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私の成長記録

ここ最近、第三子の妊娠等もあってバタバタしており、なかなか更新ができない日々が続いていたが、ふと思い立って筆を執った。

私は、今まで散々『毒親』や『機能不全家族』という言葉を使って実家を否定してきたが、実はもう、恨んではいない。

しかし、気を抜くと“恨まなければ…!”という謎の強迫観念に襲われるので、ここに備忘録として残しておこうと思う。

自分だけが見る日記に書くと、どうも言葉遣いが悪くなってしんどくなるので、私の場合、人の目に触れる場所の方が丁度良かったりするのだ。




ーーー『恨んではいない』というのは、だいぶ前から自覚していたことではあった。しかし、なんか認めてはいけないような、意地のようなもので長らくだらだらと恨みの感情を持ち続けていた気がする。

人を恨むのは飽きるし、しんどい。だからこの際、ここに自分の考えをまとめておこうと思う。

殊、妊娠〜出産というのは否が応でも親を連想させる。どちらかというと、母を。あぁ、自分もこのへそで母と繋がっていたのだなぁとか、温かいお腹の中に浮かんでいたのだなぁとか、色々と妄想する。いや、そのどれもが多分事実なのだろうが、実感も記憶もないので仕方ない。

そして、それが罪悪感へと繋がる。私は第二子を出産する前に交流を絶ったので、もちろん母は第三子の存在を知らないし、言うつもりもない。それが、どうしても本能的に?不義理に感じてしまうのだ。

いくら感情のゴミ箱にされたとはいえ、父や祖母に対する政治の道具にされたとはいえ、社会人になるまで毎日ご飯を作ってくれ、洗濯をしてくれた訳で。感謝していない訳では無いのだ。それは父に対しても同様だ。

しかし、それを上回る嫌な記憶のせいで素直にありがたがれ無いというか、そこは自分の青臭い部分なのだろうが、なんとなくストップをかけてしまっていたのだ。

だから、全部言ってしまえば楽なのになぁ、とか一瞬過るのだが、実際はかなり面倒くさいことになるので行動には移さない。こういう時、物理的な距離があって良かったなぁと思う。道でばったり出くわしたりしたら最悪だ。

しかし、『子どもの存在や住所を知らせない=恨んでいる』のではないんだよなぁ、と最近気づいたのである。世の中の、特に日本の親子は心理的距離が近いために、できる限り全ての事柄を共有するのが当たり前みたいな感覚がないだろうか?(うちの母はそうである)

しかし、仲が良くても報告しないことはあるし、別に言わなくていいこともある。子どもの存在だって、自立した面倒くさがりの男性なら親に報告しないこともあるだろう。

つまり、私が言いたいのは、人にはそれぞれ“適当な距離がある”ということである。例えば、とてもラブラブな夫婦がいたとして、その人たちから
「相手のことが好きなら職場も一緒にすべきですよ!!だって、一分一秒でも一緒にいたいじゃないですか!!」
と言われたらどうだろうか?

いや…さすがに仕事くらいは離れて過ごしたいわ(笑)という人がほとんどなのではないだろうか。それと全く同じなのである。

子どもが生まれた事を報告したり、盆正月に顔を見せたりする距離感が丁度いい人もいれば、10年に1度会うくらいが丁度いい人もいるのである。私は、それでお互い上手くいくなら外野が口を出す権利はないよなぁと思うのである。

「いやいや、でもお母さんは会いたがってるんじゃないんですか?」と言われそうだが、実は私は、母親からはっきりと「子どもが家にいないほうが父が落ち着いて上手くいく」と言われているのである(笑)。私のアイデンティティ崩壊のきっかけとなった一つではあるのだが、今は逆に、距離を置く正当な理由の一つとなっている。

若い私は、散々父との緩衝材として側に留め置きながらその言い草はないだろう…とか、何故子どもを産んだのだ?と思ったものだが、今や何とも思っていない。

私は長年、きょうだい児みたいに「母に一番に優先してもらった記憶がない」と思っていたのだが、その感情ももうそろそろ、手放していい時期かもしれないなぁと思っている。

何故なら、私は子どもたちから、毎日これでもかと優先順位1番にしてもらっているからである。

“無償の愛”というのは、親から子どもに対するものではない。子どもから親に対するものなのである。私は産んで初めて、そう理解した。

私はもう、母への無償の愛は枯れてしまったけれど、お互い離れて幸せになろうね、と思っている。今度また重大な事故や病気があった時は、悩むかもしれないけど、今のところ、最後に会いに行って、自分の正直に思っている感謝だけ伝えようと思っている。

母に対しては、毎日のご飯や洗濯、父に対しては、毎日働いてくれたこと。これに関しては、素直にありがとうと言える。

その他の恨み言を言っても、多分、自分の期待する答えは返ってこない。最後くらい、相手には求めずに、与えてさよならしたい。

私も、成長したと思いませんか?(笑)うまく行けば、今年中に3人の母になるので、これくらい達観しないとやっていけないよね。

本当に、日々子どもが私を成長させてくれる。失敗や間違いもあるけれど、子どもは私を許して、またチャンスをくれる。それに甘えず、同じ轍は踏まないように、自分の親よりアップデートした家庭を提供していきたい。







さて、私はこれから先、自分で仕事を作って稼ぎたいと思っている。それも、できるだけたくさん。その上で、『毒親』に育てられた経験を使おうかと思ったこともある。

しかし、どう考えても暗い感じになってしまうのだ。『毒親ビジネス』なんてのも、なんだか胡散臭いし。だから、自分の生い立ちは過去として置いておいて、前を向いて全く関係のないビジネスを作っていきたい。

いつか大きくなった時にポロッと言うかもしれないけど、その時に驚かれるくらい精神的に安定して、成熟した大人になっていたい。

いつかそんなおばちゃんになるため、今日も私はたくさん寝ます。ロングスリーパーなので(笑)。

それでは、おやすみなさい。
また、あした。


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