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自己啓発みたいになったウケる

世の中のことは大体のことが「ウケる」か「ウケない」に分類される。している。

何を考えているか分かんなーい、って言われる私の頭の中の大枠は所詮そんなもんだし、そのマインドをベースに考えるとあらゆることに対する自分の置かれた状況や感情、相手に伝えたいことを整理しやすくなる。私の人生は今のところウケることを軸に構成されているのだ。


頭の中にギャルを1匹

私は頭の中にギャルを飼うことで確固たるスムーズな回路を確立している。というのも、「え、なにそれウケる」とか「ヤバいじゃん」とか、そういう言葉が私の目の前に現れる様々な事象のハードルをぐんと下げてくれるから。ギャルは安易になんでもやれちゃう。

世の中の大体のことはヤバいし、ウケることはやりたいし、その結果ハッピーになるならそれはもうアゲでしかない。

そんなこと言ってると大人からもっとちゃんと考えなよとか、決断におけるマジョリティー的な正解を押し付けられたりするのだが、「ウケる」か「ウケない」かだったらウケる方が絶対におもろいし、その選択の方が後悔がなさそう。というかおもろい道を選ぶ選択肢があるのにわざわざウケない道を選択するための理由を探す作業が、私の頭の中のギャルにとってはどうもめんどくさいらしいのだ。

だからとりあえずやっちゃって、何か起こったらその時に考える。そんくらいで良い。

悩んで、悩んで、やらなかったことで後悔する人はよく聞くけど、やってみて「やらない方がよかった」ってなってる人もほとんどが今普通に生きていらっしゃるわけだし、だったらやってみてから「もーマジやんなきゃ良かった!最悪!」ってくらい振り切った後悔をしたい。ギャンブルとか殺人とかはちょっとやだけど。


Disce Gaudere

"ディスケ ガウデーレ"と読むこちらの言葉はラテン語で、「楽しむことを学べ」と訳される。
私が大好きな言葉で、現代人が超大事にするべきマインドだと思う。

小学生とか中学生の頃に、「楽しむこととふざけることは違う」って言われてから、そうだと思ってきたし似て非なるものであることは分かる。けど、じゃあふざけることがダメなことなのかと言われたら、そこに対しては疑問だ。ふざけ方を知らないまま大人になってしまったら、とんでもなく生きづらいんじゃないか。

「え、なにそれ、めっちゃウケる」
が緩和させる相手と自分へのプレッシャーやテンションのかかり方は、他の言葉にはなかなか置き換えられない。あ、もしかしたら「ヤバい」もそうかもしれないけど、ヤバいはなんだかもっと深刻なニュアンスにも捉えられちゃうかも。

「楽しむことを学ぶ」ためには、置かれた状況や自分自身の思考と現状を悲観するだけでなく、多少の欠点があってもそれを"ウケる"と捉えることで自分と周りの人間の心にかかる負荷を軽減させることが必要なのだ。


「誰かのために」はあんまりウケない

若い時の苦労は買ってでもしろという言葉があるし、「最近の若いもんは」とか言われちゃう世の中だけれど、やりたくもないことをやるためにしんどい道を選ぶのは時間の無駄なんじゃないか。私は、「やりたくない"けど"、これが誰かのためになるなら」とか、「やりたくない"けど"、いつか報われる」とか、やりたくなくてもそれが何かの・誰かのためになると思って動いてしまうタイプの人間だったし、安易に過去形にできないくらい今も他人由来の努力をしてしまう傾向にある。

ただ、誰かに認めてもらいたいが故の努力はだいたいウケないのだ。優しいねとか、すごいねと言われることはあっても、やっていておもしろかったか、楽しかったかと言われると私はYESとは言えない。「楽しかった"けど"」になってしまいやすい。自分が汲み取って欲しかったものと違う形で解釈されたり、周りから見た時に「やりたいからやってるんでしょ?」とむしろ迷惑かのような捉えられ方をされた時、私は今までの努力やかけた時間が全て無駄だったんじゃね?って思って病んだし、楽しかった気持ちまで霞んでしまった。

「これやるの面白そう」「ウケるからやってみよう」くらいの気持ちで始めたものだったら、周りからどんな意見が来ても大体のことは自己責任で片付く。「だって私がやりたかったし」とか、「あーちょっと違ったかな〜」とか、それをよりウケるものにする原動力が他人に由来しないことは、何をするにも大事なことだ。

自分の中のわくわくややりたいに忠実であること。そしてその中で生まれた"何かを乗り越えるための苦労"を、自分のために、自分がやりたいことのために解決していくこと。自分を認め、満足感を得るためには根底に自分が納得できるフィールドがないとうまくいかないだろう。


人生マジウケる

思いの外長くなったのでそろそろ締めたいんだけど、特にオチがない。うーん。

こういう思想を人に話すと、一見すごいポジティブで合理的な人間に見えるが、私は全然そんなことはなくて、むしろすごくネガティブな面も考えすぎてしまう面も持ち合わせている。でもそんな自分も嫌いではない。

考え込んでしまう類の人間が全てメンヘラという言葉で安易に括られてしまうが、メンヘラの何が悪いのだろうか。私は自分が病んだり考えている時のことをメンヘラと言われることが多いが、もしそれがメンヘラだというならメンヘラ上等だ。なんかこれで違うnote書けそう。

メンヘラと言われ続ける人間が、より自分に寄り添って自分と共に生きるためのファーストステップが、「ウケる」か「ウケない」論であり、人生も割とウケることの連続だから私は生きている。noteだって、ウケるからやっている。

ウケない自分をウケる自分に変えること、それが私が生きやすくなるための手段であり、当面のミッションだ。

ああもうだめ、ウケるがゲシュタルト崩壊してきた。良かったら右下かバナーのハートを押して「スキ」をお願いします。ウケる。

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