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生物多様性を経済学の視点から考えてみる:「ダスグプタ・レビュー」について

2021年2月、「生物多様性の経済学:ダスグプタ・レビュー」と題する610ページの超大作が英国財務省より公表された。このレビューは、本年開催されるCOP15やCOP26といった、生物多様性・気候変動に関する国際会議に向けて、生物多様性に関する知見をまとめたものだ。

な〜んだ、よくある報告書ね、と侮るなかれ。同じく、英国財務省の委託によって2006年に刊行された「気候変動の経済学:スターン・レビュー」は、二酸化炭素排出による経済的ダメージを算出し、将来のダメージを妥当な範囲に抑えるのに必要な炭素税を計算するなどして、気候変動に関する議論を大きく進展させたことで知られている。

同じように、今回のレビューも今後の生物多様性に係る議論を理解する上で重要となるだろう。でも読むには長いし、難しいし、邦訳もされていないし、という方のために、以下に(1)なにが問題なのか、(2)なんで問題が起きたのか、(3)どうすればいいのかを軸に解説する。

なにが問題なの?

我々人間は、自然が提供してくれる「生態系サービス」を享受して生きている。例えば生態系は二酸化炭素濃度を一定に保ったり、土壌の流出を防ぐことに役立っている。これら生態系サービスを実現する上で、「生物多様性」が重要だ。ここで、生物多様性とはシンプルに、地球上の生物(動物、昆虫、植物など)の種類や数の多さを指すこととしよう。

生態系は様々な生物の共依存関係のもとで成り立っているため、生物種が減ったり、偏ったりすることで調和が崩れてしまい、生態系サービスの低下につながる。また、金融資産を分散投資させることで、リスクを減らすことができるように、生物種が多様であることで、熱波といったショックに対する生態系の耐性、回復力を高めることができるのだ。

だが、人類が20世紀に入り急激な経済成長を遂げる中で、生物の多様性は急速に失われてきた。現在の生物種の絶滅率は、過去数千万年の平均的な絶滅率の100〜1,000倍高いとされている。また、例えば哺乳類のうち、96%は人類および家畜が占めており、いわゆる野生の動物はわずか4%しかいないということも衝撃的だ。

このまま生物多様性が失われ、生態系が壊れてしまうと、砂漠化などで人間が住める環境が減ってしまったり、農林水産業が十分に行えないことで食糧危機が起きるなど、計り知れない人道的被害が起きることが懸念されている。特に、自然環境の変化はある地点を境に加速度的に劣化(非線形性)してしまうことや、一度劣化し始めたら簡単には元通りにならない(不可逆性)という性質があることで、差し迫った問題として考えられるようになった。

なんで生物多様性が失われてきたの?

では、なぜ今まで生物多様性が失われてきたのか。それは、生態系の変化に気づくことが難しく、日常的に意識されない存在であるために、その社会的な価値が考慮されることなく経済活動が進められてきたからだ。

経済学用語でいえば、外部不経済による市場の失敗が原因だ。また、生態系の価値を計算することが難しいために、外部不経済の内部化が難しいことに加え、農林水産業へ補助金を出すなどで、作物の画一化や乱獲に加担するという、政府の失敗が生じた。

ここまでは高校の政治経済でも習いそうな内容だが、面白いのはここからで、そもそも、既存の経済学を見直さないと場当たり的な対応しか取られず、根本的な解決にならないと訴えている点が印象的だ。例えば、既存の経済学の考え方を踏襲すると、気候変動問題への対応にみられるように、炭素税といった税金さえ設ければ経済活動を今まで通り続けられて万事解決といった思考に陥る。

このように、自然環境と経済活動を区別して考えるのではなく、経済活動が自然環境に深く依存している(embedded within nature)という発想への転換が必要と主張している。

生物多様性を回復させるためにはどうしたらいいの?

