新しい詩情をー日記俳句を超えて

 ある短歌結社に所属している若い友人が、「上位の欄になるほど歌がつまらなくなる」、「上位の欄は、詩情や発見の乏しい年配者の歌が並ぶ。まるで老人ホームのようだ」と嘆いていた。俳句結社も同じではないか、と私は危惧している。

 句歴が長くなればなるほど、感動の希薄化、写生の瑣末化、発想の類型化に陥りやすい。「五・七・五にただ季語が入っていれば良い」という考えでは、単なる日記俳句になるから、注意しなければいけない。「新しみは俳諧の花」(『三冊子』)という芭蕉の言葉を忘れてはならない。


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