。
食事が1番お金の支出として高いので1日1品というのが、彼女にとって当たり前だったのだ。
何が原因で離婚になったかは未だに私達も知らない。
食べるにも余裕が無かったということを推測すると、色々とあったんだろうと思う。
お義父さんも10数年丸々逢えなかったと最近になって私に話してくれた。
その後、お義父さんは再婚するが子供を作らなかった。
お義父さんなりに懺悔があったのかもしれない。
色々とあったが今では相方はお義父さん夫婦とも仲良くやっている。
たまに会いに来てくれる時は「お土産」と称してたくさんのご飯を用意してくれる。
それもまたお義父さんにとっては「懺悔」なのかもしれない。
亡くなった私の母もお義父さんが持ってきてくれる料理をいつも楽しみにしていた。
自分の父は何も与えてくれなかったけど、いつもありがたいとおもって美味しく頂いていた。
でも、今もう夫婦二人なんです~w。
めっちゃ多いんですよ~w。
それでも「父親」として「娘」が喜ぶのがきっと嬉しいんだと思います。
かなり複雑な家庭だけど、傍から見てちゃんと「父と娘」しているなと父親の感覚で会話を聞いている。
最初は私を仲介して話してましたからw。
人はいくつになっても成長するものです。
彼女にとって唯一の肉親なんですから。
ちょっとしんみりしちゃいましたが…私がどんだけ恵まれているかいつも相方親子を見て思う。
人生は完璧にはいかないものですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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