マガジンのカバー画像

創作の糧(皆様の気になった記事を紹介)

98
ライティングや創作のヒントになるような記事。特に再読したい記事をスクラップしています。素晴らしい記事を集めています。ご参考になれば幸いです。
運営しているクリエイター

2021年5月の記事一覧

夜がやまない

かみころすあくびはあまい香水とたばこのにおい 夜がやまない 真夜中の電車の音が遠くからきこえて長い旅だったこと ひっそりと逢瀬をかわすこの夜をつめにまぶたに記憶しながら いいわけはいいわけのまま浮気した理由をずっと聞かされている まだ恋の物語ではないでしょう?古い新聞折り曲げながら 気にすれば気にするほどにするすると崩れ始めるお団子ヘアー こいびとのつめのどひたいことごとくゆだねてしまうおおきなからだ あまやかな膜をゆっくり剥がしおえ食べる夜中のバアムクーヘン

香川で本気で俳句しています

 香川で会社員をしながら、現在6つの超結社句会(うち4つは通信句会)を開催しています。  句座の対等性を維持するために、どの句会も「特定の俳誌(結社)への勧誘一切なし」という方針で運営しています。  俳句は「継続」することが最も大切。実作は20年、句会の運営は10年ほど継続。私が運営している句会に興味を持たれた方はご一報くださいませ。 (プロフィールと句会の詳細↓) https://site-1906708-8669-539.mystrikingly.com/ 

大島幹雄 『日本の道化師/ピエロとクラウンの文化史』

☆mediopos-2385  2021.5.28 西洋のクラウン(道化師)の歴史を辿りつつ それが日本にどのように受容され展開してきたのか それを現在に至るまで概観したのが本書だが たしかに日本ではクラウンではなくピエロであり それは西欧におけるピエロのことではない ピエロのルーツは イタリアのコメディア・デラルテの召使役である ペドリーノがフランスへと渡り ジャン・バチスト・ドビュローという 天才的なピエロ役者によって永遠の存在となったという マルセル・カルネ監督の映

なんか怒られるかと思ってたんだけど

や、なんか、まいぬ(合ってる?)さんが、人生は私を裏切ってくる。って書いてて、面白いな。と思ってメモしてたら、フォローしてくれたんだけど、俺はべつに面白い人間じゃないが。まあなんか思い出したのはモトカノで、俺ずーっとモトカノひきずってるけど、なんか結局俺、(モトカノ、)捨てたんよな。悪いとこは滅茶苦茶あって、親戚disってくるとか、田舎の家ベタ褒めするとか、トロフィーとかを見て、なんか使ってないみたいだから私にちょうだい。って言ってみたりだとか無茶苦茶で、次女なんだよなあ。俺

今回小説を書いていて幾つか反省点があって。①大暴れの展開にしたいのに書く体力が無くて平和に治めた。②思ったような言葉が出てこない。③久しぶりに挫折しかけた。でも1度諦めると癖になるから最後迄書いたけど。 悪い事は言わん。恥と文章は体力のあるうちに散々かいたほうが良い。

ソーダ水について

こんにちは。ictmと申します。 私は、夏の季語であるソーダ水がときどき飲みたくなります。 それは、ソーダ水が喉を通っていく感覚にさわやかさを感じるからです。 今回は、角川学芸出版編『俳句歳時記第五版夏』 角川学芸出版、2018年 75頁75頁に載っている「ソーダ水」という季語について紹介いたします。 「炭酸ガスを水に溶かした、発泡性清涼飲料水。無味のものをプレーンソーダといい、 一般にはこれに種々のシロップを緑や赤の色を付ける。」 次に「ソーダ水」という季語が 使われ

私とよく似たあなたへ:塩見恵介句集『隣の駅が見える駅』

読後、何とも朗らかな気持ちになれる一冊。 「自分の毎日もそんなに悪くないじゃん」と 肯定したくなる親近感のある世界が 17音の中に広がっている。 私は季語を独自の方法で生かすことが 俳句作品の重要な一つの要素と考えているのだが、 塩見氏は「ユーモア」という上質な持ち味により 私たちが知っている季語の表情に新たな魅力を付与している。 さらに、俳句を知らない人も共感できる、 わかりやすい言葉による表現も作品に明快さと説得力をもたらし、 日常生活のワンシーンや感情、人間関係などを

