こうして私は国家公務員を辞めました。キャリアに迷った時に道を切り拓く方法
最近では国家公務員を辞める人も増えたみたいですね。私が辞めた頃は(13年前)まだまだレアな存在でした。
「国の課題解決がしたい!」
そんな熱い思いを持って入省したわたしが、なぜ辞めたのか?
キャリアに迷った時何を参考にし、どのように道を選択したのか?
新たなキャリアを得るために失ったものとはなんだったのか?
この記事は元国家公務員の私のエピソードではありますが、大手企業や今の会社で働いて3年以上経過している多くの人の参考になると思い書いています。
▶新卒入社で国家公務員を選んだ理由
子供の頃から母親に、
「あなたは只者じゃない」
「あなたが地球を救う人になる」
と言われて育った私は、就職先選びの際に戸惑いました。
自分の使命感を満たす職場はどこなんだろう?
理系の大学院で研究をしながら考えていた際に、本を読んでいてピンと着想が浮かびました。「そうだ!日本の課題解決をする国家公務員はどうだろうか?」
そう思ったら即行動!
国家公務員過去問500というオーソドックスな過去問解説問題集を買い、半年間ひたすら過去問と向き合う日々を過ごします。
無事に合格して官庁訪問をし、晴れて採用に至りました。
しかしこの時「働く」ということを特に重くも受け止めておらず、「生きていくには稼ぐ必要が有るから働く」「どうせ働くなら使命感を持って働きたい」「だから自分は国家公務員になって国の課題解決をする!」という青臭く熱すぎる情熱を持って初登庁日を迎えました。
▶初めて辞めたいと思った日
希望と情熱を胸に、初登庁を迎えた日。
8時30分までに来るように言われていましたが、私が到着したのは7時でした。どこにいていいのかもわからず、結局そこから1時間程、人事の方が来るまで待っていました。
その後初めて同期と対面し、会話をしたの時が「あれ?間違ったかな?」と思った瞬間でした。そう、入省して初登頂したその日に「間違った?」と思ったのです。
同期数名と話をしていたときです。
「出身はどこ?」「大学は?」「何を専攻していたの?」と普通の会話をしていると、誰かが聞き始めました。
「なんで公務員になったの?」
その質問に対する同期数名の答えが、熱すぎる情熱を持って入省した私の心をザクザク刺しました。
「え?安定してるからに決まってるじゃん」
安定してるから?当時の私には理解できない思考でした。
今思えば当時は完全に就職氷河期でしたし、同期の思考の方が当たり前の状態でした。彼らからすると、私はあまりにも世間知らずで、あまりに暑苦しい同期だったと思います。
国民の税金で運営される機関で働くからには、プロ意識を持ち、誰にも恥ずかしくない仕事をして、国の課題解決をしたい。そんな風に思っていた自分との温度差は絶対零度と273℃くらい有るように感じました。
この日、私は初めて辞めたいと思いました。
▶もう辞めようと決めた日
「辞めたい」と思ったからと言って、すぐに辞めるわけにはいかない。
なにか一つでも得てからじゃないと。
そんな風に考えて、少し状況を見ることにしました。
色々な葛藤や、辛いこともありました。でも、その都度なにかにやりがいを見出して続けることができていました。
そんなある日、ふと考えていました。
「このまま続けていれば、40代でそこそこの収入になるし、退職金も有るし、これはこれで楽かもしれないなぁ・・・」
そんな風に染まり始めた自分を感じた時、とてつもない危機感が襲ってきました。
「このままでは自分も安定に飲み込まれてしまう
やばい、病気だ。もう早く辞めないと辞められなくなる」
そんな脅迫感に駆られました。
辞めよう。でもどうしよう。辞めて何をしたらいいんだろう?
そんな疑問を懐きながら、週2,3冊の本を読み漁り、とにかく答えを探し続けました。
▶本からのアドバイス「迷ったら180度キャリアを振れ」
そんなある日、こんな本に出会いました。
キャリアショック―どうすればアナタは自分でキャリアを切り開けるのか?
マッキンゼー・アンド・カンパニー出身で、現慶應義塾大学教授の高橋俊介先生が書かれたこの著書にこんな一節がありました。
「迷ったら180度キャリアを振れ」
何を信じ、どうしたら良いのかわからず、ただただ悩んでいた自分には方向性を示す唯一のアドバイスのように見えました。
公務員 から 民間企業へ
行政官 から 営業へ
安定 から 挑戦へ
全てを180度振る事こそが今の自分には必要だ。
そう信じることにしました。
その後の人生を振り返ると、このときの選択は間違っていなかったと胸を張って言えますが、今日という日を迎えるまでの間には、何度か「騙されたかなぁ」と思った日もありました(笑)
いつか機会を作って、高橋先生にはお礼に行きたいと思います。
▶退職交渉がやりづらい?
転職の支援をしていると、たまに「退職交渉がやりづらい」と言い出す方が居ます。そういう方が所属している会社は確かに古くからある大手企業で、退職者も少ない、退職交渉のやりづらい会社に居ることも多いです。
また家族も、大手企業で働いていて「これ以上良い環境はない」「安定していて幸せ」と感じていて、変化を恐れるバイアス(現状維持バイアス)が働いていることも多いでしょう。
退職交渉がやりづらい気持ちはわかります。
しかし、私が所属していた組織よりも「退職交渉がやりづらい」事は無いのでは?とも思います。
私が課長に「辞めたい」とお伝えした際に、課長はこう言いました。
「うん。わかった。あなたの人生だから応援する」
「でも、誰にどう手続きしたらいいのかな・・・?」
そうなんです。辞める人があまりに少なくて、上司も辞め方がわからない。まさに「辞めづらい」職場でした。
退職交渉が進んだ後も
「転職先企業と本省の過去5年間の取引状況を開示せよ」
と、こんな若手が天下りであるわけも無いのに、天下り禁止の省令に則って手続きを強いられ、本当に辞めづらい職場だったと思います。
▶まとめ
キャリアを切り拓くには、時に自らの意思で物事を前進させる必要があります。もしかしたらそのことで誰かを傷つけたり、何かを失うことになることもあります。
私も安定を失い、上司を傷つけてしまったかもしれません。
それでも「餞別に」と1万円を手渡ししてくれた課長のことはおそらく一生わすれません。課長はこの後リクルートで苦しみ自殺を考えた私を救った命の恩人の一人でもあります。
リスクを取って勇気を出し、道を切り拓く努力をしたからこそ今の自分があります。
新しい選択にリスクが有り、勇気が必要なのはいくつになっても変わりません。是非あなたも、自分の心に正直になり、自分のキャリア(人生)を自分の手に取り戻し、挑戦していく勇気を持って見ませんか?
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