邪道作家第9巻 銀河帝国物語主義 物語には人種無し
前書き
ウケの悪い作品はどうするのかって?
無論、知らん。売れそうなものだけ勝手に売れればいい。個人的には「執筆」という行いそのものが「連続してしか行えない」ので、無駄という概念とは無縁だ。
仮に傑作Aの後に駄作Bがあるとする。しかしだ••••••結局のところ駄作Bがあるから傑作Cが書けるのであって、そういう意味では無駄など無い。
まあ読み手は勝手なものだ。そこは知らん。
そういえば、女を主人公にして人間失格を無理やり描けば売れるのではないかとかよく分からない試みもした気がする。あれも意味があったのだろうか?••••••
無理やり「らいとのべる」とやらを「官能小説風」で書けば、売れる要素を無理やり打ち込めば売れるんじゃないのかとやったこともあった。何故か官能、というか読者受けしそうなエロ要素はすぐに消え、警察組織の批判に始まりライオットショットガンで邪魔者を撃ち殺す話になったが。
果たして、アレらに意味があったのかは謎だ。
だが、あると思っておこう。それだけならタダだ。
大体が書き上げてから、ですら既に10年だ。今更人の批評など知らん。
自分でも内容を覚えていないものに対して、さらによく知らん奴らの評判なんぞ、一体どこに何を感じればいいのだ?
確認する、かどうかも謎だが、仮に見るとすれば売上だけだ。
他は知らん。そも、私はこういうサイトを使わない。
一巻の後書きにも書いたが、そもそも知らんぞ。そういうのは編集者がいればやるがいい。
ふむ、とりあえず••••••理想のアイドル作家とでも思っておけ。
そして勝手に妄想と交流しろ。
決して、殺人鬼の如き作家ではない。ウケが悪そうだしな。やはり美少女アイドル作家とか、ロリペタ武士道少女とか、そんなのでいいだろう。
そういう事にしろ。逆らう読者は叩き潰す。
全て、編集部の意向だ。私は全く、悪くない。
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「生きる」という事は「殺す」という事だ。
何かを、あるいは誰かを踏みつけにし、それを己の糧にしなければ、生物は生存できない。悪意は何かを奪い取れるが、善意は余裕がなければ何の役にも立たないからだ。
「邪魔者」を「始末」する。
これは、何も私に限った事ではないのだ。別にそれで罪悪から逃れるだとか、そんな殊勝な事を考える人間、否、非人間では無い。私は、確固たる事実として「殺しこそが人生」という「事実」を、作家として取り上げたいだけだ。
面白いからな。
人間というのは不思議な生き物で、そういう事実からは目を背けたがる。「良い人間」で在ろうとするのだ。私には理解し難いが、周りの誰かに己の事を「悪」だと、思われることが耐えられないらしい。偽悪的に、というか悪人ぶって開き直る訳ではない。私は己が悪かどうかなど、己で定義して己で定める事柄だと認識している上、悪だと迫害されたところで「私個人の利益」が確保できてさえいれば、社会的な道徳などというクソの役にも立たないゴミを抱えて死ぬよりは、遙かに良い結果だろうと思える人間だ。
罪悪感から逃げるだとか、開き直って自己肯定能力が高いとかではなく、そう思えてしまう人間、否、非人間であり、またそれで構わないと思っている。
私の事は私が決める。
だから一向に構わない。
私から言わせれば、だが、悪も善も人間が勝手に言っている概念でしかない。そんなモノはこの世界のどこにも存在さえしないのだ。有りもしないもので行動はともかく、思想を縛られる覚えもないからな。
無論、社会のルールから外れる訳でもない。むしろ私はそのルールに則った上で勝つことに血道を上げている存在だ。問題なのは異常性ではなくその異常性を上手く隠した上で、社会に適応し、金を稼ぐことだろう。
何かを踏み台にする事や、何かの死体の上で物事が成り立っている現実から目を逸らすなど、生きる事から逃げている事に他ならない。生きる事は殺す事で、殺す事は生きる事だ。何一つ犠牲にせず手を取り合った未来など、妄想を通り越して傲慢だと言えるだろう。
そういう人間が多いのは、この世界は思想や信念に関係なく「金」があれば生きていけるからだ・・・・・・大昔ならともかく、現代社会では精神的な頑強さや、物事に対する強かさは、必要ない。
金が有れば誰でも生きていける。
豚でも猿でも人間でも。
金こそが全てだ。
万能の力の前では、小綺麗な理屈など紙よりも薄っぺらい。資本主義社会において金よりも尊いモノはどこにもなく、金よりも信頼できる存在もまた、どこにも存在しない。
しなくていい。
その方がわかりやすいしな。
有りもしない道徳を押し売られても迷惑だ。無論道徳などと言うのは金を持つ存在が決める事柄なので、結局のところ「持つ側」に回らなければ道徳も価値観も倫理観も全て、押し売られるモノでしかないのだが。
金が有れば何でも買える。
品性すらも。
買えるというだけで、正直買ったところで意味がないのだろうが、現実に力を持つというその事実から、皆目を逸らそうと必死だ。
家族も仲間も友人も恋人も組織も手下も全て、金があるからこそ成り立つ関係だ。人間が金で買える存在である以上、金で買えない時点で、それは人間の理から外れている、とも取れる。
人間はどんどん死ぬべきなのだ。資本主義が人間社会を構築する以上、生きていて良い人間と、駄目な人間は確かに存在する。私は後者のレッテルを貼られながらもあれこれ試しはしたが、正直無駄な結果しか生んではいない。
金が有れば生きていて良いし、金がなければ、否、金にならなければ存在価値など無い。ならば逆説的に「持つ側」こそが「幸福の権利」を持っているとも取れる。
それ以外取りようが無いと言うべきか。
正しさや道徳というのは、「味方するモノ」の存在の数で決まる。それは社会全体であったり、個人であったり、金の力で付けることも可能だ。私のように何一つ「味方」がいなければ「異端」となるのは明白だ。そして、それらは大概が金にならないものだ。
金にならない。
正しく、ない。
正しさなどどうでも良いが、どの正しさが優先されるかが金で決まる以上、どうにも成らないことだけは確かだ。他の方法でそれを変えようとしてきた私が言うのだから、間違いないだろう。
全て金だ。
金で決まる。
殺人すら、簡単に消しされる。
虐殺は「仕方が無く」なり、陵辱は被害妄想になる。誰か代わりの人間に罪を覆い被せられる。 犯罪は犯罪でなくなり、むしろそれこそが正義だと言い張れる。戦争を起こしても賞賛され、人道を外しても正しくなり、倫理観を買える。
あの世ですら金次第だ。天国にいけるかどうかなど「持つ側」かどうかで決まる。余裕のない持たざる人間が、善行などという暇つぶしを、やっていられるとは思えない。
金、金、金だ。
善悪など、金で買えるということだ。
その程度、考えるに値しない。
どうせ金で買えるのだから。
どちらが正しいかなど、金額で決まる。
札束の多寡が決めることで、個人であれこれ考える事案ではあるまい。
人間は、金で買えるのだから。
皆、本当の現実から、目を逸らしているだけだ・・・・・・金で買えないモノなど無い。
真実など貫くのは美しいが、美しいだけで、何の力も持ちはしない。真実よりも事実だ。実利という力こそが、人間を豊かにする。
金も持たない人間の幸福など、理想を歌っているだけだ。歌うだけなら誰でも出来る。現実にそれを実行できた人間など、誰もいないのだ。
銀貨で人を売るのは当然のことだ。
当たり前すぎて指摘する気にもならない。
息を吸って吐くことに、お前達は疑問を抱くのか? 私は抱かない。それが当たり前だからだ。 とはいえ、それだけでは「生きている」という事を、人間は認識できないらしい。生きている実感とは、生きている事そのものとは「別」だからだろう。
だからこその作家業。
だからこその物語だ。
ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、豊にし充実させる為にも、書いて読むことは切り離せないらしい。個人的には、背負った業などさっさと忘れて、適当に生きるつもりだが。
中々、思うように行かない。
それもまた「生きる」という事なのだろうが・・・・・・こうも毎度では、うんざりする噺だ。
生きる上での免罪符、と考えるべきなのだろうか? まぁ、免罪符などと言うのは、私からすれば利益を堂々と貰うための方法でしかない。こそこそしながら実利を得るか、堂々と免罪符の力で金をもぎ取るかの違いだ。労力の多寡でしかないことだ。
罪も悪も善も正義も、当人の心の中にしか存在し得ない。ならば現実に即した利益を追求することが、狡賢い大人の選ぶ道だ。
道徳というのは自分が良い人間であるのだと、そう思いこむためにどっぷり浸かっているだけで、結果的には麻薬中毒者と変わらない。
道徳におぼれるか薬に溺れるの違いだ。
私はそんなモノに興味がない。
少なくとも私は「人間」として見られたことが一度もないので、正直今更理解したところで、否感じ入ったところで無意味そのものだ。人間の価値基準は、化け物には縁遠い噺だ。
人間か。
人間など、一人もいなかったが。
私からすれば、あちらの方が化け物だ。いいやもっと質の悪い「何か」なのだろう。どうでもいいがな。人間社会とは不思議なもので、人間らしくない奴隷こそを求める。その一方で人間らしさの素晴らしさを説き、他者に強要する。
とどのつまり己の都合以外など何一つ考えておらず、どころか私のような利己主義よりも性質が悪く、それでいてそれを自覚しない。
そんな「モノ」が人間なのだろうか?
だとすれば、下らないモノだ。そんなくたびれた害悪を、求めるなどどうかしている。
だから私は非人間で一向に構わない。
化け物の方が、幾らかマシだ。
何より自由だしな。少なくとも、狂気を向かわせる方向に関して言えば、だが。
作家など、そんなものだ。
まあ在り方などどうでもいい。それに満足して充足できればいいのだ。「健康」で「豊か」に、それでいて「ささやかなストレスすら許さない、平穏なる生活」を成就できればいい。
社会的な道徳観を維持しつつ、折り合いをあわせて「自己満足の充足」を得るにはこの方法が最上だと言えるだろう。
だからこそ金だ。
金で幸せは買える。
少なくとも、この「私」には。
道徳とか倫理観だとか善悪だとかは、それに比べれば利用する対象でしかない。どう金に替えられるか、それ以外に使い道などあるまい。道徳も善悪も社会も倫理も人間の心すら、この世のどこにも存在さえしない虚構でしかないのだ。民主主義も差別も戦争も、実際的にはどこにもない。ただそうであると思いこんでいるだけだ。
お前達がそこにあると思うから、見えるのだ。 ただのそれだけだ。
わたしにとって「人間性」はその場に併せて使い分ける小道具でしかない。どう仮面を被り直すことでどう利益が出るのか? 重要なのはそこだからな。
あろうが無かろうが関係ない。
金だけが真実であり、力だ。
それがこの世の有様だ。
価値観や都合を押しつけ合うこの世界で、そんなモノは有ろうが無かろうが同じなのだ。金が有れば通るし無ければ通らない。己の都合を押しつけて、誰かに不都合やこちらに都合の良い価値観や倫理観、道徳を押しつけることを、現代社会では「立派な人間」と呼ぶのだから。
ならば逆説的に金以外に重要性はない。
金だけ有ればいい。無論、奴隷としてこき使える人間がいることは前提だが、どの時代でも呼び方が違うだけで奴隷はいる。
だから金で幸せが買えない時代はない。
可能な限り「目立たず」に静謐な一時を堪能し嗜好品で自己満足し、金の力で他者からのストレスを軽減しつつ、それでいて社会と折り合いを付けつつも適度な娯楽で満足し、自己満足の充足を得ながら、豊かさを享受して、生きる。
これ以上の方法が、むしろ有るのだろうか?
賢い、と言うよりは強かな生き方だ。そして実利を得るにはこれが一番合っているだろう。
劣等感や負い目を抱かない私にとって、いや私のような非人間でなくても、「それ」こそが最もストレスの少ない、それでいて自己満足の充足を得るのに相応しい方策だ。豪華な装飾品を飾らねば満足できない手合いには、「燃費が悪すぎる」以外の言葉が見つからない。
この世に、この世でなくても「偉さ」などただの錯覚でしかない。私か? 私はただ傲慢なだけだ。自身を偉いなどと思ったことはないし、思う奴もいないだろう。
いても困るが。
成功しているのではなく、むしろ彼らのような一般的な「成功者」気取りのモデルケースは、非常に生きていくことが困難だ。私のように金が余っているときにそれを楽しむのではなく、豪華な飾り物がなければ劣等感に押しつぶされる。
息苦しい奴等だ。
金は使うモノだ。使われてたまるか。相手が何であれ使う側に回る方策を練らねば、どこにも勝ち目など作れまい。
人間性というのはそういう「弱さ」も助長するのだ。そして、デジタル社会は人間の弱さを助長するのに非常に役立っている。ネットで呟かれた誰が言ったのかも分からない下らない戯れ言の為に、大の大人達が株価を下げたりする。
馬鹿馬鹿しい限りだ。
デジタル社会に使われ、金に使われ、弱さに振り回されて、己で何一つ判断できず、それでいて救われて当然だと思う民衆。はっきり言えばこんな連中は滅んだ方が世の為だ。人の為に何かを行うと言うことは、社会にとっては不合理なモノに金をつぎ込むだけだからな。
人を尊重すれば社会が疎かになる。それをやりすぎたわけだ。誰もが誰かを支え合う事を美徳とし、行きすぎた尊重でも「道徳的に正しい」と判断できれば己で考えずそれを「正しい」と思いこむ社会。その結果がこれだ。
お前達はそれでいいのか?