俳の森-俳論風エッセイ第24週

百六十二、作者の視点今回は、山口誓子の句を手掛かりに、作者の視点と句の迫力について考えてみたいと思います。 夏草に汽罐車の車輪来て止る       山口 誓子 掲句の迫力はどこからくるのでしょうか。それを考える手立てとして、原句の「汽罐車の車輪」を「蒸気汽罐車」に変えるとどうなるか、考えてみたいと思います。 夏草に蒸気汽罐車来て止る 如何でしょうか。多少の迫力は感じられるものの、原句のもつ、いままさに汽罐車の車輪が近づいてきて、眼前に止ったかのような迫力は消え失せてしまうでし

長谷川櫂『俳句の誕生』

☆mediopos-2373  2021.5.16 正岡子規が唱えた 俳句の方法としての「写生」は 「対象への凝視、精神の集中を要求する」ものだが 著者の長谷川櫂によれば 「集中ではなく」 「心を遊ばせること、いわば遊心こそが重大」だという 「人間の心は遊んでいるとき、自分を離れ」 「はるか昔に失われた言葉以前の 永遠の世界に遊んでいる」からだ 矛盾する表現になってしまうが 写生は「言葉によって失われた永遠の世界を 言葉で探ること」だというのだ さて子規の後継者を名

「千年前の言葉の生まれ変わり」に出会った話

言葉は生き物だ。 次々に生まれて、しれっと変化して、ひっそりと死ぬ。 もちろん、私とて生き物であることには違いないので、日々変化しながら生きている。 言葉の世界で生きる自分の変化として大きかったのが、「若者言葉が分からなくなった」のを自覚したこと。 中高生が通う塾で働いているため、身近には若者言葉が溢れている。 生徒が授業の感想を書く紙があるのだが、そこには個性豊かな若者言葉が並ぶ。 そして、いつからかそれについていけなくなった自分を自覚した。 今までは、若者言葉(含:

短歌における「省略」について

短歌を分析して言語化出来るタイプの歌人には、俺の短歌は「省略がうまい」とよく言われる。それは結果としてできた短歌にはたしかに当てはまっているのだが、省略という手順を踏むと、実はこのタイプの短歌はできない。とはいえ、神秘化するほどの話でもないので簡単に説明する。 たとえば報告書のような形式においては「5W1H」などが重視される。いつ、どこで、誰が何をしたか、といったことを、要素を漏らさず書かねばならない。したがって、社会的には人間の言語活動は省略を「しないように」矯正されがち

俳句

僕はもう今は広島県にいるけど、出身は愛媛で、正岡子規とか夏目漱石の話が沢山出るけど、この前、文学館に行ったら、正岡子規は1700の句を残したけど、一番良い句は 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 で、今までになかった。と言ってて、松山にいる時は15万石の城下かな。だろ。と思ってたんだけど、松山はやたら坊っちゃん、坊っちゃんで、一番売れたのはこころなのにな。まあ愛媛らしい作品は確かに坊っちゃんだけど。 山頭火は 種田山頭火は まっすぐな道でさびしい がベストらしく、ベストって言わない

俳の森-俳論風エッセイ第23週

百五十五、独善句になっていないか自分だけにしか分からない句を独善句と呼ぶことにします。もちろん俳句は他人に読んでもらうことを前提に作るわけですから、はじめから独善句を作ろうなどという人はいないはずです。 けれども、結果的に独善句ができてしまうのは、何故なのでしょうか。その理由は簡単にいえば作者の勘違いということになりましょう。ここでは、例句をもとに、独善句について考えてみたいと思います。 電柱を丸呑みにして葛咲けり       金子つとむ 心根のやさしき人や月今宵     

わたしの本棚105夜~「隣の駅が見える駅」

 この春、ご恵贈いただいた句集です。鮮やかな黄色が綺麗で、ぱっと目をひく装丁です。甲南高校国語教師をはじめ、元船団の会副代表などのたくさんの顔を持つ著者の第三句集です。帯に~平成を駆け抜けた「船団」時代を総決算。初夏というよりは「惜春」を思いたい。初秋の風を身にうけながら「夏の果て」に心を寄せて~とあります。 ☆「隣の駅が見える駅」塩見恵介著 朔出版 1800円+税 あとがきによると、句集のタイトル「隣の駅が見える駅」は、神戸の阪神電車にはこのような駅があって、いつも私は