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母が亡くなって断捨離をした理由

物に宿る思い出

私は母が亡くなってから、断捨離をしました。なぜかというと?家具や母が使用していたものを見ていると、辛くなるからでした。
一緒に使っていた食器、着ていた服、写真、読んでいた本、毎年の年賀状、小さな小物、あらゆるものです。
それらのものがやはり目に入るのです。そうすると、どうしても思い出が蘇ってきます。思い出が悪いわけではありません。しかし、その思いでは、その時は

母はもういない

そのことがより強調されるような、そんな思いが強くありました。「あ〜そっか、いないんやな〜」って感じて、一人で辛くなっていたのです。
この食器でよくカレー食べてたな
このお鍋でよく煮物を作っていたな
この服よく着ていたな
この服きてよくおでかけしていたな
このメガネかけてよく新聞よんでいたな
毎年年賀状を誰にだすか整理していたな
何をみても、母のことが思い出されてきて、その当時は疲れてしまうことがありました。
物には、思い出が宿るな、けっこう鮮明に思い出されるなと思いました。

8割断捨離しました

思い切って断捨離をしたのです。8割は大袈裟ではなく、かなりすっきりさせました。大きな家具は捨てれないけど、服・食器・本・着物・手紙・写真・箱など結構あらゆるものです。

一回目
二回目

今見返しても、まだまだ思い出が蘇ってきます。これらに囲まれてこれからも過ごしていくことがちょっと耐えられない感じがしたのです。
だって、見るたびに思い出しますから、どうしても。

なぜ断捨離したのか?

もしかしたら、見方によったら断捨離をするなんて思い出を捨てることになる、そんなふうに思っておられる方もおられるでしょうか?私はそう感じてないのです。片付けをしていると意外なことがわかりました。

あっこんな物もとってあるの?

と思うことがありました。
母も看護師でしたが、昔の白衣や学生の時の制服もありました。
ご友人や結婚式でもらったであろう食器がありました。
こんなに着物もってたんやな〜ってぐらい着物を見つけました。
昔私が小学生の時なんかによく着ていた服が綺麗に置かれていました。
虫食いの乾燥剤が毎年交換されているようでした。
写真には一言一言その時の思い出が描かれているものもありました。

片付けをしながら、母と対話しているようでした

特に看護学校の制服が置いてあるのには驚きました。置いてある場所も、ここは見ないな〜という、棚の上の方の奥に綺麗に畳まれて置いてありました。大事にしていたんやな〜と、その制服からも伝わるものがありました。そんなこと、母は生きていることき何もいってませんでした。制服をもってきていることも言ってなかったですし、私が知らない間に、制服を畳んで、しまったり、着物に乾燥剤を置いたり、いただいた食器を整理したり、していたんだなって、初めて知りました。なんとなくですが、母と会話しながら、片付けをしているという、そんな感覚でした。

私が物を見て思いが蘇るように、母が服や食器をみて蘇っていた想いを一緒に感じているような感覚でした。一緒に片付けをしているような感覚になっていました。

写真や手紙

これらはやはり思いが詰まっていると言うか、普通に捨てることはできなかったのです。焼ける場所があればいいなとは思いました。なんとなく焼くとうまく昇華できるような感覚があります。でも、田舎でもないし、焼ける場所ってありません。どうしよう?って調べてみると、

このようなサービスを見つけました。こちらにお願いすることにしました。ただ全てものを送ったわけではなく、厳選しました。
1枚1枚写真を見て、感じて、これは置いとこうか、これは昇華してもらおうか、感じながら分ました。
写真は本当に思いが伝わるなと感じましたね。もちろん、写真をみて
ここ行ったな
楽しかったな
へ〜小さい時、こんな写真も撮ってたのか
と初めて知ることも多かったです。
結局何枚だろう?アルバム10冊+α、箱に数百枚わけきらないものがありましたが、1冊に収まりました。本当に、厳選しました。

不思議なことがありました

ものすごい数の断捨離でした。もちろん重たいものもありましたし、服も何枚も重なるとかなりの重量です。それを1階の車庫にとりあえず運ぶ・袋に詰めるけっこう重労働でした。夏でしたし、余計に体力がいりました。団社に1週間程かかりました。ず〜っと断捨離していました。朝から晩までです。上の階と下の階をどれだけかわからないくらい往復しました。ある日写真をみていて、寝てしまっていました。疲れていたんですね。母が「さちえ」って呼ぶ声で起こされたのです。「あっ寝てしまってた、今、絶対起こされたな」って感じました。なんとなくやっぱり側にいてくれているなって感覚をリアルに感じた瞬間でした。

断捨離は対話すること

物を断捨離するって、酷なことではなく、亡くなられた方と対話することだと思います。もちろん言葉では感じなくとも、伝わるものは必ずあります。それは生きておられる時よりも、よりリアルに感じることもあると思います。母も学生の時に着ていた制服を置いてあるなんて私に言ったことなかったですし。だからこそ、素直にその感情を感じることができます。

できれば後回しにしない

じつは49日おわってからしようとかな?と考えていました。物が大量でしたから。けど、じっくり向き会うためにほぼ3週間仕事を休ませてもらって、その間に行いました。仕事をしながらだと、49日終わっても結局、できていないだろうなと今でも思います。その物と対話する・向き合うってけっこうエネルギーも使います。しかし、亡くなったご家族様や大切な方との向き合う貴重な時間です。エネルギーをかけてじっくりと取り組むとても大切な時間だと思います。

なぜ断捨離をするのか?

亡くなられた方の思いに素直に触れる機会になります。言葉よりもリアルに感じることができます。ご家族や大切な方だからこそです。断捨離は思いを捨てることではなく、亡くなられた方の思いに素直に触れる・感じる、そんな機会になります。
そして、現代は忙しく、後でしようと思うとおそらくなかなかできません。また老老介護などの問題もあるので、物理的に困難というかたもいるでしょう。しかし、行えるのであれば、ぜひ後回しにせず、仕事を休まれて取り組まれてほしいと思います。とても貴重で大切な時間になります。


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