まぁ、いいのだろうが。良いと判断しているからこそ、こんな社会構造が成り立っているのだしな。それにとやかく言うつもりは無い。言っても無駄なモノには私は言わない主義だ。疲れるだけだからな。社会が下らないゴミをもてはやすならば、私はそれを売ろうとするだけだ。社会の変化に、あるいは退化に、私は関係がない。
支え合いという偽善は、結局のところ誰かを利用したいという願望の現れだ。それを直視もしない奴に、何を言おうが無駄だろう。
それを見る人間は少ない。
見ていない人間の方が、儲かるからだ。
ならば私もそちらに混ざろうというのが、自然な考えと言えるだろう。最も、その試みは再度失敗し続けているので、やるだけ「無駄」って気もするのだが。
視線を変えただけでは意味がない。それを実行できる力がなければ。あるいは、力ある存在を利用できる舞台が必要だ。
私にとってはそれが物語だ。
是が非でも売らねばならない。
だからこその「作家」だ。
社会と折り合いがつかないのはある種、当然だろう。折り合いのつく作家など聞いたことがない・・・・・・その必要もあるまい。
アンドロイド達にとっては、そうでもないらしいが。アンドロイドというどうしようもないくらいに生物の法則から外れた存在であることに耐えられず、「人間の記憶」を自分に植え付けて、自身を人間だと思いこんで生きるアンドロイドも少なくはない。金があれば何でも買える世界では、アンドロイドが人間に成る権利すら買える。
自身を人間だと思いこんでいるだけなのか、それとも元々人間なのか、区別する方法は、もうないのだ。アンドロイド達が創造性を作り上げてからもう大分経つ。彼らは「感情移入」が出来るようになっている。つまり彼らが我々に成り変わって動物の世話をし、隣人と共感を覚え、それを共有することで社会を形成することを、資本主義経済は許している。
社会は人間の為にあるのではない。何時の時代でも、社会を形成するに相応しい有能な存在に対してのみ、効力があるのだ。それが人間でなくなったところで、誰もそれを買えることは出来ない・・・・・・金がなければ尚更だ。
生きる上で「人間性」などオプションパーツのようなモノだ。余裕があるから欲しくなる。能力的に余裕のあるアンドロイドが人間性を求め、人間が能力を求めるのは当然の答えだろう。
金があればいい。
金だ、金。
金以外に、大切なモノなど有りはしない。
それは社会も同じだ。だから、案外金を持つアンドロイド達が過半数を占め、その内「自分を人間だと思いこむ」ように記憶を埋め込み、やがて全人類、否、全てのアンドロイドが人間に入れ替わり、自分たちこそが「人間」だと定義する時代は、意外とすぐそこへ来ているのだろう。
事実として、すぐそこにある未来だ。
金はわかりやすい力であり、世界は力を中心に回っている。社会の中ではそれが「金」というモノへ置き換えられるだけだ。社会的道徳も、結局のところ金の動きに影響されて、作り上げられるモノでしかない。この世界には何一つ真実など存在さえせず、あるのはただ「持つ者が勝つ」というわかりやすい「現実」だけだ。
デジタルの普及で人間は遠くに足を運ぶ必要も無くなり、金があればどこか遠くの事柄すらも、その手に出来るようになった。まぁ当然の事ながら、幼い人類には過ぎた力であることは変わりないので、それによって身を滅ぼす奴も多いが。
私なら使わない。
精々日常の遊びくらいだろう。
生活の一部として、あるいは仕事に必要不可欠なデバイスとして、デジタル社会を取り込むことは、端から見ていれば危なっかしい限りだ。有用な部分を見る人間は多いが、それがどれだけ危険かを考える奴は非常に少ないからだ。
失敗から学ぶ、という言葉があるが、厳密には学ぶ奴もいれば、学ばない奴もいるのだ。私は失敗から学んだりしたが、私から言わせればこの社会形態で「失敗から学ぶ」事に意味などない。形ある成功しか、誰も見はしないからだ。そして、失敗を知らず成功のみを積み重ねた赤ん坊のような人間こそが、この社会では簡単に勝利する。
失敗から学び、先へ繋げるなど、今や悪い冗談でしかないのだ。電脳世界、この果てのない海の中では「失敗」などありふれている。それを見て「学んだかのように」自己満足すれば、それで何か成長したような気分になる。無論そんなのは付け焼き刃以下、だが、それで成功して勝利できる要領の良い人間が金を得るのだから、誰も実体験から何かを学び取ろうとはしない。
薄っぺらい言葉、信条、誇り、そういったあれこれが溢れているのだ。そして、中身があろうが無かろうが関係ない。この世界は、電脳世界の海が広がったその時から、要領や運、才能などと言った「持っているかどうか」だけを助長し、それを活かす世界に成り果てたからだ。
それが事実。
ならば、そのやり方に併せて勝利する以外に、方策はどこにもない。だから、私は金を使いこなすが、私の傑作は「本物過ぎて」売れないのだ。 元々自己満足が出来ればいい存在だが、だからといって幼児が書いたような本が売れて、私の作品が売れないのは正直忌々しい限りだ。私は金に困ったことは一度もないが、だからって私の成し遂げた結果が金にならないのは、屈辱でしかないからな。
金だけではなく、充足も欲しいのだ。
何より、私は「作家」という生き方が、すでに染み着いている。幾ら金があろうが、それ無しで充足感を得るのは、不可能ではないが、簡単な方法がそこにあるのだから、それを利用しようと試みるのは、ある種当然の話だろう。
「己の道は己でしか決められない」誰かに道を預けたところで「進むべき未来」を見失うだけだ・・・・・・だが、己で目指した道が、必ずしも金になるとは限らない。むしろ、己で選べば選ぶほど、その道には「困難」が付きまとうものだ。
それが「良い事」なのか? それは分からないだろう。だが、善悪ではなく己で決めることだ。そこに後悔はない。理不尽に対する憤りや、不満が募るだけだ。
それもまた、「未来」へ進むための原動力と成るのだろうと思うと、皮肉でしかないが。
「運命に打ち勝つ」には「己の道を歩む」事が必要不可欠だ。だが己の道を歩くと言うことは、この世のあらゆる安全から背を向けて歩いていくということなのだ。安心や安全、あるいは幸福を求める為に、それら全てと相反する道を歩かねばならないというこの矛盾。やれやれ参った。我ながらどうも、割に合わない選択を選びすぎたようだ。だから、作家なんぞをやってしまっているのだろうが。
それもまた、一つの選択か。
逆に、己の道を己で選ばず、どころか、誰か関係ない人間の悲劇をあたかも己が経験しているかのように共感し、それを救う為ならば人を殺すことも「やむなし」と考える人間の醜悪さは、実におぞましいものだ。
どこかの誰か、あるいはそれが貧困地域、ないし未開発区域の人間であったとして、それを涙しながら語れば、何でも許されると思っている。
馬鹿馬鹿しいことに、そういう奴は多い。
善意に酔っているだけの癖に、一人前に道徳の為に己は行動し、それは肯定されるべきだと、そう考えそれを押しつけるのだ。図々しいことだ、そんな浅はかな人間の考えが、金や立場によって通るのだから、それもまた、社会における問題点の一つなのだろうが。金は素晴らしいが、それを持つ人間が素晴らしいかは別の噺だ。
いずれにせよ、「困難」というのは打ち砕くだけでは駄目なのだ。打ち砕いたところで、また別の困難が待っている。それでは意味がない。
「克服」さえしてしまえば、理論上困難は困難そのもので無くなる。「困難そのものを克服できる強力な何か」を、誰もが求めて生きている。
それこそが人生のテーマだと、私は思うのだ。 生きる、ということなのだと。
そう思う。
私の場合「困難な運命」そのものを「支配」しようと試みてきたが、どうも上手く行かない。ともすると乗り越えてしまえば過去の遺物であり、こうやってあれこれ考えていることが無駄なのだろうかと、思ったりもする。
分からない。
分かるはずもないが。
だが、それでもやるしかないのだ。私が私の道を歩むために、それはしなくてはならない。
それが、私の道なのだ。
困難な運命を「味方」に付ける事も考えたが、やはり現実的ではない。無論それで得るモノもあったが、私は別に「成長」したい訳ではないのだからな。私に訪れた数々の「困難」は確実に私自身の精神を「成長」させたが、だから、何だというのだ・・・・・・困難な運命を味方に付ければ、その先にあるのは数多くの「試練」だ。人間的に成長したいなら、それによって「幸福」を定義したいなら話は分かるが、私は非人間で、経済的な豊かさと平穏と自己満足くらいしか、必要とするモノは無いのだ。
この世で最も人間から遠い「化け物」が、人間的な成長をしているなどと、笑い話だ。
いや、笑えない。
それで私の豊かさが阻害されるなら、だ。
形はどうあれ「成長」しているのは確かだ。それに伴って「己の信じる道」を歩いていることもまた、確かな「事実」ではある。しかし、あくまでそんなモノは自己満足でしか無く、現実に豊かさをもたらすのは「金」だ。
精神的な充足はそういった事でしか得られないのだとしても、だからって金のない未来など御免被る。私は成長というのは端から見れば美しいが現実にそれをしたところで得られるモノなど何もないことを、良く知っているからだ。
嫌というほど知っている。
何もない。
ただ、道義的に美しいだけだ。
そんなモノに価値など無い。
それこそ、他人が勝手な自己満足を行うだけではないか。そんな事に興味はない。あくまでも、この「私」の豊かさの為、私は動いている。
それらは両立できるしな。
わざわざ片方だけこなす必要もあるまい。
少なくとも、私には出来る。
その確信がある。
皆揃って「標準的な道徳」などという有りもしないモノに金を使いすぎなのだ。彼らは、同胞意識というのか、自分たちを「合わせて」いなければ夜も眠れないのだろう。その点、私は全人類と価値観が違おうが、何一つ問題ない。
きっと、私は名実ともに「人間ではない」のだろう。そう思う。生物学的にどうの、という以前の問題だ・・・・・・同胞に感情移入できない、というのは「動物」ではあり得ない。クラゲとか蛸ならばともかく、感情や自意識を持つ生物ならば、あって当然の標準装備だろう。
人間ではないから、人間を配慮しない。
それだけの噺なのだ、きっと。
それを悲観も楽観もしない。私は世界がどうあろうが、金と平穏と自己満足の充足で、己の満足感と平穏なる生活を維持するだけなのだから。
それ以外に興味はない。まぁ、興味が沸いたらその時、また考えればいい噺だ。
実に些細な問題でしかない。
少なくとも、口座の残高に比べれば。
抱える問題、という点では、精神的な何かはすべからく、己の内で解決できるモノだ。そんなモノに拘泥するほど暇でもない。
アンドロイドは自分たちの事を「ネジと同じ、型の付いた量産品だ」と嘆く奴が多いが、私からすれば人間も同じだ。型番が付いていない、というだけの噺でしかない。
最近のアンドロイドにはもう、区別する為の型番などないしな。区別は差別と同義だと、どこかのアンドロイド保守派団体が叫んだらしいが、まぁ、どうでもいいことだ。
人間でもアンドロイドでもない「何か」である私には、何の関係もないしな。
便宜的に「化け物」と呼ぶのが正しいのか? まぁ、呼び方などどうでもいい。問題はあくまでも、私が何であれ、金の多寡でしかないのだ。
全ての問題が金で解決できるよう、全ての問題は金から発生する。忌々しいのか皮肉なのか。恐らくは後者だろう。
自分を人間だと思いこむアンドロイドの世界。
それなのか? むしろ、彼らの方が人間から外れているのだろうか。だとすれば、やはり人間性など役に立たない。「人間」というのは概念論であって、そんな高潔な生き物はどこにもいないからだ。私も、彼らも、誰も彼もが。
どちらが正しいのか? それは所詮当人達の納得でしか決められないだろう。だが馬の後ろに立てば蹴られるって位には確実に、この世の真実、否、事実って存在は姿を隠しているのだ。
それを暴くのも、また作家。
私の仕事、のようなものだ。
とはいえ、資本主義社会では別に「成長」しなくても天寿を全うできる。そういう人間は多い。無論私からすれば羨ましい限りだ。したくもない部分を成長させ、苦難や苦痛から何かを学んできた私からすれば、だが。
何せ、死ぬ寸前に後悔していればいいのだ。
その方が楽ではないか。
まぁ今更そんな事を考えても意味はないので、これは思考実験ですらない。どうでもいいことだ・・・・・・成長しているかどうかなど、しようがしまいが何一つとして「結果」には関与しない。
物事の過程・・・・・・意志や苦難の道そのものには大した意味はないし、価値もない。それを後々どう捉えるかでしかない。そして、過去というのはどうとでも捉えられる。
全ての物事には等しく、意味も価値も有りはしないものだ。悲劇も喜劇も大差ない。問題はそれをどう捉え、己に解釈するかでしかない。
だが、だからといって金にならなくても良い理由にはならないのだ。それを見逃してしまったら「物事の本質」ばかりを重要視しても、大切な実利を見逃してしまうだろう。
無論、体裁だけを整えればいい訳でもない。社会的に高度な組織になればなる程、実体は幼稚なごっこ遊びだったりする。それは物事の本質から逃げて、「それらしさ」に拘った結果だろう。
物事の本質。
それを見る人間も、随分減ったが。
必要が無くなれば、当然か。
これは本質を見誤ったその「果て」を知る為の物語だ。心して読むといい。
人間は幾らでも許容できるという「事実」を。
1
私は一人馬に乗って、荒野を駆けた。雨の中を突き抜け、それでいて先に見える「標的」を見据えて、前へ進む。
暗闇の荒野に希望などない。だが、無くとも進まねば道など切り開けまい。それが私の歩んできた「道」であり、心構えだ。
希望も真実もどこにも存在しない。存在しないならば己で作り上げるしかあるまい。様々な道が我々には与えられ、その中には光しか射さないような輝かしい道を歩く人間もいるのだろう。だが私は暗闇の中で産まれ暗闇の中に生き、そして暗闇の中で勝利を掴もうとしてきた。ならば、希望も真実も私には必要ない。この暗闇こそが私の味方なのだ。いや、暗闇が私自身なのか。
何もない。
だが、そう在ろうとする事は出来る。出来るだけでは噺にならないので、それを形に変えようとしているわけだ。我ながら笑えない。私はこんな希望的観測で動く人間ではない。むしろ、この現状に満足感を抱く必要などどこにもないと、そう強く考えている。
だが、それでも暗闇の荒野はそこにある。
ならば、歩を進めるしか、道はない。
消去法だが、生きることは元からそうなのだ。安全な道、輝ける道を歩ける側は、座れる椅子が限られている。未来を見据えれば誰だって、暗闇の向こう側を信じるくらいしか、出来ることはあまりない。精々、日々の準備に腐心する位だ。
そして道を開くのに必要なのは、決して「道義的な納得」では、無い。この世に完全な正しさなど存在しない。その現実を見据えた上で、己の選んだ己の道、その自己満足で自分自身を良しと、笑えるかどうかなのだ。
大昔から「男の道」には「困難」がセットで付いてくるらしい。誰が決めたのか知らないが、迷惑な話だ。いずれにせよ突っ張れば良いというものでもない。虚勢を張るだけなら女でも子供でも赤子でも出来る。問題は、向き合うかどうかだ。 向き合って、そしてその上で「勝利」しなくてはならない。「勝利」なくして「栄光」は無い。それは「敗北」だ。栄誉が良いだとかそんなちっぽけな噺ではない。
己で定めた己の道。
それを突き通せるか否か。
生きる上で障害は必ずある。それでも尚、突き通したまま死ねるのか? だが、男らしさみたいなモノに興味はないし、何より「男の道」って存在は「実利」から最も遠い。だから嫌いだ。
嫌いだが、しかし避けては通れまい。この暗闇の荒野を越え、そしてそれから先も、私はこの道を開拓するか、途中で力つき倒れるかだ。無論、私は倒れてやるつもりは更々ない。
生きて、勝利し、実利を掴む。
これは「私」が決めたことだ。覆る時は、私が敗北し、死ぬ時だけだ。
そうでなくては面白くないしな。
生きる上でいいハンデだ。
この程度、どうとでもしてやるさ。
金にならなければそれも中々様にならないが、私は別に様になりたいわけではない。問題は、この道の先が「希望」に続いているかどうかだ。
続いていると良いのだが。
こればかりはそう思いこむしかない。
私は「金銭があれば便利」だとは思っているがそれに「不安」を感じた事は一度もない。作家として、一人の人間として、己自身の道に「確信」を持っているからだ。
確信。
この道が「己の道」だという、確信だ。
実際、これ以外に私には「道」など有りはしなかっただろう。それでいい。別に構わない。私はこの道を行く。そして、邪魔する奴がいるなら、全て「始末」する。数が多いというなら幾らでも「滅ぼして」やろう。殺し合いに理由など必要ない。動機が無くても私は殺せる。無論意味もなく人を襲ったりはしないが、それが必要ならば、必要なことをするだけだ。
邪魔者がいる。
ならば殺す。
それだけでいい。
作家として歩むべき道と、男として生きるべき道は、きっと同一なのだろう。まぁどうでもいいがな。私は別に男らしく在りたい訳でもない。個人的な平穏と豊かさ。欲しいのは、いや、必要なのはそれだけなのだから。
偶々、生きる上で避けられないだけだ。
避けられないなら、克服するまでだ。
しなければ「勝利」は無い。
「己の運命」を組み伏せなければ、人間は先に進めないのだ。先か後ろかなどどうでもいいが、「それ」が私の「豊かさや平穏」の障害になるならば、排除することに何の支障もない。
何か愛するモノだとか、己の道に対する誇りだとか、そういう「情」を「持つことが出来ない」私には、得るべき何かなど真実無い。だが、実際ただひっそりと暮らす、というのも、それはこそこそ逃げている、ということになるのか?