具体的に、既存の経済モデルの何を見直すのか?(1)財やサービスなどの生産量は生態系の「量」と正の関係にある(生態系が減少すれば生産も減少する)、(2)技術革新をもってしても、生態系を生産物に変換できる比率は無限ではないの2点だ。

その帰結として、(ア)生産活動を行う際に生態系に及ぼすダメージはゼロにできない、(イ)生態系に及ぼすダメージは生態系の回復力と均衡しなければならない(均衡しないと、生態系が次第に失われていくことで生産活動ができなくなる)ことを導き出した(さらに興味がある方は本編の第4*.2章をご覧ください)。

え?そんな当たり前なことを今更言ってるの?と思うかもしれない。と同時に少し疲れたかもしれない。質問に答える前に、一旦ラーメンを眺めて気を取り直そう(ケンブリッジのIttou Noodle Barより)。ちなみにこの豚骨ラーメン、日本円にして1500円くらいでした。。。まー、美味しかったけど。

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では気を取り直して、当たり前そうなことを言っているが、そう単純な話でもない。(1)の生態系を経済モデルに取り込む点について、経済モデルは、説明したい事象に一番関係しそうなこと以外は捨象することで力を発揮する道具であることを理解する必要がある。これまで不景気や金融危機や貧困の克服といったことが差し迫った問題であったので、これらに直接影響しなそうな生態系を経済モデルで考慮しなかったことは仕方がないとも言える。

(2)の生態系を生産物に作り替える変換率が無限ではない点については、物理的な世界が有限な中で、創意工夫といった技術革新によって無限の経済成長を遂げることができるのか、という問題と関係している。

例えば、18〜19世紀は「人口論」で有名なマルサスに代表されるように、食料資源の開発に物理的な限界があることなどで、経済はあるところに収束する、すなわち経済成長にも限度があると考えられていた。だがその後、技術革新に伴う西洋社会の急激な経済成長によって、その主張が間違いであったことがいわば証明された

なぜなら我々人間は、資源が希少になれば、それを克服するように代替手段を開発することで難を逃れ、経済成長を続けてきたからだ。例えば、化石燃料が少なくなってくると、再生可能エネルギーや原子力を開発することで、エネルギーを確保することに成功してきた。同じように、今後も技術革新によって自然環境から取り込む資源を最小限に抑えながら経済成長を続けることができるという考えもある程度理解できるだろう。

この主張に対して本レポートでは、熱効率が100%を下回るので永久機関はあり得ないという熱力学の法則と同じように、技術革新をもってしても自然の資源から無限に生産物を作り出すことはできないのだ、ということを地球科学の知見を参照しながら反論しているのである。

このように、(1)、(2)を経済モデルに取り込むことによって、生態系に及ぼすダメージと生態系の回復力を均衡させるように経済政策が運営されるようになり、生物多様性の回復につながることが期待されているのだ。

おわりに

おわり?今の話、全然解決策じゃないじゃん!と思うかもしれない。私もダスグプタ教授の話を聞きながら同じように思った。

一応もっと「解決策っぽい」こともレポートにはあって、大まかに(1)生態系の強化に努める、(2)経済指標を見直す、(3)教育や金融といった制度・システムの改革が挙げられる(ここでは細かく説明しない)。

だが教授曰く、政府やシンクタンクが経済政策を考える上で日々用いる経済モデルを変えることがより広範な影響につながる、ということらしい。もっとざっくり言えば、政府が魔法のような政策を打てば万事解決ということはなく、意識改革が必要だと主張している。

そして、その意識改革に基づいて行動する指針を、経済モデルという形で示した点が最も重要に思う。なぜなら、これまでの話は言ってしまえばラワースの「ドーナツ経済学」と似ているが、大きな違いは経済モデルという政策担当者が使う言語に翻訳したということだ。国民に対する説明責任のある政策担当者からすれば、生物多様性って大事だよね〜といったふわっとした議論で行動はできない。経済モデルがあって、そこにデータを当てて、具体的な数字に落とし込んでいかないと政策を打てないのだ。そういう意味でこのレポートは特に面白いと思う。

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