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『愛』ってなに?

突然ですが、皆さん『愛』について考えたコトはありますか?

先日SNSで親子愛についての投稿があったので、改めて考えてみました。

·愛情表現
·愛情不足
·愛のむち
色んな言葉で表現されますが、結局は伝える側ではなく
『受け取った側がどうとらえるか』
だと思います。

SNSでのやり取りでは、
「非行の原因は、親の愛情不足」
「登校拒否は、親子関係に問題がある」
などの意見がありましたが、本当にそうでしょうか?

親が精一杯の愛情を注いでも、
子どもが足りないと感じていれば
『愛情不足』
だし、
子どもの為を思って厳しく律しても、
子どもがツラいと感じれば、それは
『愛のむち』ではなくただの『攻撃』
です。

こういった世間一般の認識(非行=愛情不足、登校拒否=親子関係)が、非行や登校拒否になった子の親へ
「こうなったのは私のせい」
という十字架を背負わせるんじゃないでしょうか?

声なき声に責められて、我が子に
「私のせいでごめんね」
という後ろめたさと贖罪の気持ちを背負ったまま、誰にも相談できなくなる。

子どもは子どもで
「親に迷惑を掛けている」
という気持ちを背負いながら、心を閉ざしていく。

この負の連鎖を断ち切りませんか?

初めから非行に走りたい子なんていないし(一時期憧れはあるだろうけど)、普通に学校に行って友達とワイワイしながら青春を過ごしたいはず。

虐待やいじめも同じです。

初めから子どもを虐待したい人なんていないし、誰かをいじめたくて学校に行く子なんていない。

ましてや子どもに愛情を注ぎたくない親なんて、いないと思いませんか⁉

その原点を、みんな忘れてませんか?

『非行の原因は、親の愛情不足』
そう言うのなら、なぜ愛情不足になったのか?
もっと言えば、なぜ愛情不足だと子どもが感じたのか?

親が愛情を注げない状態にあるのか?(親の課題)
または子ども自身が愛情を受け取れない状態なのか?(子どもの課題)

そこまで因数分解して考えないと、机上の空論で終わります。

原点を思い出せば、子どもが言うコトを聞かない→もっと愛情を注いであげてなんて上辺だけのアドバイスにはならないはず。

『○○だからこうなった』
ではなく、必要なのは
『これからどうするか』


たとえ今までの愛情表現が間違っていたとして、それ故に子どもが非行に走っていたとしても、それ自体を責めたり後悔したところで何も変わりません。

それよりも、これから。
今からどうするのか。

優しい世界を、一緒に考えましょう❣


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