わからない。だが、個人的には私はそれでも良いのだ。何か大きなモノに打ち勝ったところで、そんなのはただの自己満足でしかない。しかしだ・・・・・・勝てるならそれに越したことはない。
無論、勝つことで何か得られるなら、だが、一応検討しておくとしよう。己の運命、己の道に、勝利を収める、ということを。
その程度、既に済ましているのかもしれないがまぁ「ついで」だ。考えるだけなら金はかからないからな。成長することにあまり興味は無いが、それは私が成長できない人間だということには、決してならないのだ。
必要に応じて、するまでだ。
幾らでも。
無限に。
そして、それすらも利用して、私は私の道を、精々輝かしく豊かで平穏に飾ってやるとしよう。 それが私の選んだ「選択」なのだから。
自分が今歩いている道が「正しい」か「そうでないか」は己で決める事なのだ。誰かが肩代わりしてくれることは絶対に無い。己で土を踏みしめ前へ進み、今までの己とこれからの己を、信じる他方法など無い。
そして、己を信じるのに根拠など必要ない。
己で選び、歩いてきたのならそこに「後悔」はあり得ない。「後悔」が無ければ省みる事も、また無いのだ。悪か善かはこの際どうでもいいのだ・・・・・・己で己を信じられるか? それは法や社会を越えたところで「己で定める己の法」だ。誰に何と言われようが、その道を歩いたなら己の道を疑うのは、意味のないことだ。
もし通じなかったなら世界に見る目が無かっただけだ。そう思うしかない。少なくとも、世界などというちっぽけな観客に、己の価値を定められる内は、まだまだ青いのだろう。
私がそこまで到達できているのか? それは計りようがない。いや、己で計るべきことか。ならば私はこう言うだろう。「とっくの昔にやり終えている」と。
そんな些事に悩めるような生き方はしていないと、そう確固たる自信を持って、言える。
それだけでも今までの遠回りに価値は有ったのかもしれないが、しかしそれと預金残高とは噺が別だ。精神的に幾ら充実しようが、それは世俗的な豊かさと因果関係がない。
ならば両立させるまでだ。
出来るかは、正直わからないが、しかしやるしかないのだろう。とんでもなく難しい気もするが何、私は不可能を悠々と可能にする非人間だ。
不可能を可能にするのは慣れている。
そうでもなければ私はここまで来なかった。
などと、大げさなだけかもしれないが。
帰る場所などいらない。世界の全てから拒絶されても構わない。問題は金だ。
この「私」が満足できる結末が有ればいいのだ・・・・・・肝要なのは「納得」ではなく「満足」だという点だ。それが王道でなくても知ったことではない。この「私」が重要なのだ。
その他大勢の都合など、知ったことか。
気にする理由は微塵も無い。
それに、わたしからすればその二つは同一の存在だ。満足が出来れば納得出来るし、納得できれば満足できる。いや、現状は「納得」だけか。ならここに「満足」を加えれば解決だ。
さて、精々金になる道を進むとするか。
「突き進むまで」だ。その結果私が滅ぼされるのか、あるいは世界が屈服するのか。勝率は今のところ零だが、それを百に変えてやればいいだけの噺だ。
むしろ・・・・・・百の勝率を手に入れた「後」私は今よりも「弱く」いや、強い弱いなどどうでもいいのだ。今よりも「衰えて」しまうのか? だとすれば用心してかからねば。別に精神の成長に興味はないが、だからって好き好んで落ちぶれる趣味など無い。
どこまでも果てしなく。
先へ、進む。
それが「私」であるべきだ。
その方が、面白い。
面白い方が、良い。
その他大勢に笑われるくらいで、ようやくスタート地点に立てるのだ。そもそもが、その他大勢が認めるということは、つまり凡俗の証ではないか。それでは意味がない。
道を歩むとはそういうことだ。だが、忘れてはならない。その道が奈落へと通じていて、あっさり「死」へ追いやることを。私も精々心がけるとしよう。
そして、私は「人間」の生き残り、その集落のような一時凌ぎの集落に、馬を向かわせた。
今回の「依頼」は侵略者の「始末」だ。
2
「効率的な支配について、どう考えますか?」
女はいつも通りに境内にいた。この女が何者かはどうでもいい。私にとってはその着物姿の女が私に「寿命」と「富」そして「作品のネタ」を提供できるというのが重要なのだ。
だが、一応付け加えておくと、彼女は普通の人間にしか見えない姿形をしていた。そのまま大学生達のキャンパスライフに混ざれそうだ。着物姿だから、きっと何かの祭事に見えるだろうが。
「支配そのものが、既に効率的ではあるまい」
「確かに、そうですね」
ですが、と女(確かタマモと言ったか)はどうせ掃除したところでキリの無い枯れ葉を掃除しながら、私に問うのだった。
「それは実に簡単ですよ。相手の生態系ごと、丸々「乗っ取って」しまえばいい」
「何の噺だ」
これを、といって紙の媒体(今時珍しい。機械の無いこの地球以外では、博物館でしかお目にかかれないだろう)を差しだし、私はそれに目を通した。
ニューロイド。
無脊椎動物に恐らく分類され、生物に寄生。相手の神経細胞を乗っ取り、そのまま肉体を母胎とすることで活動可能。二十年前に347銀河系にて観測され、以降、その地域との連絡は途絶。
危険生物リスト登録生物。
「何だこれは」
「エイリアン、とでも言えば分かりやすいでしょうか? 異星人そのものは大分前に観測され、それでいて交流も有るのは知っていますね?」
「いいや、知らないな」
私はテレビも、ラジオも見ない。ニュースは見るが、それは最低限の世情を把握しているだけであって、別に宇宙人関連の情報に詳しいわけではないのだ。
「詳しくは、知るつもりもなかった」
どうでもいいしな。
いようがいまいが、通帳残高とは関係ない。
「貴方は相変わらずですね」
「当然だ。「金」は「この世界の価値の基本」なのだ。「基本」を理解しない奴に「価値」は作り上げられない。金の価値を軽んずるとは、この世界全ての「価値ある何か」を否定するのと同義だと言える」
「とにかく・・・・・・ただの異星人とは違います。生物兵器、いや「生態系破壊」を目的とした平気ですね。それが自我を持ち、侵略を始め、文明を乗っ取ったところで、今回貴方にお鉢が回った、ということです」
「そんな連中を、どうして放っておいた」
「誰でもそうですよ。誰かが何とかしてくれると思っています。けれど現実にはどこの国も及び腰で動かず、結果放置され、私のところへ連絡が入るのが遅れたのです」
「そうか」
まぁ事情はわかった。問題は、私にそこで何をさせたいのか、だろう。しかし、皮肉な噺だ。化け物であることを隠して、社会に順応しようとするニューロイド、生物兵器を他でもない「私」が始末する依頼を受ける、というのだからな。
「その詳しい調査、及び原因の「始末」です」
「原因というのは?」
「これです」
言って、今度は個人のデータを取りだした。見るとそこには「トニー・チャックマン」という名前のコメンテーターについての詳細が書かれている。読んでみたが、どうやら人間らしい。
「それが今回の始末対象です」
「ただの人間なのか?」
「いいえ。人間を乗っ取ったニューロイドが、情報の発信源として選んでいるようです。詳しいことは現地に行かなければわかりませんが、反抗する勢力へのプロパガンダ、といったところでしょうね」
「エイリアンが情報操作とはね」
嫌な時代になったものだ。いや、ここは時代に置いて行かれそう、だと評するべきなのか。
どんな時代で有れ、私の生き方は変わらないしまた、変える気も、無いのだが。
「彼らの目的は人間の精神と精神の「間」に住み着き、道徳や倫理観をコントロール、そしてそれらを自分たちにとって都合の良いように書き換えることのようです。精神生命体に近い、有機的ではなくむしろ電脳的な生き物でしょう」
取引に置いて重要なのは「信頼」と「信用」だ・・・・・・信頼出来る相手でなければ裏切られて全てを「フイ」にしてしまう。信用がなければ情報を信頼できず、いざというときに身動きがとれないだろう。
この女はどうやってか、これほどの情報を仕入れている。好む好まざるに関わらず、情報はこの女から仕入れるしかあるまい。
「自身達の恩恵を受けない人種には原人レベルの文化、受ける選択をした連中には最新鋭の科学を授けているようですね。それでいてこの銀河系においては、ですが・・・・・・人間社会をほぼ完全な形で、掌握しつつある勢いです」
「古典的な「見えない侵略」というわけか」
「彼らの保有する軍事力、武装したスーツの中に「ニューロイド」という 電脳生命体の「端末」とでも呼ぶべき生物が、身を隠しており、それで遠隔操作を行っているようです。彼らの目的は人類文明の間接的な支配であり、それによる「人体実験」否、人類全体を使った「生態系の操作」を現段階で行っています。また、その次の段階として「人類文明の乗っ取り」という他生物の文化を奪おうとする習性も見れるのです」
「要は、その物騒なエイリアンが他の銀河系に行くまでの間に」
「始末をお願いします。急ぎ、です。現地の反乱勢力も徐々に押されつつあります。まずは、現地へ赴いてその勢力と接触してください」
私は必要な情報を受け取り、そして依頼を受けることにした。
依頼内容は「コメディアン」の「始末」だ。
3
善意に見せかけて当然のように搾取する。あるいは自身を正当化して、人殺しすら正当化し、どころか「美化」して「仕方ない」と済ませる。
そういう生き方が嫌いだった。
だから、私は。
「君は」
と、男は前置きした。反乱勢力の近くにある野外レストランだ。客はあまりいないし、馬で三日で反乱勢力のいる場所に着くのだ。そんな辺鄙な地域にいるのは「お尋ね者」か「根無し草」だ。 その両者だった。
男は自身を「警官」だと名乗り、座った。見ると、痩せこけた顔つきにも野獣のような眼孔が覗き、それでいて力強さを失っていない。だが、若干疲れているようにも見えた。
「殺人者だ」
「証拠は?」
「無いな」
「なら、殺人者では無いのだろうな」
などと私は韜晦した。お互いコーヒーを頼んでいるというのに、飲みもしない。お互い、にらみ合う、いや「確かめあう」かのような確認作業だ・・・・・・相手が「狩人」かどうか。それは目つきを見れば大体分かるものだ。
「私は警官だ。殺人者を捕まえるのが仕事、わかるか? ここで、いや、この惑星で殺人など、あってはならないんだ」
「そうだろうな。だが、世の中の流れは大抵、個人の自己満足な主義主張、そういった正義感もどきとは、関係なく残酷に運ぶものだ」
実際、私は私の要望が受け入れられた試しがないしな。何を望もうが、上手く行かない。上手く行くかどうかは運不運。
老齢の男はその辺のチンピラにはない、本物の凄みを持っていた。荒立てたりはしない。が、静かに、ただ冷徹に言うべき事柄を言った。
「確かにな。だが、私がお前を殺人現場で見つければ、私はお前を殺すだろう」
「私も同じだ。何かのはずみで、邪魔者を始末するなど、この世界では良くあることだ」
「お前は、目的が無く動機だけが暴走している。狂っている。どんな結末にでもたどり着けるだろうが、それでもお前は満足しない」
「それは貴様も同じだろう。警官だと? 笑わせるな。貴様は、悪党を捕まえる事に、それに達成感を覚えることしか出来ないだけだ」
警官はコーヒーを取り上げ、少し飲んだ。
「そうかもしれない」
私もあまり人のことは言えないが、私はこんな風に、己の人生すらも犠牲にして、「仕事」に全てを費やす気は更々ない。むしろ、その辺りを自分にとって都合良くしよう、というのが私だ。
「だが・・・・・・お前のような存在は危険だ。際限がない。人間を人間として見れないくせに、人間社会に紛れ込んで「幸福」になろうとする。私から言わせれば君の方が、例のエイリアンよりも厄介な「人間の皮を被った何か」に見えるよ」
「そうかもしれないな。だが、それは私にとって何かを諦める理由にはなるまい」
やめろと言われるとますますしたくなってくるのが私という存在だ。作家は皆そうだと言っていいだろう。ますます周囲に混乱を出したくなる。「君は、諦めないのか?」
「意地が悪いだけさ」
実際、吐き気が止まらない。苦しい。生きていて苦しい。それも、産まれてこのかたずっとだ。 そもそも、私は「生きていた」時が、無かったのかもしれない。この男もそうだろう。
混ざれない。
怪物と違って能力の有る無しではないのだ。化け物には正真正銘「心が存在しない」心で生きる生物が、心を持たない存在と交流できる筈が無いのだ。能力が違うだけなら怪物として迫害されることはあっても、偏見を取り除ければどうとでも交流できる。
だが、元から歩み寄りようがないのだ。
笑えることに、私は、私が私である限り、人間生物の在り方そのものと、相容れない。
決して。
私がこの「確固たる私」である限りだ。つまり私は「人間社会と相容れない存在」としてのみ、人間社会に存在できる。
まるで聖書に出てくる絶対悪だ。
概念だけの存在だ。
概念だけで、敵対者になる。
なれてしまう。
それが「私」だ。
無論それを卑下するつもりなど更々ない。だがきっとこの目の前の男は、それをうじうじと悩んだり、苦悩したりしていたのだろう。
暇そうで羨ましい。
こちらは「物語を金にする」という非常に厄介な障害にあれこれ手を尽くしているというのに、そんな些細でどうでも良いことに悩み続けるなど生きる事に余裕があるのではないだろうか。
私にはそうとしか思えなかったが。
彼はそれを「罪悪」だと感じているらしかった・・・・・・無論、知ったことではないが。
「私も君も、幸福の定義から外れた存在だ。幸福になれないからこそ、我々は存在しうる」
「違うな。幸福など所詮自己満足だ。そして貴様の言うところの「一般的普遍的な幸福」など、有ろうが無かろうが同じだ。何せ、我々二人には感じ入れないのだからな」
きっと、アンドロイド識別テストでは、無反応を示すに違いない。警官に金を渡せば済む話だろうが。
「私は金が欲しい」
「嘘を付くな。君は金なんて欲しくない。何せ、我々には欲しいモノは存在しないのだから」
「いいや欲しいね。「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」の為に、私は行動しているのだから」
「それは君の持論か? だが、我々にそれはあり得ないのだ。なぜなら、現代社会では我々のような「社会からはみ出した人間」には、最初から居場所は用意されていない。世の中全てが君や私の敵なのだ。そして、幸福とは何かと交流する事で産まれるモノだ。交流する相手のいない我々では掴みようがない」
「そうとは思わない。現に私は金さえ有れば自己満足できるしな」
「見解の相違だな」
「社会的な幸福を、私に押しつけるな。いいか、貴様がどう言おうが、金と平穏とそれに付随する快楽が有れば、私はそれで満足なんだよ。人間でないと私を計るなら、私を人間の尺度でこうあるべき幸せ、などとおしつけるんじゃない」
「・・・・・・それも、そうだな」
幸福の概念が、我々はきっと古いのだ。大昔、本能の赴くままに「果てのない景色」を眺めて、それに自己満足していたまま、だ。
古い生き方、なのだろう。
「私もお前も、例えどんな時代に産まれようが、きっと合わなかっただろうな。土台、人間と性格が合わないのだから、合うはずがない」
「アンドロイドとならどうだ?」
それはジョークだったのだろう。私は適当に、「アンドロイドも最近は「笑顔」が出せるらしいぜ」と答えた。
コーヒーは、もう冷めていた。我ながら間の抜けている。噺に集中するなど、久しぶりだ。
似たもの同士、とは思わない。
酷く、真逆だ。
在り方に対する捉え方が、違いすぎる。わかりあえることはないだろう。彼は自身も私のことも「罪悪」だと切って捨てるだろうし、私はそんな思想など、鼻で笑って切り捨てるからだ。
木訥とした印象を受ける男だが、それは内に強い狂気を秘めているからだろう。その辺りは私と同じだが、自身を罪悪だと思うなど、それでいて人並みになることに失敗した、などと。そんな泣き言を私に言われても困る噺だ。
構わないではないか。
人間など、幾らでもいる。
代わりは幾らでもある。
代替不可能な幸福など、無い。幸福という概念を神聖化し過ぎなだけだ。実際には、どんな幸福も当人の内側で起こる化学反応でしかない。
どこにも存在せず、己の自己満足でのみ、決まることだ。それに正しい在り方も間違った在り方も、あるものか。
世間に毒されすぎなだけだ。
「・・・・・・君の始末対象の生物兵器は、表向きは「人間」として登録されている。自我もあり、人間として活動している以上、見逃すわけには行かない。君にとっては始末対象かもしれないが、 「トニー・チャックマン」は立派なコメディアンだ。殺させる訳にはいかんさ」
表向きはコメンテーターとして活躍する人間。 と、そういう事になっている。その噺は既に、知っていた。エイリアンの広告担当が反乱勢力への情報操作を行っていることも。
しかし「個人」と来たか。
道徳、みたいなモノに、つきあっていられるほど、私は優しくはないのだが。
面倒だしな。
「なら、止めて見せろ。もっとも、この私に目を付けられて、生き残った人間などいないがね」 精々、元から「非生物」である生き方を貫いた奴等だろう。生きていないモノは、流石の私にも殺せなかったからな。
彼らも、私も、生きてはいない。
ならば死なないのは当然だ。
「無論だ。私はお前を」
殺す、と警官は断言した。だが、彼はどうやら知らないようだった。
悪は事前勧告無しに、「簡単に」事を済ませるという事実を。
ここではまだ殺されはしない、とでも思っていたであろう警官を私は「始末」し、そして私はあっさりとその場を離れるのだった。
転がった首と、血しぶきを上げる肉体については、店員の目の向いていない瞬間を狙ったので、どうやら私の去り際には誰も気に止めてすらいないらしかった。
私は店を出た。
死体は、死体を認識する人間がいなければ、ただの切り落とした牛の肉と何ら変わらない、という事実を、私はまた新しく知るのだった。
・・・・・・だが、改めて私は思うのだ。この時、エイリアンサイドからの使者である警官が、死体になった後「どうなるのか?」私は知って置くべきだったのだ。
それは、そのまま「彼等」の悲哀に満ちた、彼ら自身の「正体」に繋がったのだろうから。医者ではない私でも、死体を検分して有る程度調べれば、彼等の正体が何となく想像できただろう。
デザイナーチャイルドが自由に作れるこの世界で、人類が人類を作り直す事など、実に容易い噺の筈なのだから。
4
警官も蟻も、同じだ。
牛も豚も羊も鶏も、何もかもが命であることには変わりがない。
例えそれがエイリアンでも。
寄生する生物兵器でもだ。
そういう意味では私は「肉を食った」のと、大差ない感覚しかなかった。生物の命を奪うのに、罪悪感がないなんておかしい、という噺は非常に多いが、しかしならばどうして「人間以外」の命はこうも軽いのか不思議だ。
彼らは、都合の良い部分しか見ないからだと思う。私のように「全ての「事実」を認識する」というのは、彼らの善性みたいな何かが、耐えきれないのだろう。
生きているだけで何かを傷つけ、殺し、奪い、それが「生きる」という事である事実に、耐えられない。
私からすればそれは「生きる事」から逃げているだけなのだが、社会全体がそんな甘ったるい方向へ進んでいけば、自然、迫害される。
人間は見たいモノしか見ないから。
案外、私と彼らの違いは「そこ」なのかもしれないと、そう思う。こんな風に全ての事実を認識して、命を客観視できるのが生物のあり方から、いや人間のような自己愛に満ちた生き物の基準から、外れているのだろうか。
無論、自己愛と言うよりもただ単に私の場合、自分の利益ばかり考えているだけだが。自分が可愛いのではなく、自分以外に価値を見いださないだけだ。ごまかさない分、周りからすれば害悪なのだろう。何せ己の都合を通すことに血道を上げつつも、それが「悪」だと認識し、それでいてその事実すらも利用して、己の利益に繋げようとするのだ。
それが悪でなくて何なのか。
まぁ、知ったことではないがな。
私に利益があるのなら、他の連中などどうでもいい。どうでも良さ過ぎる。気にする部分が皆無なのだ。自分が可愛いのではなく、むしろ、悪い存在だと自覚した上で、まぁ己の都合さえ守れれば「愛するべき」人間がどうなろうとも、事実として私の利益とは関係ない、と残酷にも見捨てることに躊躇がない、とでも言えばいいのか。
実際どうでも良いしな。
私の貯金残高に、何か関係があるのか?
無いなら、知ったことではない。
私は現在目的地へ向かって馬で移動していた。馬、もはや見ることも珍しい。生き物は大抵が高値で取り引きされるらしい。何でも、動物を愛するマニアックな同好家がいるそうだ。この時代、幾らでも「電脳世界」で「電脳生物」を飼育できるというのに、そしてそれらの生き物は、現実さながらの感触で可愛がることが出来るのに、どうも人間という奴は「生きている自分たちにしか出来ない何か」に固執しているようだ。生きていようが死んでいようが、電脳世界の生き物であろうが「結果」同じならば、特に問題はなさそうなものだが、生物としての本能なのだろうか、あるいは単に生理的反応なのか・・・・・・生きている本物の動物、というステータスに釣られるらしい。
時代が変わっても人間は変わらない。
特別な何かに、憧れるという愚かしい部分だ。自身が特別であることに憧れる。意味不明だ。凡俗であることに耐えられない癖に、そこから抜け出そうともせず、それでいて「特別な何か」に、己が成ることを夢見ている。
現実を見ていないのだ。
先ほどの警官もそうだ。己の思想に酔ってしまっている。私が自身に牙を向くことを、想像すらしていなかったのだろう。己にとって都合の良い現実しか見ていないし、また見なくてもここまでやってこれた、人間。羨ましい限りだ、実に楽そうで。無論、ただの皮肉でもあり、素直な感想でもある。
暗闇の荒野を駆けながら、考える。
私は、これからどこへ向かうのだろうか? 物質的な意味ではなく、精神的な意味でだ。仮に、だが・・・・・・物語が売れたとして、その先は? 私には欲するべき欲望が持てない。持ちたくても、持てないのだ。ありふれる金を手にしたとして、何をするべきだろうか? 決まっている。作品を書き、それで「充足」を手に入れ「生き甲斐」として楽しみ、「生きている実感」を味わうだけだ・・・・・・「生きる」ということは何一つとして特別なことではないのだ。死ぬことと同じくらい珍しくはない。
生きていることを実感することが生きることならば、自己満足の物語を売り金に換える。それでいてその金で娯楽を楽しむことが「充足」に繋がるのだ。要は、何一つ特別ではないこの世界で、己のやるべき事をやり、成し遂げるべきを成し遂げてれば「達成感」を感じられる。自己満足の充足や達成感を胸に、この世を謳歌できればいいのだから、深く考える必要もあるまい。作家の言葉とは思えない台詞だが、生きることは別に、何一つとして特別ではないのだから。
己はやり遂げたのだと「達成感」を抱いていれば「後悔」は無いし、自己満足で金を稼げれば、それを「生き甲斐」として楽しめる。
これ以上の在り方が有ろうか?
