涼野海音(すずの・うみね)

香川在住の俳人。句集『一番線』。俳句四季新人賞、村上鬼城賞、受賞。開催中の句会(通信句…

涼野海音(すずの・うみね)

香川在住の俳人。句集『一番線』。俳句四季新人賞、村上鬼城賞、受賞。開催中の句会(通信句会もあり)http://site-1906708-8669-539.mystrikingly.com 読書ブログ http://suzunoumine.blog.fc2.com/

最近の記事

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受賞作と活動歴

 今日は俳句や写真でなく、私の受賞作(ネットで公開されているもの)や活動歴のリンクを自己紹介代わりに貼る。 第3回石田波郷新人賞↓ http://www7a.biglobe.ne.jp/~kimono-ins/03-isida.html 第4回星野立子新人賞↓ https://hoshinotatsukoprize.jp/archive_category/fourth/ 第一句集『一番線』(文学の森)より。(現在、作者の手元に残部なし)↓ https://iron

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    自学自習の芽が出るかー俳句は自得の文学

     ある落語家は、3年以内に、入門者の資質を見て「落語家になれる見込みがないから、そろそろ辞めなさい」と引導を渡すことがあるそうだ。  私は、出入り自由の超結社句会を運営しているが、各人の俳句の資質がよく分かる。俳句に向いていないのは、句会以外での勉強が習慣化できない(自学自習の芽が出ない)者である。  いずれ生活環境の変化(転居、家族の介護など)にともない、対面式の句会には年に何回も参加できなくなる。この時に、自学自習の習慣が定着していない者は、郵便出句にスムーズに切り替

    自学自習の芽が出るかー俳句は自得の文学

    つき過ぎ、月並、類想

     指導基準・選句基準が低い句会では、「つき過ぎ」の句、「月並」の句、「類想句」に点が入りやすいから、要注意である。    地方の小句会では、結社・句会の会員を増やすために、指導基準・選句基準を下げていることもあるから、特に要注意である。厳格な選句眼をもっている選者なら、以下のような句は、ほぼ選ばない。 船を降りるとき船虫の散り散りに (つき過ぎ) 「船」と「船虫」がつき過ぎ。 短冊に願いはみだす星祭(つき過ぎ) 「短冊」と「星祭」がつき過ぎ。 日溜まりを独り占めして福寿

    つき過ぎ、月並、類想

    吟行時の昼食:徳島ラーメン

    吟行時の昼食:徳島ラーメン

    現代俳句の問題点

     かれこれ六つの超結社句会(通信句会を含む。実費のみ)を運営して、はや10年近くになる。 https://site-1906708-8669-539.mystrikingly.com/  毎月、約130名分(大勢が結社の所属者)、600句近くみて思うことは、以下の問題が顕著であること(所属結社・所属句会の外部から、問題点の指摘を受けなければ、存外気づかないのかもしれない)。  これらの諸問題の原因を深く掘り下げれば、きっと一冊の本が書けるだろう(残念だが、私にはその時間

    月並句と類想句は取らず

     残念ながら、地方の俳句大会では「作為が見えすぎる句」(月並句)、「古すぎる句」(類想句)ばかり。  どの程度、投句者の方が気づいておられるか、気がかりである。この傾向を改善するには、相当の時間が必要であろう。句会でも俳句大会でも、私は、以下のような月並句・類想句は、真っ先に落としている。   土筆摘む母の思ひ出摘むやうに   山門の仁王の眼青嵐   永遠に咲くことのさみしさ水中花   国宝の寺を抱きて山眠る   石垣を残して鳥の帰りけり   仏塔に諸行無常の秋の声

    月並句と類想句は取らず

    地方俳壇の現状ーベテラン俳人の他界

     地元のある協会のベテラン俳人の逝去を最近知ったが、その方が幹事や代表を務めていた句会のメンバーはどうなるのだろうか。高齢の古株のメンバーの大半がこれをきっかけに句会を辞めるだろう(俳句も辞めるかもしれない)。最近入ったばかりのメンバーはまだ句会に残る可能性がある。  ベテラン俳人が若年者を後継者指名をしていた場合、その後継者は、前の指導者より選句や指導を甘くしないと、句会のメンバーが散っていくのを止めることができない。句会としての「形」だけは、当面どうにか維持できるだろう

    地方俳壇の現状ーベテラン俳人の他界

    新しい詩情をー日記俳句を超えて

     ある短歌結社に所属している若い友人が、「上位の欄になるほど歌がつまらなくなる」、「上位の欄は、詩情や発見の乏しい年配者の歌が並ぶ。まるで老人ホームのようだ」と嘆いていた。俳句結社も同じではないか、と私は危惧している。  句歴が長くなればなるほど、感動の希薄化、写生の瑣末化、発想の類型化に陥りやすい。「五・七・五にただ季語が入っていれば良い」という考えでは、単なる日記俳句になるから、注意しなければいけない。「新しみは俳諧の花」(『三冊子』)という芭蕉の言葉を忘れてはならない

    新しい詩情をー日記俳句を超えて

    北鎌倉の明月院の紫陽花

    北鎌倉の明月院の紫陽花

     若手がいない句会

     「若手」とは、ここでは一応「50代」ぐらいまでとしておこう。 (60代ぐらいが若手といわれる句会も地方ではあるが)  70代~80代ばかりの句会では、古い句の方に点が入る傾向があり、このことにより一層、若手が句会に参加しにくくなる(他結社の句会と掛け持ちできない句会や郵便出句が全くできない句会には、最初から若手は入ってこない)。  古い句とは、たとえば以下のような句である。 山門の仁王の眼~〜〜 ~~~の賽銭箱へ桐一葉 色町に残る祠や~〜〜  私は、古い句に点が入る

    俳句大会はオワコンか

     私は、句歴約20年。ここ数年間は、いくつかの俳句大会で選者をしたり、運営に関わったりしている。残念だが、大半の俳句大会で、投句者は減少傾向にある。一体その原因は何だろうか。

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