至上の在り方だと私は思う。
少なくとも、己の幸福を考えるならば。
それが生物で有れば、私は乗ることが可能だ。これも「サムライ」としての弊害なのか何なのかは分からないが、要は「操る」のではなく「当人の好きなように動かし、それをコントロール」することが、私は得意なのだろう。大まかな方向さえ守ってくれれば、馬がどう走ろうが構わないからな。
目的地が見えてきた。どうやら思った以上に、戦況は悪いらしい。何故そんなことがわかるのかと言うと、ロクな先述装備が見受けられないからだ。最新鋭のT・P・A(戦術用多目的プラズマアンテナ)も搭載されていない。レーダーどころかむしろ、ゲリラ的な戦い方をしているのだろう・・・・・・従順する人間にはテクノロジーの恩恵を与え、そうでない勢力からは科学の恩恵そのものを削ぐ。ありふれたやり方だが実に効果的だ。
もっとも、テクノロジーに頼りすぎて、こんな辺鄙な要塞を見つけられないでいるのだろうが。 その隠れ家は遠目で見ると集落にしか見えないが、テント裏では実に堂々と最新の兵器、恐らくはエイリアン共から奪ったそれらを売買いているようだ。衛星の死角で有れば構わない、ということなのだろうか。確かに、これでは上空からだとよくある難民キャンプにしか見えないだろう。
剛胆なのか恐れ知らずなのか。だが、人間の足でなければこんな辺境には来れないだろう。この惑星には砂漠が多い。砂嵐の中で最新のテクノロジーを失う、などという愚行をするわけにも、行かないだろうしな。
盲点を突いてよく考えたものだ。
そして近くで見ないと分からないが、どうやら大型のステルス輸送船もここには有るらしい。私は馬を集落の中へと進め、止められた。
「ようこそ、反乱軍へ」
出迎えに来たのは 砂漠に相応しい美しさと気高さを併せ持った女だった。
やれやれ、参った。
女は災いを呼ぶものだ。大昔から信じられているこのジンクスに、私は嫌気を若干指しながらも彼女に案内されるがまま、集落の中へと歩みを進めるのだった。
5
「よく来てくれたわね」
彼女の名前はザドゥール・カンパネラ。ザド、でいいそうだ。銀の美しい髪にすらっとした体型でいて、ボリュームのある胸が目立つ女だ。緑の軍服には「軍曹」のバッチが付けられている。現場で動くタイプのようだ。
我々は比較的大きめの宿泊施設の中で、テーブルを囲んで食べ物を並べていた。無論、おしゃべりをする為ではないのだが、ここ数日何も食べていない私からすれば、有り難い話だった。
民族特有の小さい鍋らしきモノを摘んだり、丸焼きの肉をかじりつつも、私は耳を傾けるのだった。蝋燭を使っているらしく、部屋内部にはやけに神秘的な空間が形成されている。
まるでここだけ、テクノロジーの恩恵から、切り離された様だ。無論、比喩であって、彼らも、テクノロジーの恩恵を存分に使って殺しているからこそ、生き残っているのだろうが。
「ここは地下七階。発電所、反物質炉、クローン生物飼育まで、何でもあるわ」
「よく政府軍から隠し通せるな」
「当然よ。彼らは、人間に寄生させたニューロイドを通して人体を操作し、それを優秀な兵士として運用しているけれど、言ってしまえば「端末」を動かしているようなものだから思考パターン事態は変わらないの」
ストロー越しに飲み物を飲みながら、彼女はそう言った。
「つまり、連中は人間に寄生するだけでなく、大本のエイリアンから信号を受信しているのか?」「そうよ。それがこれ」
ごとり、と大きな箱を取り出し、中をとりだした。そこには、ニューロイド、なのだろう・・・・・・タコやイカを連想させる細長い生物の死体が、そこに納められていた。
こんなモノが人体の中に、か。
「ザド、だったか。私は警官でもエイリアンでも無い。作家であり始末屋だ」
「おかしいわね、それってどっちなの?」
「どういうことだ」
「貴方の中には「作家である自分」と「始末屋としての自分」が両立しているのかしら、ということよ。人間は心理学的に、自分自身を多く保つことは難しいとされているの」
「多重人格者とかはどうなるんだ」
「それも同じだわ。貴方の場合、それを同一の存在として定義しているのね。だから、ブレないのかしら」
「当然だ。私は王道ではない邪道作家だからな」 最近は邪道の作家かすら怪しいが。中々作品が金にならない。金だけでは意味がないのだ。自己満足にしろ己が充足できる形で成し遂げる必要がある。やるべき事をやり成し遂げるべきを成し遂げたところで、それを金に両替できなければ、自己満足の充足すら形に出来まい。
この世は金だ。
だが、私が決めた私の道に、札束が用意されていないというのは個人的に腹立たしい限りだ。
「それで、何が言いたいの?」
「こちらの台詞だ。お前達は、私に何をさせるつもりなんだ?」
「そう、情報は伝わっているのね。例の「彼女」から?」
「ああ、そうだ」
ここで話題にあがる女は一人しかいない。そもそもが私の知り合いなど人間で無い奴等ばかりな上に、人間の領域を外れた、いやこの世の理の外側にいるような奴等ばかりだ。思い当たる節はそれほど数がない。
「簡単よ。私たちを勝たせて欲しいの」
「例のコメディアンを殺した位で、どうにかなるとは思えないが」
「それは素人の考えね」
何の素人なのか判然としなかったが、要はあちらの事情に疎いと感じたらしい。
「いい? 彼らは現地の人間達を味方に付けているの。ニューロイドは表向きには人類社会の発展のために協力体制をしいている事になっているからね」
「それを皆信じたのか?」
「ニュースで流れていれば何でも信じるわよ。けれど、いつのまにか行方不明者が増えている現状を知って、私たちに荷担する人間も多いわね」
「それで」
「つまり情報統制が一元化されているのよ。その役割を担うのが例のコメディアンってわけ」
「代わりは幾らでも作れるだろう」
「そうも行かないわ。それに「彼」が死に次第、私たちは総攻撃を始めるもの。情報統制の混乱と大規模な襲撃。彼らニューロイドの脳細胞は、演算能力には長けているのだけれど、アンドロイドと同じでイレギュラーに弱いのよ。有能すぎる故に、トライアンドエラーの経験そのものが、少なすぎるから」
「そうなのか?」
知らなかった。通りで、私の会うアンドロイド共はつまらない噺ばかり書く訳だ。華々しさはあるのだが、彼らの物語には根底にある強いテーマや執念、いや狂気が少ないのだ。これも、どうせ時間をかければ次の次の次くらいの新型アンドロイドが、また修正して新しくなるのだろうが。
「なら、経験を積ませればいいじゃないか」
「簡単に言わないで。具体的にどうするのよ」
「それは」
どうすればいいのだろう。私は人生を通してあまり楽しい経験は積んでいないが、しかしそれらを定型化してとなると。
「いや、最近それに似た実験を聞いたぞ。それにそのトライアンドエラーを数値化して、全ての兵士に応用すればいいじゃないか」
「そうね。ところで、その大本のデータにハッキングして「弱点」を探せば、結局意味がないと思わないかしら」
それもそうだ。急増の「経験」など、本当に深い経験を積んでいる存在からしたら、笑い話なのだろう。
「貴方みたいにふてぶてしい兵士は人間でも、アンドロイドでも、ニューロイドですら稀なのよ」「私は兵士じゃない。雇われの始末屋だ」
「けれど、貴方みたいに自覚があって戦える人材というのは、実際貴重なのよ。どんなに優秀でも精神的なショックを受ければ使い物にならないしそれに、ロボットやニューロイドでは、弱点を突かれれば対処されてしまう」
私は使い回しの効くカイロでは無いのだが・・・・・・いや、いい。考えても仕方のないことだ。とりあえず「そうであるらしい」という事実だけ、どこかの隅に置いておこう。それがどこかは知らないし、忘れても困らないのだが。
「罪悪感や容赦を消す事は、現在のテクノロジーでも根本邸には解決されていないわ。当然ね。ニューロイドのように「端末」として動く存在では柔軟な思考が出せないし、かといって人間にメンタルケアをしたところで、元がまっとうな人間なら、必ず不具合、精神的な強度を越えれば、人格が壊れてしまう」
「通常運転である証拠だろう」
「けれど、戦争中には致命的よ。ロボットでは、アンドロイドですら、「自覚した上で何かを殺害し、効率的に相手を滅ぼす」事はできないの」
「どうしてだ」
アンドロイド共はいとも簡単に、いや、そうだった。彼らは感情を理解している途中段階で、自我が芽生えている現状では、むしろ人間に近い存在だと言える。
アンドロイドが進化すればするほど、人間と同じ弱点「感傷」という弱点を強化するのだ。
かと言って、ロボット的思考では、思考の弱点を突かれてしまう。
「だから、貴方のような人材は貴重なの。金でもテクノロジーでも「人格」は買えないもの。それが「敵対者を滅ぼす」ことにうってつけなら特にね」
「嬉しくもないな」
「けれど「事実」よ。昔から貴方みたいな人間はいたらしいわ。軍対軍では「非人間的」な方こそが勝利する。非人間性は生きる上ではむしろ必要なモノなのよ。人間性は生きる事を楽しむ為の機構であって、生存競争には向いていない」
「ふん」
面白い噺を聞かせて貰った。参考にするとしよう。私の場合、今更な気もするが。
この女、「ザド」とか言ったか。この女はきっと「困難な道」を敢えて、選んでいるのだろう。選んでいるつもりなのだ。だが、我々に選べるのは、どんな道を選ぶか「ではない」。「その道をどう歩んでいくのか」なのだろう、きっと。
私だって道が選べるのなら「楽な道」を選んだだろう。だが「困難と理不尽」が雨のように存在し、かつ「可能が不可能になる世界」で、私は、その道を歩かざるを得なかった。
どう足掻いても「失敗」いや、この言葉は正しくないのか? 全てが終わってから「失敗」なのか「成功」なのかを計るなら、私は否応無く、平坦ではない道を強要されたのだ。
それでも、歩き方は選べた。
何の希望も未来も存在し得ない暗闇の荒野でも私は、「狂気」を軸に「笑って」いや「狂笑」して生きる事を選んだのだ。それは「作家業」であり「邪道作家」としての私の在り方と言えた。
有るのは「暗闇の荒野」だ。そこに道を切り開いたところで「希望」は概念そのものが存在しなかった。だが「希望」の百や二百が消えたところで諦めるほど、私は人間をやっていない。
その程度で諦められるか。
希望など必要ない。実利という名前の金が有れば、私はどれだけ世界が絶望と悲劇と希望のない未来に満ちていても「狂いながら笑って」生きていくことが出来るだろう。
私は、そういう化け物だからな。
自身で言うのもなんだが、概念に近い。
己のことだけを考え決して諦めず、それでいて絶望の淵でも笑い、希望をこき下ろしながら前へ進み、どれだけ敗北しようが止まりはしない。
「邪道作家」という「概念」だ。
それが「私」だ。
そうでなくては、面白くないからな。
物語を書いていて思うのは、「どこかへ向かおうとするエネルギー」が「確固たる事実」として存在する、という現実だ。
どこへ向かうのか?・・・・・・それは分からない。到達することのない、いや、したところで意味のない答えなのかもしれない。だが、物語のキャラクターが私の意志にすら反して動く。その事実。それにその方が結末は分からないだろう、恐らくは物語のキャラクター自身にすらも。
私に出来るのは映画監督のような事だ。彼らの意志、主張、主義や在り方を変えることはできないらしい。ならば、その先を見てみるのも、面白いかもしれない。
気にするな、ただの戯言だ。
特に意味はないさ。
その「答え」はきっと「物語の結末」が教えてくれることだろう。
だが、言えることはただ一つ・・・・・・そこに試練や恐怖があるならば、試練や恐怖そのものを、この私の手で「支配」して「私のモノ」にする。試練も恐怖も「この私の武器」として「使う」べきものだ。試練や恐怖を克服し、それそのものを完全に支配して、「己の力」にする。
味方に付ける。などという甘ったるい考えではない。「この私」の一部として取り込ませて貰うぞ。試練も恐怖も私自身の為に存在させる。
理不尽も恐怖も試練も障害も、予期せぬ不運すらも「支配」して「取り込む」ことで、この私自身の「栄養」にしてくれよう。
屈するべきは理不尽に対する私ではない。理不尽の方が私に屈服するのだ。
屈服させる。
必ず。
これは決まった事だ。
「私たちは戦略的に不利ではあるけれど、その分戦術的な有利があるしね。ただ、それだけだと確実さに欠けるから、君のような「戦略的な」兵隊を外部から雇用した。それが君」
「それで。私を組み込んで、あのコメディアンを始末することに、意味があるのは分かった。だが私である必要性が分からないな」
「彼は広告塔だもの。そのガードも凄いわ。大統領並。それを突破するのは「策」じゃ無理ね。物理的にそれを越えられる人材が必要よ」
「ふん」
要は私は陽動なのだろう。本気で戦力を投入することも出来るだろうが、あまり良い手ではないしな。戦略差があるならば、使うべきだ。
「それに、表向きにはエイリアンと人間とを結ぶ正当なる血統の生き残り、というふれこみだもの・・・・・・替えなんて効かないわ」
「どうしてそんな面倒なことを?」
「宗教的結束が、民族を統一する手っ取り早い裏技であることを、彼らニューロイドは学習しているのよ」
複数の意識、精神体を保持する似ニューロイドからすれば当然の判断だと言うことか。問題なのは「宗教的結束」という点だ。それは堅いが、仮にそれが「国家の恣意的な意志」で判断されたりあるいは「それそのもの」が他の何かと入れ替わったとしたら、彼らはそれを持う目的に信じるのだろう。
「精神的に脆い生き物ほど「精神に対する支柱」を求めるの。貴方みたいに開き直った人間ばかりじゃないのよ」
「支柱ね。その支柱は」
「良かれ悪しかれ、それはコメディアンで、それを信じる人がこの惑星には大勢いる。それで十分じゃなくて?」
「確かに」
真贋よりも目先の利益か。だから私は金が好きなんだ。真贋ほど役に立たないモノは、この世に存在しないからな。
偽物の方が安くて役に立つ。
「しかし、そんなことをすればパニックになるだろう。精神的支柱を失えば」
いいえ、とザドは首を振って、その綺麗な銀色の髪をたなびかせた。
「現代社会の情報は、貴方が思っている以上に、薄く、広く拡散します。そして、民衆は貴方以上に無関心、いえ無感情なのです」
「表向きは大きく捉えても」
「すぐに忘れます」
その方が精神を安定させ易く、自分たちにとって都合の良い現実を見られますから、と彼女は言い切った。そう上手く行くと良いが。まぁ、世情に疎い私でも、人間が自身に関係のないことで、義憤に駆られて行動することの中身のなさは知っている。彼らには何も出来ないという事実も。
「だからこそ集団心理の行動予測なんて技術が、実用化されるのですよ。それを応用すれば、民衆の一人一人がどこで、何をするのか。そして、誰を支持し誰を支持しないか、全て「計算」出来ます。管理社会など必要有りません。彼らニューロイドがこの銀河系を乗っ取れば、自覚無しに、次の大統領候補すら「決められて」しまうでしょうね」
「末恐ろしい噺だ」
人間一人一人の意志をコントロール、するのではなく、それらの行く末を「あらかじめ知る」事が出来れば、支配する必要など無い。都合良い方向へと誘導してやるだけで、この惑星ですら、己にとって都合の良い方向へ、誰にも気付かれることすらなくコントロールできる。
「彼らニューロイドは基本的には精神に寄生するタイプの生命体ですから。むしろ「内側」は寄生した人間の無意識をコントロールし、「外側」はその集団心理行動予測のプログラムで、望む方向へとコントロールするでしょうね」
「そうなったら人類は終わりか?」
「いいえ。既に、大昔からそれ自体は行われています。けれど今回の場合それは「人間以外」ですもの。だから問題なのよ」
「人間が人間をコントロールする分は?」
「構いませんよ。どうせ誰かがコントロールしなければなりませんしね」
否定はしなかった。私は善人ではないし、事実として人間はそういう生き物である事を、知っているからだ。
人間に良い部分を探す方が困難だ。
この世全ての悪は人間の中にこそ存在する。
それが「人の世の事実」だ。
・・・・・・思うのは、「今回の私の敵」は誰なのだろうかという事だ。「コメディアン?」いいや違う! 誰かを殺すことは勝利とは関係がない。何かに勝利するということは「その相手を越える」ことなのだ。さし当たって私が越えるべき存在は何か。「不条理な運命」だろう。この私自身の運命。宿命。作家としての業。あるいは、それに付随する「豊かさと平穏」でもいい。
争っているようでは駄目なのだ。
そんな事を歯牙にもかける必要が無くなる事、それで「勝利」と言えるだろう。私を振り回した運命や、富の有る無し、そして人生における充足を「心配する必要すら無くすこと」だ。
世界から完全に理不尽を排するなど不可能だ。だが理不尽そのものを克服し、仮にあったとしても問題にならないようにすること。
それこそがこの「私」の求める「幸福」だ。
そして、その上で「人生の充足」を手にしてみせる。欲張りだろうが何であろうが、己の人生を十全に生きられるようにするのは、確固とした己がある存在なら当たり前の事だ。
誰かにあれこれ言われる覚えなど無い。
この私がそう決めたのだ。
そして、歩いてきた。
ならば、それに準じて進めるだけだ。
それが私の「道」なのだから。
己の全存在を賭けて挑むのは、全ての自分の有る存在にある「前提」だ。その上で、幸福を目指さなければならない。
言わば私は準備段階で右往左往しているわけだ・・・・・・そう考えるとまるで進んでいないような気分になってしまうが、そうではない。
例え今ここで滅びようとも「傑作を書いた」という「確かな結果」はあるのだ。それが人の目に写るか写らないか、売れるか売れないかはこの際関係がない。この「私」が「納得」出来る生き方を、形としてやり遂げている、やり終えている事実こそが肝要だからな。
無論、金になった方が良いに決まっている。
私は猫を被る、というか相手によって人格を書き換えるくらいの自分自身のコントロールは、息を吸って吐くくらいには出来る。だからこの場合も私は、ザドに合わせて礼儀正しく応対していた・・・・・・無論それが私の本当の姿ではないし、作家の姿なんて書いている時か、あるいはその作品の中にしか、現れるものでもあるまい。
作品を見て判断しろ。
それが「私」だ。
私は、そこにいる。
そういう在り方が「非人道的だ」と言われたところで、図々しいだけだ。今更「道徳もどき」を押しつけられても図々しいとしか私は思わない。 人間的な正しさだと? 今まで私の運命にはそんなモノは無かった。今更「押しつけ」るな。
図々しいぞカス共が。
調子の良いときだけ「人間らしさ」を求めてくるのだ。生きるという事を舐めているとしか、客観的に見たところで思えないし思うつもりも、私には無い。
金だ。
一人の個人として、私が誰かを求めたことはないし、助けられた事も、無い。金だけだ。他社との関係は金だけだ。そして、人間性、みたいなモノを私に強要する連中というのは、決まってそういう類の人種なのだ。
相手に都合の良い時だけ「人間性」を期待する・・・・・・実に図々しい。何だそれは? そんな生き方があっていいとは、とても思えない。
私はザドと向き合いながら考える。
ザドはそういう人種だろうか? いや、金を払って何かをこちらに頼む以上、そういう私的感情は持ち合わせないのが鉄則なのだが、中々依頼主はそれを守ってくれそうにない。それを守る人間というのは、今のところお目にかかっていない。 それらしく振る舞っていれば、感謝されて、あるいは自分に尽くして当然だと、そう思っているのだろう。
迷惑なだけだが。
それで感傷に浸らない私の姿を「冷酷だ」なんて評されても、迷惑なだけだ。そんなことで人間性を強要される覚えもないのだが、強要して当然だと思う人間は非常に多い。
気をつけなければ。
少なくとも、向こうは自分たちの大儀の為ならば、あるいは「道徳」だとか「人道」だとか「暖かみ」だとか「人間的感情」の為ならば、私のような人間がどんな目に合おうが「仕方ない」と済ませたあげく、何の支払いもしない事を当然のように行うからな。
善意だと、思いこんでいる。
例えその結果、私にどんな不幸、不利益、迷惑を被ったとしても、だ。自分の事を「良い人間」だと思いこんでいるから、そういう人種は実に、質が悪い。
人が死んだら悲しむ事を強要する連中と同じだろう。その人間が私にとって「一個人として」私が好感情を向けるべき相手なら、悼み位はする。 だが、そうでもないのに、どころか私には不利益を与え続け、それでいて「金の繋がり」以外、何一つ無い奴でも、己に対する感情を持つべきだと強要できるのだ。
気持ち悪い。
私が言うのだから相当だ。
どういう思考回路を、いや、考えたくもない。私は考える必要のない事を考えるなんて御免だ。 とにかく、だ。
女は災いを呼ぶ。これは大昔から有る基本的なルールなのだ。理論ではなく感情で生きるのだから、相容れないのは当然か。そもそも男と女では生き方そのものが違うのだから。
私は人を育てることに、いや「他者と共にあること」に向いていないし、望んでもいない。
だから結末が何であれ、私は私一人で、物語の終わりを締めるだろう。それはいい。孤独を苦痛に感じたことなど一度もないし、感じるつもりもあまりない。
感じられないからこその「私」だしな。
終わり、はどうなるのか・・・・・・例えそれがどれだけ非人間的であろうとも、私の意志を無視して押しつけられる偽善よりはマシだ。
それなら自己満足の方が良い。
こんな風にマシだから選ぶ、という時点で本物の幸福には遠いのかもしれないが、本物の幸福などと言う嘘臭いモノよりも、私は実利を選ぶ。
有りもしない幸福に惑わされるつもりはない。 私の道だ、道徳などで決められてたまるか。
善人ごっこなら、余所でやれ。
それが私の結論だ。
仮に今死んだとしても、何の後悔もない。だが願わくば、あの世なんて存在が有ったとして、神だの悪魔だの、そういう連中に、身勝手な裁定を下されたくはないものだ。それでは人間社会の不条理を振りかざしているのと、あの世もあまり社会情勢が変わらない、という事だからな。
そんなのは御免だ。
力だけ、あるいは名前だけ大きい馬鹿者に、いいように振り回されるのはうんざりだ。だから私は今回の依頼にしたって、相当な臆病さを持って挑もうと考えている。
相手が女でも。
女だからこそ、だ。
「私の祖父も言っていたわ。「安心しきったときに危機は訪れる」ってね。だから貴方は保険よ。万全を尽くすための」
自分を信じない人間、というのは私には理解し難い存在だ。この女は「祖父や尊敬する誰か」の言葉で生きているのだろうか?
自分を信じて生きる事をしない人間は多い。自惚れた馬鹿共の言葉を鵜呑みにして、それに対して連中が何か責任を取ることも金を払うこともしないのは、少し考えれば明白だろうに、誰かの為の人生を生きるのだ。
それは逃避だ。
己の生き様を考えないというのは、生きる事から逃げているだけだ。それでも有能で有れば金は稼げるから「生きては」いける。だが、それは、ただ食べて寝て女を抱いているだけだ。豚や牛と何ら変わらない。
家畜の人生だ。
それでいいのか?
私は当然嫌だ。だからこそ「作家」なんて生き方をやっていると言っていい。全人類が、それと向き合わねばならないのだ。それと向き合わないということは「生きていない」のと同義だ。生きていない人間が、生きている世界で、生きている人間として何かを成し遂げる事など、出来る訳がないだろう。
自惚れるな。
我々は誰一人として「特別」ではない。そんな気がしているだけだ。だが、それでも己を際だたせたいならば、誰になんと言われようが「己を信じて」成し遂げるしか有るまい。
「祖父の言葉、か。「お前」はどうなんだ?」
「私は、そうね。その通りだと思うけれど、危機は予期せぬ時にやってくる。それが安心できるような時でなくても、ね。だから「備える事」は何よりも重要だと思うわ。貴方は、見たところ備え過ぎって気もするけれどね」
「大きなお世話だ」
女は皆「お節介焼き」なのだろうか。私は別に備えたくて備えているわけでもないのだ。ただ、それしか出来る事が無いのだというだけだ。
本を書くこと。
こうして作品のネタを掴むこと。
作家である私に出来るのは、それくらいだ。
怠るつもりは毛頭無いし、それが私の一部になりつつある。精々、心構えとして留めておくとしよう。
肩書きそのものに意味など無いし、価値は付随しないのだ。神であろうが悪魔であろうが、為政者であろうが同じ事だ。肩書きが「偉いような」気分になれるだけだ。何を成すか、そして何をやり遂げるか、何よりもそれに己で納得し、満足できるのか。答えはそこにある。
作家なら、作家としてどうするのかだ。
読者の吐き気を催し、希望を根こそぎ奪い去る物語なんて面白そうだ。実に、な。別に私は読者の笑顔が見たいわけではない。そんなのはデジタル社会では検索すれば画像で見れる。そうではなく、何をすれば自分は面白いのか、だ。
まぁ金になれば大抵はいいさ。私は自己満足の出来る人間であり、有る意味自己満足で何にでも満足できるというのは、世界一豊かな存在だ。何せ実際に手にしなくても、私は満足できるからな・・・・・・それが、私が失った代わりに得たものだとするならば、皮肉なのか何なのか。
まぁいい。問題は「これから」だ。「今まで」など過ぎ去った過去でしかない。どうでもいい。どうでも良さ過ぎる。
今は目の前の「女」が重要だ。それだけを、とりあえずは考えておくことにしよう。あくまでもとりあえずは、だが。
「食べないの?」
「頂くさ」
フォークを上品に使う彼女を見つつ、私は自分の席に並べられいるステーキにフォークを突き刺し、口へと運んだ。何であれ、食べられる時に、食べるだけ食べて体力を整えるのは、どんな状況下でも必須だ。
「貴方には、これを止めて欲しいの」
言って、彼女は一枚の写真を取りだした。
そこには。
5
光よりも早いんじゃないのか、と感じられる位私は高速で移動していた。「サムライ」に体力の概念は無いし、病気にもかからない。だが、だからって走るのが好きな訳ではない。
時速三千キロで移動する民間リニアモーターに追いつきつつ「非武装」で走って追跡する、などというギャグみたいな行動を実行に移すには、私のような「例外的存在」の力が借りたかったらしいが、実に迷惑な話だ。
さらわれた民間人が、あの中にいるそうだ。
誘拐された人間達はこうやって足がつかないように、民間の移動手段を扱い、合法的に移動させるらしい。まさか軍用輸送機を使ってテレポートするわけにも行かないのだろう。優れた技術は、どんな時代であれ「監視」の対象になる。
テレポートに関しては「時空管理局」とかいう部署が管理しているとかって噂だ。まぁ、そうでなくてもテレポート技術には銀河連邦の「許可」が必要だ。サムライやニンジャでも無い限り、自由に最新技術は使えない。
そのサムライやニンジャは基本的には、だが、銀河連邦のデータベースで管理されているのだから、世の中は馬鹿馬鹿しいほど上手く出来ているのだろう。もっとも、サムライはともかくとして「ニンジャ」の事を詳しくかぎ回れば、そいつの命は消えるのだが。
どんな権力者でも消されてしまう。
私には永遠に関係ないだろうがな。
権力、というのはどこにも存在しない。ただそこにあるのだと皆が信じ切っているから、有るかのように振る舞っているだけだ。権力とは見えない衣でしかないのだ。右に倣って従っているからそう見える。だが、実際にはどこにも存在せず、子供はそれを指さして笑うだろう。
この惑星も同じだ。エイリアンの提示する素晴らしい未来を信じることで、社会とかいう有りもしない概念が成り立っている。大勢が信じればそれは真実になるのだ。少なくとも、集団の中では必ずそういう事が起こる。
だが、そういう思想には必ず、それを覆す転換点が訪れる。
私が力ずくで起こすのだが。
私は列車(この呼び方は古いか?)の動力炉の部分を苦労して捜し当て、それを叩き斬った。二度と御免だ。有る程度テクノロジーの恩恵を受けながらとはいえ、走ってリニアと競争など。
出来る出来ないはともかくとして、面倒ではないか。
こういう手間は雑用に任せるに限る。アンドロイドとかのな。
動力炉が停止したのを確認すると、中から屈強そうなパワードスーツに身を包んだニューロイド達が出てきた。不気味だ。内からニューロイドが肉体を操作し、それを外からスーツが補強する。 どこにも、欠片すら肉体の意志がない。
死体を動かしているようなものだ。
サムライ刀の前では最新のテクノロジーも空しく切り捨てられるだけだった。そして私は哀れな被害者の肉体であろうが、何の罪悪感もなくそれを切り捨てられるサムライだ。
主力を切り捨てたところで私は合図を送った。次第次第に中から人が出てきたり、それを反乱軍の連中が助け出したりしていた。
一方で、ニューロイドの死骸は奇妙な紫の血を流し続けている。こいつらは「何」なのだろう。 元はニューロイドに寄生された人間、の筈だ・・・・・・だが、その原型も無いし、目的が分からないのは実に「不気味」だった。
生態系の乗っ取りか。
他の生物の生態系を乗っ取る事に、どんな意味があるというのか。戦争は「利益」があるから、発生しうるものだ。これは「見えない戦争」だ。 見えるか見えないか、ただのそれだけだ。
争いはどこにでもある。
それを見るか見ないかは当人の自由だが、しかし見ないでいる事は出来ても見ないで居続ける事は、誰にも出来ない。見ないまま撃たれて死ぬのがオチだろう。
そんな生物を放置するくらいなら、自分たちが有効活用してやろう、なんてエイリアンも思っているのかもしれない。馬鹿な妄想だ。我ながら、生物兵器のエイリアン共の思考回路まで想像するなんて、作家として仕事のし過ぎだ。
エイリアンに限らず「答えが不明瞭な何か」程人間は引きつけられる。もし、エイリアンがラベル別に書物に書かれていて、その辞典を見れば誰でもその正体が分かるならば、誰も興味など持ちはしないだろう。
分からないから恐怖する。
分からないから崇拝する。
分からないから、面白い。
無論。私は最後の一つを選ぶ。そしてそれを書き続ける事を選んだ。後悔はないしやめるつもりは更々ない。
助け出される人々を見ながら、私は思った。きっとこれでは終わらない。経験から来る第六感が告げているのだ。「こんなものではない」と。
争いの種はどこにでもある。そして、この状況を作り上げた「何者か」は、こんな簡単に人々を救わせてくれる優しい奴なのか?
少し、気を引き締めた。
この先に何があるかも知らずに、彼らは実に満足そうだった。これで戦争は自分たちが勝ったと言わんばかりだ。だが、忘れてはならない事が、一つある。
戦争の終わりは、相手の種族を根絶やしにするまで、決して終わらない、という残酷な現実だ。
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誰かを救ったところでどうせ病気だとかで死んだりするのだから、個人的にはあまり意味がなさそうだと思ったが、彼らは実に満足そうで、とりあえず「人助け」という「自己満足」で己を満たすことに、何の躊躇も無いらしかった。
私は作家だ。なのでここで気にするべきは「宇宙人共をどう作品に活かせるか」だった。人間が人間を侵略するのはありふれているし、最近では宇宙人と人間での諍いも珍しくはない。
だが違う種族同士の争いは、端から見ている分には楽しめるものだ。私も一応は人間に分類されるはずだが、まぁどうでもいい。
我々は地球を侵略しにきた宇宙人だ、などと言われたところで、きっと私の方が「侵略する側」なのだろうが。宇宙人を切って捨てれば終わりだろう。だが私は作家だ。戦いは趣味ではない。ならば向こうの主義主張を、少しは聞いてみたいような気がするのは、気のせいではないだろう。
だが実際私は推理だとかに向いていない。出来ないことは無いが、私が望むのは「何度でも楽しめる物語」だ。謎が解ければ面白くなくなる推理や謎など、実につまらないではないか。
意外な展開すらも、見ればそうでなくなる。
二度はないのだ。
それに、どんなに緻密で精巧な殺人計画を練ったとしても、だ。私のような人間が発見すれば、「老衰に違いない」と面倒だから決めつけるだろう事は間違いない。推理など面倒だ。どんな死体であれ、蘇らない事は間違いない。ならばそこに意味や解明を求めたところで、無駄なだけだ。
物語に必要なのは「テーマ」と「信念」だ。
何かしら、それが悪であれ、強い意志があればそのキャラクターは輝くものだ。そして解決することのない命題が有れば、読者に問うことが出来るではないか。
私は性質上、相手の存在が、例え霞ほどであったとしても「悪」であれば「勧誘」することが出来る。善悪に拘らず最悪のやり方で、だからこそ私は倫理観に囚われず「悪」であるからこそ、その相手を欲するのだ。
悪人は面白い。
それがエイリアンでもだ。
正直興味は尽きない。これだけの事を起こした存在が、どういう悪性を秘めているのか? 依頼内容は「コメディアンを始末しろ」だ。誰一人として「人類を救え」とは言っていない。
このままエイリアンの方へ味方してしまおうか・・・・・・なんて、冗談だ。今のところは、だが。
多分な。
いずれにせよ怪しい奴を見つけたら、証拠など必要あるまい。私は名探偵ではない。理論や理屈などどうでも良いのだ。「結果」だけがそこにあればいい。
怪しかったら即死刑だ。
間違っていれば、それはそれ、私には関係のないことだ。
推理小説だって、全員殺せばいつかは犯人にたどり着けるだろうからな。いっそ犯行場所ごとミサイルを撃ち込めばいい。
その方が簡単だろう。
エイリアンも同じだ。とりあえず殺せるだけ殺して、後からじっくり考えよう。少なくとも私は一切、それでも困らないからな。
何、殺されかかったのだ。ならば正当なる防衛として、何人殺そうが、人間の法律はそれを良しとしているらしいからな。
いざとなれば金の力でどうにでもなる。
殺人など、どの程度の事だ。無論、私は無差別に争いをするほど愚かでもない。だから例え己がどうであれ、相手がそういう行動をするかもしれない、と思考に留めなければならないのだ。
今回の件はそういう「無差別さ」から来るものだろうか。いいや、無い。断言できる。これだけ周到に面倒臭い行程を挟んで、行動に移した連中が考え無しだとは思えないしあり得ない。
悪意には必ず、先を見据えたビジョンがある。 相手が悪なら、考えや計画があると、決めてかからねばならない。私が宇宙人サイドなら、そうするからだ。
私が出来る事は、向こうも出来るだろう。
エイリアンに道徳のブレーキは、必要ないだろうからな。それで手を誤るとも考えられない。
異変はすぐに現れた。
皆、死んでいった。打ち上げのつもりだったのか、連中はクラッカーを鳴らしながらいろいろな食べ物を物色していたのだが、その中で突然、肉体に変化が現れ精神に異常を起こす奴が出た。
異常の発生を認知したときには遅く、助け出した連中からですら精神の指向性制御、その遺伝子改良実験の成果なのか、怒り、悲しみ、そういった感情を発現させた。仲間を撃ち殺す者、仲間を突然憎悪し殺そうとして殺し返される者、恐らくは憎しみに指向性を持たせることで、ほぼ完璧な「集団洗脳」が可能になるだろうことを見据えての「実験」だったのだろう。
種族規模の洗脳実験の成果だ。
その成果が出た訳だ・・・・・・無論巻き込まれてはたまったものではないので、私は遠くからそれを眺めていた。私はヒーローでも何でもないし、別に彼らに義理立てがあるわけでもない。しかも、暴れている連中の中には人間そっくりのニューロイドまで混ざっていた。死体を有機素材で覆うことで、スパイの役割も果たすということか。
避難してこんな風に眺めている私からすれば暢気なものだが、しかし彼らには現状がよく理解できてすらいないのだろう。混乱したまま死ぬ姿が目に焼き付いた。
欺けるかどうかのテスト、ということか。
既に相当数が混ざっており、同士討ちでかなりの人数が死亡している。ここはもう駄目だな。連中を隠れ蓑にさっさと「始末」を済ませるつもりだったが、どうしてこう、私に巻き込まれた人間は早死にするのか。
私はその場を離れた。いや、厳密には離れようとしていた。が。
着信音が一つ、鳴った。
「もしもし」
無論、私の携帯端末ではない。そこに、いつのまにか私が離れようとしていた装甲列車の残骸、その上に置かれていたのだ。
「誰だ、お前は」
と私は問うた。すると、相手は面白い事に、こう答えるのだった。
「我々は、地球を侵略しにきたエイリアンだ」
と。
7
「掛けたまえよ」
そう言って、壮年の男はテーブルへ促した。普通の人間にしか見えない。そういう偽装なのか、あるいは戦術なのかは定かではないが、特にぱっとしない、課長クラスのサラリーマンにしか、見えない男だった。
無論、そんな訳がない。
ここはレストランだが、しかし「指定区域」のレストランだ。何を出されるか分かったものではない。指定区域というのは「ニューロイドに中性を誓った」人間だけが住める都だ。技術や情報と引き替えに、彼等ニューロイドに協力する、と表向きはそうなっているらしい。
こないだの行方不明者と言い、この施設内の管理システムの厳重さと言い、まるで飼育小屋だ。 人間を飼育している。
問題なのは、飼育しているのが人間でなく、他の生態系の生物、という点だろう。支配そのものは人間社会で、常に誰かが行っているものだ。
他の種族によって管理、運営されるのは、人間には許し難い行動、らしい。人間が見えないように人間を支配するのは「仕方がない」が、エイリアンに侵略されるのは「誇りが傷つく」のだそうだ。小さい誇りだ。
「君の認識能力に合わせている。君には、私が普通の人間に見えているのではないかな」
「まぁな」
彼(?)は慎重に座って、一つ飲み物を頼んだらしい。店員に何かを注文しているが、言語が読みとれない。というか、彼等は精神面でやりとりを行うと聞いているから、探るだけ無駄だろう。 書いた物語が売れない、という作家にあるまじき理由で「不毛な争い」に、もう何度身を投じたか分からない。だが、世界が「運不運」で回っているのだとすれば、コインを投げ続けるしか、方法はないのだ。当たりがでるまでやるしかない。 要領が悪いだけかもしれない。だが、他に何か良い方法があるか? 私は探したが見つからなかった。だからこんな面倒な事を繰り返しつつも、私はここにいる。
やれやれだがな。本当に参る噺だ。
傑作過ぎて笑えない。
まして、相手が宇宙人であるとなればな・・・・・・だが、断っておくと、私は「主人公」などという変態な上、己の都合を暴力で押し通す連中とは、決して違う。私は「己の実益」が大事なのだ。それだけが重要だ。「作品のネタ」と「金」そして「私個人の保身と利益」さえ確保できれば、人類がどうなろうと関係の無い噺だ。
語り手である「私」が、よく知りもしない連中を助ける理由など無いし、有ってもやりたくはないのだ。知ったことではない。
弱者を虐げる人間に天罰を与えたいのならば法律を変えろ。悪の理不尽を許せないと言うのならば別の国へ引っ越しでもするんだな。少なくとも「女、子供を守る為」なんて理由で「殺人」を肯定するような連中と、一緒にされたくはない。
それが正義なら私は悪で構わない。
そんな正義は願い下げだ。第一、正義だのと言う言葉は、個人の都合でしかないのだ。正しいか正しくないか、それも「倫理的に」どうか、などと・・・・・・そんな事を気にしなければ行動できない人間は、何も出来ないだろう。
何かを変える行動は、等しく「悪」だ。
その他大勢の凡俗共は、必ず反対するだろうからな・・・・・・「社会的な折り合い」を付けつつも、「善悪に囚われず行動」すること。それを学ぶのが遅いが故に、優秀だというのに人生を充足できない奴は、意外と多い。
馬鹿な奴等だ。
私はそうは決してならないぞ。ささやかなストレスすら「許さず」に「幸福」に成ってみせる。 それが「私」だ。
「私のことはジョン・ドゥとでも、呼んでくれ」「そうかい」
言って、私も椅子を引いて座る。
さて、何を聞けばいいのか、それは大抵の場合「目的」である。なので私は聞いてみた。
「こんな風に銀河の一つ二つ、侵略して、何がしたいんだ、お前達は」
「目的は「精神面でのパラダイム・シフト」を
起こし、生物全体の精神成長を叩き延ばす事だな。君たちの「背伸び」を手伝おうという訳さ」「どういう意味だ」
二人して何も頼まないのもどうかと思ったので私は勝手にカプチーノだけ注文した。パラダイムシフト、というとコンピュータの開発だとかそういう「歴史の転換点」の事だ。
それを起こす。
人為的に、いやエイリアンだとしても、そんな事が可能なのか?
「違うな。言っただろう「精神面の」だと。だから新しい技術を作り上げる必要はない。むしろ、我々が開発したテクノロジーは「その逆」だ」
「・・・・・・」
所々ぼかしている辺り、このエイリアンは全てを話す気はあまりないらしい。まぁ当然か。目的を簡略化して話すだけでも儲けモノだろう。
「逆、だと? 何をするつもりだ」
「現行のテクノロジーを、一旦白紙に戻す」
「馬鹿な」
そんな事が出来るものか。テレポート技術一つですら、この宇宙から消し去るには銀河中を荒らし回らねば鳴るまい。
「精神の成長に必要な「本質を見る」価値観に、一度大切なモノを失って初めて気付くなら「失わせれば」良いだけの事。テクノロジーの恩恵を完全に消し去り、人類の精神を成長させる。テクノロジーが如何に「精神の成長を妨げてきたか」嫌でも理解するだろう」
理解できなければ死ぬだけだ、とエイリアンは兵器で言うのだった。精神的に成長出来ない人類は淘汰しようとする考えは分かるが、それがこいつらにとって何の利益になるのだ?
「それで、仮に上手く行ったとして、だから何だというのだ」
「我々は人間の「精神エネルギー」を栄養とするのだ。こちらからすれば「成長させる」だけで、栄養はとれる。「本質的な精神の強さ」は無くて構わないんだ。「苦境に貶めて貴重なエネルギーを質が良い状態で手に入れる」事が、我々の種族にとっては、だが・・・・・・重要な事なのさ」
「人類が多くの命を散らしてもか?」
「ああ。君たちだってそうだろう。
コーヒーを啜るエイリアンの姿は、しかし私には平凡な男がコーヒーを飲むようにしか見えないのだった。これがエイリアンのテクノロジーだとすれば、労働をさぼっていることをばれないようにするくらいしか、使い道がなさそうだ。
つまり使えないって事。
「勿論それだけではないが、しかし君。為政者が己の都合しか考えないのは当然だよ。エイリアンでもそうなのだ。人類はもっとそうだろう」
「だろうな。この場合」
「我々が違う種族である事が問題だと」
心でも読んでいるのだろうか? いや、そんな筈はない。私に読めるような心があるとは、とうてい思えないし思うつもりもない。
「だが、エイリアンがいるおかげで遺伝子治療は進んでも、誰かが社会的損失を被ったことが、あるかね?」
「行方不明の人間からすれば、あるだろうな」
「ああそれか。しかしね、君。行方不明がでるのは社会の常だよ。どんな社会であれ、暗闇で葬られる人間はいる。それが社会に利用されるかどうかの違いでしかない」
まぁ、そうだ。
私は依頼で来ているだけで、別にエイリアン肯定派でも否定派でもないのだ。どうでもいい。エイリアンがいたから何だ。暮らしが良くなったり金が降ってきたりは、しない。いてもいなくても私には同じ結果しかないのだ。
どうあろうが同じ事だ。
少なくとも、私にとっては。
「エイリアンかどうか、なんてのはどうでもいいことなのだよ。君だったそうだろう? いや、君は誰よりも「そう」思っている筈だ」
違うかい? なんて「人間」と違わない仕草、動き、感情を込めて「彼?」は言うのだった。
確かに、そうだ。
どうでもいい。それは「事実」だ。
「その通りだ。そして、相手が人間だろうが何だろうが「依頼」通りに「始末」しなければならないというのも、また私なんでな」
「そうかい? 君は流されているだけでは? 別にコメディアンを始末する必要なんてどこにも、ありはしないじゃないか。「寿命」の問題なら、我々のテクノロジーでどうにか出来るかも、しれないしね」
「そう思うなら、コメディアンの代役でも用意するんだな。依頼内容は「コメディアンの始末」だけだ。別に貴様の邪魔をしなければ鳴らない理由は、特にない」
「そうかな。そうかもしれないね。代役か、一応検討しておこう。代わりは本来効かないが、事前に準備していれば何とかなるだろう」
「・・・・・・あれは何だ? 反乱軍の連中が急に、まるで「感情を操作された」みたいに、憑かれたみたいに殺し合っていたが」
何かで操られていた、としか思えない豹変ぶりだった。しかも、何故私には何の影響も出なかったのか・・・・・・始末する依頼は出ていないが、もしこの「宇宙人」共が、私に害を成す、いや私にほんの少しでも「不利益」を出すかもしれないならば「始末」せねばなるまい。
「それは少し、違うな。詳しいことはまだ言えないが、現在準備中のテクノロジーの成果だよ」
「ふん」
やはり詳しい説明をする気はないらしい。
「君の作品を見たよ。君は「人間社会の問題は、総じて人間の心から発生するものだ」と作品内で言及しているね?」
「・・・・・・それがどうした」
私の作品はあまり世に出ていないはずだが・・・・・・金はちゃんと払ったんだろうな。
「いや、実際その通りなのだよ。「精神の未熟な部分」こそが「人間の抱える病」いや問題の発生源なのだ。人間はテクノロジーの進歩で社会問題の解決を試みているようだが、私からすればそれは見当違いなのだよ。どれだけテクノロジーを進歩させたところで、それを扱う存在が問題を起こせば、意味はないからな」
「何が言いたい」
「言っただろう? 「精神の成長」だよ。君のような拝金主義者は多くいるが、実際のところ金や豊かさでは「長期的な幸福」は得られないのだ。短期的な目線でしか、何かを得ることはできない・・・・・・それは君自身「知っている」事だろう?」 この私に「金について」語るとは・・・・・・傲慢なのか愚かなのか、いやどうでもいい。それに短期的だろうが長期的だろうが金がなければ幸福になどなれはしない。
そんなものは偽物以下だ。
私はそんな嘘臭いモノは、いらない。
「精神の成長、か。今私が最も興味のない話題をありがとうよ。で、それが何の役に立つ」
「本当の意味での強さ、という奴だよ・・・・・・分かっているくせに何故君はそうもひねくれる」
「当然だろう。「本当の意味での強さ」だと? 馬鹿馬鹿しい。現実には金と力、だ。意志の強さなんぞ何の役にも立たん。札束の前ではあろうがなかろうが同じ事よ」
実際、人間の意志が何かを変えたことはないだろう。現実には暴力とか軍事力だとか、革命一つ起こすのにしたって意志や思想そのものだけで、何かが変わったことなど有るまい。
世の中そういうものだ。
綺麗事でしかない。
「その綺麗事を捨て切れないからこそ、君は作家などという不毛の極地をやり続けているのだと、思うがな」
「下らん! 「人生の充足」と「金」でしかないものだ。「物語」は「金に換える」為にあるものでしかない。物語で読者共を感動させたとして、それが「私」に何の得がある? 人に夢や希望を魅せ「勇気」を与えられるか? だが生憎私はそんな些細なモノはどうでもいいのだ。金にならなければ、自分で言うのもなんだがもっとマシな、「生き甲斐」を探すだろうさ」
「その割には・・・・・・君の作品の中には「思想」が見られるがね。意志や希望ではなく、もっと深い在り方だ。そう、君の提唱するそういう世の中でどう在るべきか? それを君は描いているんじゃないのかな」
「だとすれば、それが何だ」
「それが重要なのだよ。君も分かっているはずだぞ。たかが一瞬なのだ。人間も、エイリアンも、生物として生きる時間など一瞬」
「まるであの世があるとでも言いたげだな」
「さぁな、あるかもしれないし無いかもしれない・・・・・・だが仮に何もなかったとしても、己が己である事実は変えられない。一度きりの人生、とはよく言うらしいが・・・・・・現実問題「その先」を見ていない我々に、その先を語ることはできまい」「可能性の噺をしていたらキリがないだろう」
「まぁな」
言って、運ばれてきたらしい暖かいミートスパゲティをくるくると回し、ジョンは口の中へそれを運んだ。
「大体が、私の物語を読んでいる奴が殆どいないのだから、その仮定に意味などない」
「これから読むかもしれないではないか。それに読ませなければ、君の言う目的は達成できない」 まぁ、そうなのだが・・・・・・何が言いたいのだ、この男、いや、このエイリアンは。私は暖かいコーンスープを頼んでおいたので、それを啜りつつ噺を聞くことにした。
私は結構、人が経験したくもない経験ばかり、したくもないのに積んできたが、まさかエイリアンに人生論を諭されるなどとは、流石に思いもしなかった。
人間の意志を物語が影響を及ぼす、とでも言うのだろうか? 馬鹿馬鹿しい。その理屈で行けば聖書を読んでいる人間は全員聖人になっている。そうならないのは分かっていたところで、その通りに成長できれば苦労はしないという、人間生物の持つ欲だとか本能だとか攻撃性だとか、そういった理不尽な現実や個人としての性格が在る限りは、読んだ本をそのまま吸収するなんてことは、きっとあり得ないだろう。
あっても困るがな。その理屈で行けば、全人類は私みたいになるではないか。私が二人も三人もいれば、その時点で分明に致命的なダメージが行きそうだ。いや、冗談だ。そこまでの影響力は私にはない、筈だ。
別にその責任を取るつもりはないので、やはりどうでもいいがな・・・・・・物語を読んで何をするかなど、読者の勝手だ。関係がない噺でしかない。「実を言うと、我々にはそんな文化は無かったのだよ。だから驚いたな。「もしも」の世界で可能性を論じるなど、そんな器用な真似が、こんな戦争ばかりしている生物に出来るとは、私自身信じられなかった」
「別に有ってもなくても同じだろう」
「そうでもないさ。物語に夢を見る。これができるかどうかで生きることは劇的に違うのだよ。君は金を価値観の主軸においているようだが、物質的にも精神的にも満たされた筈の、我々エイリアンの文明は実に退屈なモノだったよ。テクノロジーでも文化でも我々は君たちの遙か雲の上にいた・・・・・・だが、実際君の物語のように、それらはあくまでもテクノロジーや文化が優れているのであって、我々を満たしてくれる訳では、無かったのだな」
「私にそんなことを言われても、困るな」
「そうだったな、済まない。だがそれが事実だ。何かを所有する、というのは「本質的に」出来ない事柄なんだよ。君は既に自己満足でそれを済ませているからこそ「金が全て」という価値観を、肯定できるのだろう。だが、通常はそういう考え方は出来ない。精神が未熟で有れば、何を手にしてところで無意味なのだ。君はそれを分かっているからこそ「不足する物質的な力」を、補おうとしているんだろう? わかるよ」
「何の事やらさっぱりだな」
こんなエイリアンに共感されるのも御免なのでとりあえず否定しておいた。実際がどうであれ、エイリアンと(それも中年と)強調するよりは、きっとマシだと思う。
「この世は金が全てだ。精神だと? そんなどこにもないもので悩むなど、馬鹿馬鹿しい」
「だが、その「どこにも存在さえしない」精神面で、生きる事に悩むのだ。だからこそ「精神の成長」は何よりも優先されるのだよ」
「それはお前の価値観だ。私には関係ない」
スープを啜りつつ、私は言った。旨い。やはり寒いときには温かいスープに限る。蜂蜜で漬けたトーストとコーヒーが有れば、最高なのだが。
今朝食べたし別にいいだろう。
「君たちが思っている異常に「精神」は「肉体」にも影響を与えるのだ。そして「精神」の有り様は当人自身の有り様でもある」
「理屈でしかないだろう」
「理屈で有れば、その理屈を通すだけさ。現実にその理屈を実行すれば、それは真実となる」
「よく言うよ」
胡散臭い噺に乗ってしまった。まぁ言っても仕方ない。私自身、宇宙人の存在はどうでもいいがその思考回路には興味があったしな。
とはいえ、明言しておくが私は「読者の為」に書いているわけではない。「金と保身」の為、そして「己の自己満足による充足」の為に、物語を書いている。綺麗事を言うつもりは更々ない。まぁついでに言えばそれが「面白い」から、という理由も、きっとあるのだろうが。
だが「物語として面白い」モノを書くには、己自身の思想、理念、あるいはそれを通して得た答えとでも言えばいいのか、何にしろ「誰にでも思いつくこと」を書くならば教科書でも書けばいいし「起承転結」だけを書くならば「絵本」でも書いていれば良い噺だ。
それでは足りないのだ。
少なくとも、私自身あまりつまらない噺を書いていても疲れるしな・・・・・・無理してつまらない噺を書く理由も特にない。
前提として金になること。
可能で有れば、面白く「傑作」であり、それでいて「自己満足の充足」を得られる事だ。
そうでもなければやってられん。
名誉などという形すら無い見栄の為に、戦ったり死んだりする人間には、決してなるつもりはないのだ。読者の為だとか誰かに読んで貰う為だとか、そんな「綺麗事」で見栄を維持する為に物語を書くほど、私は人間をやっていない。
やるつもりもない。
人間らしくある事が「見栄」や「名誉」といった空虚な存在に振り回される事だと言うなら、私は「人間らしさ」なんていらない。
別に欲しくもないしな。
最近はそういう若者が多いが、きっと「何々になりたい」という気持ちから何かを目指したところで、その目指すモノの本質を知る事は、決してあり得ないのだ。それは結局のところ「己を認められないから発生する劣等感」から産まれる気持ちであって、それを本気で目指している訳では、ないからだ。
本当にそれを目指すなら、それが何であれ、その目的が「どうすれば金になるのか」を考えるだろう。だが、「それによってどんな自分になれるか」「周囲はどう思うか」「名誉や見栄は盛り返せるのか」などと、そんな些末な事を考えている奴が「成功」や「勝利」を掴める程、この世界は優しくもない。
無論例外はある。才能や幸運もあるだろう。だが「勝利」は出来ても「勝利者」には、成れないのだ。「勝利のその先」を見据えなければならない。そうしなければ「勝利」出来ても、その先が続かない。
だから最近は、成功した後にすぐ落ちぶれる若者が多いのだ。テクノロジーの進歩は急速な成長を可能にする力だが、その力の早さに、人間の意志がまるで追いついていない。追いつくことが出来なければ、振り落とされるだけだ。
そういう意味合いでは、だが・・・・・・このエイリアンの主張は、概ねだが、正しい。
正しいというより、事実を言っている。
「君の言う「自己満足」は「究極の豊かさ」なのだよ。己で己を認めることが、精神の豊かさ、ひいてはその満足度に比例する。物質的な豊かさなどというのは、それに比べれば大した難易度ではない。何せ、金さえ有れば誰にでも手に出来るのだからね」
だが「気にくわない」な。「金の豊かさ」よりも大切な存在がある、などと・・・・・・綺麗事を口にする奴は気にくわない。存在そのものが許せないと言ってもいい。「悪」で有るが故に「薄っぺらい偽善」は聞いているだけで不愉快だ。
だから私はこう言った。
「その自己満足すらも、金ありきだ。金のない状態で幸せがある、などと、そんなのは負け犬の遠吠えって言うんだぜ」
「ふふ、君のそういう生き方は嫌いじゃないな」「そうかい、私は貴様のような「金よりも大切なモノがある」などと抜かす大馬鹿は、大嫌いだ」「お互い、気が合うようだな」
「そうらしいな」
どちらかと言えば気が合うのではなく、気が衝突するって感じだが、まぁ似たようなものだ。
仲良くするか殺し合うかの違いだ。つまり些細な違いでしかない。方向が真逆なだけで、やっていることは同じだろう。
・・・・・・思うのだが、「宇宙人」って連中には、何かしたいことだとかがあるのだろうか? スポーツ選手になりたいだとか、あるいはこの男なら「国のために働きたい」だとか、言い出したりして身内と揉めたりするのか?
気になったので聞いてみた。
「なら、貴様は・・・・・・人間を成長させて、一体何が」
したいのか、は教えてくれそうにないので「楽しいんだ?」と聞くことにした。
彼はこう言った。
「純粋な興味だよ。無論、君の言うところの「労働」って奴でもある。私個人の意志でここまではしないし、人間でもエイリアンでもそうだと思うが、「一定以上の大きな目標」というのは、個人ではなく「種族全体で」向かうものだ。だから私個人がどうして今回の行動に関わっているのかと言えば、純粋な興味だと答えよう」
「興味本位で、種族を操るのか?」
「君だって、興味本位で他人の心を暴くじゃないか」
まぁ、そうだ。しかし興味本位で間接的な種族の支配、などという事をされては、純粋に迷惑でしかない。
民族ではなく種族が違う以上、そもそも相容れる事がおかしいのだろう。争って当然なのだ。どちらかが得をすればどちらかが損をする。企業同士の争いと同じだ。違うのは、負けた方が人間性を貶められる部分か。いや、その程度、企業同士の争いでもよくある噺か。
エイリアンに「人間性」も無いだろうが。
精神を尊重し、それを貫くことは、ともすれば他の精神を陵辱し、辱め、殺すことに他ならないのだろう。
それこそ今更だがな。
綺麗事を掲げる、ということはそれを己で実現しなければならない、ということだ。「誰かにすがったり」しないだけ、この男はまだマシか。綺麗事を掲げるのは簡単だ。だがそれを誰かに求めるのは醜悪だ。何かを掲げればそれに準じた何かを成さなければなるまい。
それを興味本位でやる奴も珍しいがな。まぁ、これも私が言うことでは、ないのか。
エイリアンが社会に影響を与えていたのは「正体不明」だからだ。正体を暴露し、社会に貢献しつつ「政治的地盤」を確保している彼等なら、多少の人体実験をしたところで、民衆が蜂起することも、まずないだろう。
それだけ侵略されている、という事だが。
エイリアンが人類を侵略し、支配することに問題点があるとすれば、それは「自分たちの寿族でない相手」を支配する場合、「実験用のネズミ」のように扱うことが罪悪感なく出来る、という点だろう。実際、人間は同じ人間ですら、そういう扱いをしてきたのだ。人間もエイリアン側も、そういう行いが出来ない理由も道理もない。
「君は我々を勘違いしているな」
そういって、頼んでおいたらしい紅茶をくいっと彼は飲んだ。
「我々はね、君たちから精神エネルギーを回収できればそれで良いのだよ。別に、君たち程度を、支配したりするつもりは、あまりない」
「事実として飼い殺しにされているからだろう。本意がどこにあろうが、実際に行われている事に憤りを感じるものだ」
「おかげで、君達の精神医療は進んだだろう? 肉体の治療はある程度、君達は克服しつつあるみたいだが・・・・・・長い間「精神生命体」として活動してきた我々ほど。メンタルケアの能力は、高くはないだろうからね」
「それで「飼育」されるのは御免だな」
「おいおい、生きているだけで誰かに飼育されるものさ。君だってそうだろう? 依頼主の女に飼い殺しにされている」
「そんなつもりはないがな」
「つもりがなくても、同じ事さ。エイリアンが上に立つか企業が上に立つかの違いだ。我々の利害関係はむしろ、一致しているのだよ。現に、この惑星は遺伝子治療もメンタルケアも、他の銀河系のどこよりも進歩している。我々が関与することで政治の腐敗もシステム面からあり得ないように細工されている。これ以上の環境があるかね」
「さあな、私は「コメディアン」の始末を依頼されただけだから、多くは語らないが・・・・・・恐らくは、だが、「お前達を始末してその技術系体、そしてこの惑星で得られたデータを回収し、エイリアンの手を介さず人間の手で技術を回す」というのが、狙い目だろう」
エイリアンが人間社会を浄化、上手く回す方法論を思いついたというならば、それはそれで利用されて然るべきだろう。エイリアン達に、それこそ銀河系の一つ二つを「運用させて」ある程度、運用結果が芳しく、またそれらの運用技術が体系化されれば、そのデータを横から奪ってそれを、人間が運用すればいい。
「欲深いね、君達は」
「生憎、欲深くなければ生き残れない社会だったものでな」
「・・・・・・私達から見れば、正規の手続きを踏んでいないテロリストだ。実験用のマウスに同情する人間はいないし、もっと言えば多種族に同情的になる生物はいない。正規の手続きで軍を動かす事に、なるだろうね」
「だろうな。無論、私はそれらを皆殺しにし、その上で「依頼」をこなすつもりだ」
「単一種族の限界だよ」
「何だって?」
「あらゆる物事は、複合化により更なる進化を遂げるものだ。我々が欲しいのは精神エネルギーだけ、ではない。人間の凶暴性は、宇宙全体で見ても珍しいのだよ。銀河系で唯一、身内を私情で殺害する生命体。本来あり得ない生物だ・・・・・・この凶暴性の原理を解明し、自分の意志で戦いを肯定するよう集団心理を操作し、安価で死ににくい「強力な傭兵」を「生産」し「販売」する」
「傭兵?」
現行の技術ならアンドロイドも、ドローンもいるだろうに。それどころかバイオロイドテクノロジーも最近開発が進んでいるところだ。生物兵器の量産化すら金次第で、いや、もっと言えば未開発の惑星で在れば、銀河連邦の法律の外で活動できるのだ。クローンを量産しても良い。金さえ在ればそんな惑星の一つや二つ、幾らでも作れるだろうに。
人間の傭兵なんて、価値があるのか?
「あるさ。兵役ではなく己の意志で戦う兵隊は強く、戦場では重宝される。君の軽んじている「意志の力」をニューロイドの技術と合わせることで、実に安価で強力な傭兵の量産体制が整う。それも、精神力ではこの上ない頑強さを誇る、鉄の兵士として」
「宇宙征服でもするつもりか?」
これは面白くもない冗談だった。現実に宇宙制服なんて考えると、どれだけ資源があっても足りないのだ。それに、それだけの広範囲を支配するなど、どれほどの演算能力があったところで、不可能だろう。
それこそ神の領域だ。
神であろうとも、そんな金のかかる労働は、きっと御免被るだろう。とりあえず銀河系を七十万程買い上げる資金は必要になる。
つまり不可能って事だ。
「まさか。言っただろう。我々の目的は、別に人類社会を支配する事ではない。人類社会を利用することなのだ」
「似たようなものだ」
「違うさ。「敵対はしない」という点でね」
では、私はもう行くよ。そう言って彼は席を立って後にした。それと同時に銃撃、というかプラズマ砲を頭にくらいそうになったので、私はそれをかわしつつ、武装した別のエイリアンの胸元に刀を突き立てた。
一個小隊、とでも言えばいいのか。交渉が決裂した場合に備えて、あらかじめ待機していたらしい。私はそいつらを皆殺しにした後、建物を利用しつつ追っ手の追跡を逃れた。
「こっちよ」
言って、私を手招きしたのは、あの銀髪の女だった。名前は確かザド、だったか。
私は女に連れて行かれ、まるで不思議の国へ向かうアリス、というのはメルヘンすぎるか。どちらかと言えば急かされる死刑執行人のように、私は刀を携えたまま、女の後ろについて行くのだった。
8
「貴方、誘いを断ったのね」
意外そうに(そんなに裏切りそうだったのか)彼女は私を眺めつつ、そう口にした。狭い部屋で判然としないが、恐らくは廃ビルの一部屋だろう・・・・・・得も言えぬ不気味で奇妙な空間が、そこには存在した。
「けれど、作戦は成功よ。精神攻撃を受けた仲間達も在る程度回復したし、貴方にエイリアン側の接触があるのはわかっていたもの」
「どういうことだ」
こうしていると、まるで尋問されるみたいだ。いやみたいではなく、されるのだろうか。まぁ、サムライの刀がある以上、暴力行為はこちらが先制できる。無論暴力など方法論としては噺にならないので、取引で済ませたいところだ。
その方が楽だしな。
「彼等の拠点はどうしてもわからないの。きっとプロテクトを張ってるからだわ。だから向こうから接触される機会を作ることにした。広告塔の始末ついでに、必ず接触する、というか無視できないレベルの戦力を持つ貴方に、張って置くことにしたのよ」
「どおりで簡単にやられすぎると思った」
幾ら何でもああも簡単に、今まで戦い続けてきたであろう連中が、罠にはまるのは不思議ではあったが・・・・・・フリをしていただけだったのか。恐らくはあらかじめ精神ブロック錠剤でも、飲んでいたのかもしれない。無論、全員がそうではなかったのだろうし、そんな作戦に一般兵が従う、とも思えないので、極一部の人間だけで、囮作戦を実行したのだろうが。
連中を撒き餌にして、身軽に動くつもりが、利用されていたとは。つくづく、上手く行かないものだ。いや、この場合上手く行ったからこそ、私はこうも良いように操られたのか。
構わない。エイリアンとの会話は、そこそこ作品のネタになったしな。私個人からすれば、作品のネタと私個人の利益になれば、たかが銀河系の一つや二つ、消えたところで一向に構わない。
「ふん、それで。成果はあったのか?」
「ええ、勿論」
言って、彼女はタブレット型の地図を取りだした。枠のようなモノを引き延ばすと、そこに画面がでるタイプらしい。実に奇妙だ。
出てきた立体型の地図をタップしつつ、彼女は「ここよ」と指さした。
「テレビ局がそのまま、要塞になっているの。この地下通路を通った先に、奴らの本拠地がある」「それで」
「貴方に手伝って貰うわ」
「何故だ? 私はコメディアン一人の始末を任されただけだ。お前達の命運は関係ない」
「ここまで来てそういう事を言う?」
「言うな」
よく分からん流れみたいなモノに、私の命運を左右されたくはない。流れ的に彼等と戦う流れだとしても、それはただの物語の流れであって、私の意志とは関係がない。まぁ、どんな選択をしようが、私の意志とはあまり、関係のない方向へ、いつも話が進むのだが。
いつもそうだ。
いい加減、うんざりではある。
ここは彼等と共闘する道はあるにはあったけれど、適当に観光だけ済ませてめでたしめでたし。そんな適当な終わり方で良いではないか。
「私と来れば、貴方と寝てあげるわよ?」
「結構だ。花より団子でね。私はさっさと引き上げて、ステーキでも食べたいのだ」
「・・・・・・ふん」
少し鼻白んで、彼女は「このままでいいの?」と疑問符を投げかけるのだった。「このまま」とはどういう意味だろう?
「だから、このまま、よ。人間が良いように操られて、使われて、酷使される。こんな状況で貴方は許せるの?」
「許せるも何も、「私」は別に、連中に酷い扱いを受けたわけではない」
「撃たれて殺されかけたじゃない」
「それは」
そういえばそうだった。どうしてくれよう。いっそこの女の誘いに乗って、私を舐めた連中を皆殺しにし、いや、まてよ。
「・・・・・・連中のテクノロジーで、銀河連邦には非公開なモノは、どれくらいある?」
「さあ? けれど、貴方が満足する位のモノは、あるはずよ。これだけの大規模実験を、人権を無視してやっている銀河系なんて、ここくらいだものね」
「その、連中のテクノロジーを私に譲渡する、というなら協力してやっても良い。新しいテクノロジーを特許ごと頂きたい、という訳だ」
「ふうん」
どうやら人間の尊厳を守るために戦っているらしい彼女(と、言うより彼女達、か)にはあまりテクノロジーや金、それに付随する利益は、興味のないモノらしかった。
尊厳と実益は別の所にあると、いうことか。
尊厳を無くすのは考え物だが、しかし尊厳だけ高いのも考え物だ。私なら嫌だ。
「俗物なのね」
「作家なんて皆そうだろう。俗物だからこそ、ありもしない未来を想定して描くのさ」
「貴方、作家だったの?」
驚いた、と言わんばかりに彼女は目を見開いてそういった。そこまで驚かれるのも心外だ。無論見た目で「作家らしい」というのも、よく分からない噺ではあるが。
「作家以外の何に見える?」
「だから、俗物よ。俗物以外には見えないわ。ただの俗物だと思っていたけれど」
「俗物と作家は同義の言葉だ。別に構わんさ」
編集者だと言われなかったのは救いか。あんな連中と一緒には、されたくないからな。己の力で何かをせずに、それを己の利益に還元する輩とは正直、相容れないのだ。
啜るように搾取する人間とは、どうもソリが合わないからな。堂々と奪うか、奪われるかだ。そして私は奪う側に立ちたい。
どんな手を使ってでも。
啜られるのは御免だ。
私は今ここにいる。こうして生きている。当たり前のことだが、しかしその「当たり前」を認めようとしない人間は、必ず存在する。
ならば、道徳だの人情だのに拘って、相手の都合を配慮して、それで良いように啜られるよりは「奪う側」に存在していたいのだ。例え生まれ持って輝かしい「持つ側」に立てないのならば、それ以上に私は「奪う側」として、己を際だたせて生きていきたい。
そう在りたい。
これからもずっと。
誰が、いや、何が相手であろうともだ。
それが「悪」であり「俗物」だと言うなら、構うまい。私は己を殺して生きるよりは、何も持たずに堂々と虚勢を張る「悪」でありたい。
「作家」なんて元から「悪」だしな。拘るつもりもないが、しかし「物語」なんて形ない噺で、金を奪い取ろうとする姿が「悪」でなくて、一体何だというのか。
ならば結構だ。
誰にはばかる事もない。
私が許す。私の行動だ。私が決めたのだ。
この「私」こそが最重要だ。
それ以外の些末な大勢のぼそぼそとした言葉など、知ったことか。
この「私」を変えたいという奴がいるのならば「二十億ドル」用意しろ。二秒だけ考えてやる。考えるだけだがな。
つまり変えるつもりは無いって事だ。
「へえ・・・・・・なら、貴方の喜びそうな「とっておきのネタ」があるわ」
「・・・・・・・・・・・・何だと?」
今、この女なんて言った・・・・・・「とっておきのネタ」だと? それは、凄く、興味がある。
何だろう。
「何、だ。その、「とっておきのネタ」とは」
「エイリアン共が「どこから来たのか?」それは誰も知らないわ。けれど彼等の運営する「テレビ局の地下」には「その秘密」が隠されているらしいの」
「ほう・・・・・・」
エイリアンの秘密、か・・・・・・昔からよくある噺ではある。だが「気になる」ぞ。見てみたい。どこから連中が来たのか、知りたい。
・・・・・・調べてみるのもありかもしれないな。
「連中は生物兵器、というか「寄生型」のエイリアンなのだろう? どこぞの宇宙人達の生物兵器みたいなもの、という噺は聞いたが」
「その「起源」よ。彼等の祖先がどこからきたのか? その答えが代々継承されているらしいの」「ほう」
記憶に留めておくとしよう。エイリアン共の秘密、その起源、か。
「それで、そのテレビ局というのは、ここからどれくらいの距離なんだ」
二日ほどかかるわ、と言って、ザドは私に対する警戒を、とりあえずは解いたらしい。
「貴方が到着し次第、本格的な攻撃が始まる。精々遅れないようにしてね」
「別行動を取るのか?」
「当然よ。貴方は囮だもの」
私は肩を竦め、仕方がないので外へ出て、用意されていたらしい車(年代物だ。一体どこから入手したのだろう)に乗った。何でも、最新型だと追跡が簡単に出来てしまうので、少し遅れてしまうがクラシック・カーの方が、リスクが少ないという判断らしい。
私は車に乗り、携帯端末を繋いだ。
9
「俺が運転するのかよ」
そう言ってジャックは面倒そうに車の回線に繋ぎ、電気系統を乗っ取ったのか実にスムーズに車を動かすのだった。
私は乗り物を動かすのが嫌いだ。責任感もない癖に乗り物でひき殺し、それでいてそんな危険な存在を「社会人の嗜み」みたいな適当な感覚で、動かす人間の気持ちは分かりそうにない。
分かりたくもないしな。
運転など運転手に任せればいい。適材適所だ。何かをやろうとしてどうしても上手く行かないのは、己の領分以外の部分をしようとするからだ。無論、私のようにその「適任」って奴が中々見つからない事もままあるが、優秀な人間の場合はこの傾向が非常に多く「己で全てが出来る」と思い込むらしい。
思い込み程、醜悪なモノは無い。
思い込むことで、殺人すらも肯定できる。誰かに思い込みを強要しても「感謝」を更に強要するくらい図々しくなれる。
無論、私の自己肯定と思い込みとでは、違う。私は悪であろうが何であろうが己を曲げる気は更々ない。だが連中は「悪」である事を容認せず、己は「清く正しい」と思い込み、それを受け入れない人間は排除する。
己の世界を肯定するか、押しつけるかだ。
方向性が逆なのだ。
相容れる筈が無い。何せ方法論からして、私とは真反対なのだから・・・・・・私は「無限に向かい続ける」が、彼等は「無限に逃げ続ける」のだ。
どちらが正しいかはどうでも良いし、哲学者にでも任せておけばいい噺だが、どちらが醜悪かは目玉がついていれば分かるだろう。
「先生は、今回の事をどう思う」
「どう、とは? 言葉には責任を持て。つまりどういう事だ」
人工知能の分際でこいつは、やたら人間の深い部分を知りたがる。無論相手が犬でも人工知能でも「個性」であり「一存在」であることには変わりないので、つまり相手が何であるかは特に関係なく、私の態度は大きいのだが。
まぁこれも交渉術のようなものだ。
「連中はさ、「大儀」で戦ってる。これを先生はどう思うのか、と思ってね」
「思うが重複している。貴様は思想家の吟遊詩人か・・・・・・そうだな、「未来」を見据えるのと「大儀」を掲げるのとでは、同じだが違う。大儀とは「あればいい」と思う「理想の未来」であり、実際にある未来を否定して出来るビジョンだ。だから連中が望む未来を手に出来るかは、正直わからないな」
「何故? その口振りだと、未来を見据えている人間は必ず未来にたどり着ける様に、俺には聞こえるが・・・・・・先生はそんな希望論を振りかざす人間ではないだろう」
「ああ。だから「辿り着く」か「辿り着かずに死ぬか」だ。本来、未来とはそれくらい不確定なモノなのだ。自分達の望む未来があるべきだ、という主張は、かなりの年月と準備がなければ、噺にすらならない」
歴史の陰に埋もれるだけだ。
それはよくある噺でもある。
「辿り着くか死ぬか、か。ロマンチストだねぇ」「現実主義なだけだ。実際、物事はそういうものなのだ。問題は、死ぬ寸前まで挑戦して報われない「要領の悪い生き方」が、「それなりに人類社会に貢献してきた」ことだろう」
「歴史的な発明はそういう背景が多い、みたいな噺か?」
「ああ、そうだ。だが、そんな割に合わない生き方を選ぶ人間は、どんどん減ってきている。リスクとリターンを考えれば当たり前だが、その分、人類社会に大きな変化は少なくなった。無茶苦茶な生き方でも、大勢の中に数人は成功者が現れるものだ。そしてその見返りは大きい。あくまでも「社会全体で」考えた場合だが」
「先生は、どうなんだ」
音楽をかけながらジャックはそう言った。私はまだ道の途中だ。そんな答えを出せる筈もないだろうに。だが、考える事は出来る。
「さあな・・・・・・極論、私の物語の売り上げが上がったとして、その直後に核戦争で銀河系全体が滅びれば、私は「敗北者」だろう。最後まで歩かないと分からない、などという事は無い。考えるだけ無駄な事なのだ。仮に私が望む全てを手にしたところで、元々が人間性が無いからこそ作家を志した私に「幸福:というのは概念そのものがないのだから、基本は今までと変わらない。少なくともどうでもいいストレスからは、解放されるが」「その後はどうするんだ? 困難な道を歩き切った後、先生みたいな人間は、金を持ってそれでおしまいなのか?」
「そうでもないだろう。何より「金と平穏」という「私個人の幸福」と、辿り着いた後何をするのかは別の問題だ。どこに辿り着こうが、やることは同じだ。「未来を見据え」つつ「現在を謳歌する」。世界に完全な答えは存在しない。ある程度自己満足が出来れば、それが当人の幸福であり、到達点なのだ」
「それって寂しくないか? どうせなら、たどり着いた後、更なる上を目指したりする方が、人間らしいというか「充実」するのじゃないか?」
「そうでもない。現状を維持するのも、現状から上を目指すのも、やってる事は同じだ。自己満足の出来る目標を掲げて、それに満足しつつ勤しむだけだ。上を見ようが下を見ようが同じだ。結局は己の世界を満足させられればいいのだからな」「ふぅん」
そんなもんかね、と適当な返事を彼はした。
「無論、現実問題未来を見据えつつ、ある程度上に行かなければ幸福も何もないがな。精神と物質面を充足させていれば、後は当人の勝手だ」
「確かにな。俺も先生も他の奴らも、自分の世界の中で生きていて、その中で尺度や法律を決め、己のやり方で道を作り上げていく、か」
「そんなところだ。実際に世界を変えたくなったら、その己の思想を世界中にばらまけばいい」
「だから作家をやってるのか?」
「まさか」
そんな殊勝な人間性は持っていない。持っていたら作家なんてやっていないだろうしな。
「幸福は極論、「現在」の感情で決まる。未来を見据える事とは別にあるのだ。そして己の望む未来を社会に適応させようとしているのが「大儀」に酔った連中の特長だな」
「正しくないと、思うのかい?」
「いいや、正しさなんて都合でしかないからな。金と権力で整うものだ。ただ、今ここに無いモノを世界に望むなら、それ相応の道を歩かねばならない。その場合上手く行かない事が、異常に多いのはこの世界の基本だからな」
さて、連中はどうなるのやら。大儀というのは掲げるのは簡単だが、実現するのは至難の技だ。まぁ私には関係ないから、精々作品のネタに、するだけだがな。
信念は利用するもの。大儀は使い捨てて、やはり利用するものだ。つまり私の前ではそういう連中は悉く作品のネタとして利用され使用される、消耗品でしかないということだ。
「そういう「意志の淘汰」が無ければ進歩することは出来ない。だが、淘汰があるからこそ理不尽があり争いが起こる。この矛盾は如何様にも解決できる問題ではないが、しかし最近はなあなあの馴れ合いで解消しようという風潮すらあるな」
「その言に乗っ取って言えば、先生は「淘汰」されつつも「進歩」しているなら、良いんじゃないのか?」
「進歩しているかどうかは「結果」には関与しないからな。そういう意味では「淘汰」なんて有ろうが無かろうが同じ、結局は運不運に左右されるのかもしれないな」
「やるせない噺だ」
「まったく」
私は運転席に座ってはいるが、別に運転する必要は特にないので、小さなホットケーキをつまみつつ、紅茶を体に流し込んだ。
体が温まる・・・・・・テレビ局を襲撃するにしても作品を書くにしても、体は資本だからな。健康を気遣わずして為し得る事柄などあるまい。
「けどよ。俺は違うと思うぜ。例えどれだけ運が良かろうが「宿命からは逃げられないと思う。俺は命の存在しない人工知能だが、この世界に確固として存在する「どうにもならない力」の存在を信じているからな」
「ますます人間臭い奴だ」
「誉めるなよ。要は、先生みたいに「宿命に対して取り立てる」のも「宿命に追いつかれる」のも同じなんじゃないかって噺さ」
「そうかな、因果が応報しない例など、幾らでもあるだろう」
確かに、と前置きしてからジャックは「そうかもしれない」と言って、間を置いた。こいつは意味のない綺麗事や精神論を言わない奴だ。どういうことなのだろう?
「けれど、どんな力にも限界はあるんだよ、先生・・・・・・先生は不運を嘆いているけれど、「不運」という力にも「理不尽」という力にも、限界はきっとあるのさ。永遠に続く力なんて、無い」
「反物質とか核融合とか、それそのものがエネルギーを生み出し続ければ、可能だろう」
ただの揚げ足取りだ。あまり意味はない。
だが、彼はこう言った。
「そうかもな・・・・・・けれど永遠に続くとは思えない。良きにしろ悪しきにしろ「反動」という力は物理の世界に必ずある。どんな道であれ、歩いてきた今までを「無」に返すことは出来ないのさ」「なら、早くして欲しいものだ」
「案外、あっという間かもしれないぜ。何事もそうだが、「目的」を達成するときは、一瞬さ」
「どうだろうな」
それこそ「結果」が未だ出ていない以上、軽々に未来を信じるなど出来はしない。
「先生の書く物語だってそうだろう? 大枠は変わらないのさ。細かい争いや出会いがあっても、それは結局物語の終わりに向けられたものだろうしな」
「だからといって、過程が争いや困難に満ちているよりは、何もない豊かで平穏なる毎日の方が、過ごす側としては楽だがね」
「そうでもないさ。「器」が大きくなるか小さいままかの違いでしかない。仮に、先生が成長することを拒んだところで、「些細でどうでもいい」事に悩んで、苦悩して、争うだけさ」
過程が変わっても「結果」は普遍という訳か。 忌々しい運命だ。
あるいは、作家としての宿命か。
「どうせなら大きい事で悩んだ方がいいだろう」「どちらにしても苦痛や苦悩があるというのは御免被りたいがな。第一、その言い方だと成長したところで同じ苦しみや苦悩と付き合うのだろう」「まあな」
「なら、成長そのものに意味や価値があるとは、思えないな」
「そうでもないさ。小さい悩みを全て克服していけば、究極的には「何に悩むことも苦悩することもなくなる」訳だからな。「無限の器」を持つ存在の目線には、遙か彼方にある「未来」しか写らない。未来を見据えていれば「対処」が出来る。完全にと行くかは分からないが、凡俗と違って、本当に敵対すべき存在を明白に出来るから、それに向かって歩いていける。先生の在り方はまさにそれだよ。急ぎ過ぎなだけさ」
そうだろうか。
私は、「器の大小」などどうでもいい。別に興味も無い。有ろうが無かろうが、私個人の平穏や幸福、豊かさには関係がないからだ。
嫌というほど「それ」を見てきたから分かる。世の中には言うまでも無く「成長」から最も縁遠い人種こそが「美味しい思い」をする。
成長など無意味ではないか。
「そうでもないさ」
先読みをしたのか、先んじてジャックは話し出した。
「全ての生き物は「成長」する為に生きている。いや「生かされている」というべきかな。この世界は「成長」する存在を祝福し、そうでない存在を淘汰する。だから「豊かさ」や「力」のみを、どれだけ手に入れたところで、意味なんて無いんだよ」
「それでも私は金が欲しいがな」
ワイパーが水滴を払いきれない現状を少し、苛立ちながら私はそう言った。紅茶は既に冷めてしまったので、専用機械で沸かし直す。
「生きる上で必要なモノがある。「魂の決着」だ・・・・・・己の存在が抱える問題に、真正面から打ち勝つこと。だが、それは「尊い」だけであって、別に「金銭の多寡」には関係がない。日々の豊かさには、何の関与もしないのだ」
「本当にそう思うのか?」
「精神面が豊かで有れば、成る程どんな環境下でも「満たされて」生きられるかもしれない。だが何度も言うが、それが「歩いて来た道の先に、それに見合う豊かさ」が、無くて良い理由には、決してならない」
なってたまるか。
綺麗事で、尊さだけで満足しろ、などと・・・・・・うざけるな。私は見せ物ではない。
「豊かさなんて幻想さ。歩いてきた道に信じられるモノがあるなら、誰であろうとも、確固たる己の自信を持って、物事に挑むことが出来る」
「下らん。世の理不尽に対するただの言い訳だ。己を信じて進める事が、それが金にならなくて良い理由には、ならない。相応しい対価が払われていないだけだ」
尊さや人間賛歌があるから満足しろ、なんてのは御免だ。どう言い繕おうが「金にならない」のは敗北だ。
まして作家なら尚更だ。
金の為に書いているのだ。
「金の為、なんてそれこそ言い訳じゃないのか? 先生が、金を欲する人間には、どうしても見えないんだがね」
「大きなお世話だ」
暗闇の中を中古の車で、こんな会話をしながらでも、どこにもぶつけないジャックの運転技術はそれなりに評価に値した。
「金は必要だ」
「必要なだけだろう。先生には、欲しいモノなんて何もない。違うか?」
「だったら、何だ。それが金を支払われなくて良い理由には、ならない」
「理由にならないだけさ」
「それで十分だ」
綺麗事など反吐が出る。
だからこその「邪道作家」だ。
そこを曲げるつもりは無い。
一生、いや、例え生まれ変わったとしても。
私はこの「私」で有りたい。
それが私の願いだ。
「勘違いするなよ先生・・・・・・理不尽な失敗や敗北がそうであるように、成功や勝利も、案外どうでもいい所から手に入ったりするんだぜ。先生の場合その下拵えが終わっているんだから、堂々と構えてりゃいいんだよ」
「そうとも取れないな。今まで散々お前の言う世の中の仕組みに落胆させられてきた側としては、易々と信じろと言うのは無理な話だ」
「その無理を通せばいい」
「それも検討している」
移動中の車内で、人工知能とこの世界の概念論に関して話すとは、何とも奇妙な体験だ。ジャックはああ言ったが、現実問題「結果」を得てからでなくては、信じるも何もない。
余程幸運な奴か、馬鹿でない限り、不明瞭な未来を信じる、などというのは土台不可能な噺だ。それも、今まで信じられるほどの未来が無かった存在からすれば、疑って当然だ。
世の中は信じられるほどやるべき事をやらないし、信頼は空しいだけだ。根拠も無く失敗してもどうでも良いからこそ、あるいは期待できないからこそ「信頼」するのではないか。
信頼は空しい。何故って大概「結果」が実らないからだ。人間でもやり遂げた物事でもそうなのだが、「信頼」したところで「結果」が良くなった試しがない。信頼に対してこの世界は無能をひけらかすように出来ている。
そんなものだ。
己は信じるに値するが、それに相応しい結果がでるかは賽の目次第だ。結局の所、エイリアン対峙を依頼されてすら、私は「運命」や「運不運」という忌々しい存在を、克服できていない。
「運命を刻み込む」そんな能力を手に出来ればいいのだが。己の望む運命を与え、奪い、支配することが出来れば、どんな幸福も手に入るのではないか? いや、この考えは危ういのか。
あのエイリアンの言葉では、どうも精神面の豊かさは、そんな事では得られないそうだからな。最も、物質面での豊かさがなければ、精神の豊かさも何も無いと思うが。
そんなのは余裕のある人間の台詞だしな。
私には縁の無い噺だ。
作家というのは基本的には書きたい事を書き、応用的には意味不明な事を書いている存在だ。書く事以外にさしたる欲望を持てない存在だ。
作家足り得るかどうか、これは「傑作」を書いているから、ではない。作家足らんとしていれば赤子ですら「作家」なのだ。作家業に限らず、夢や理想を唱えて「将来はああなりたい」などと、ほざく連中が多い世の中になってきたが、本質はそうではないのだ。
成りたいから成るのではない。
既に成った存在が、凡俗共に認めさせる事が、出来るかどうか? 世の勝利や栄光はその付属品に過ぎない。
私はそう思う。
強く、そう思えるのだ。
「着いたぜ」
言って、人工知能は幕が開けたことを伝える。 私はそれに答えた。
10
「座っても?」
席を挟んで、私は座る。
いつもこうだ。
相対する相手はアンドロイドも、妖怪も、バイオロイドでも、エイリアンでさえ、私とは実に対照的だ。
テレビ局近くで、私は雨宿りをしていた。紅茶とホットケーキを頼んで、私は一服していた。
向かいにはくたびれた服装をしている、軍服の男がにやにやと笑みを顔に刻み込みながら、私を品定めしている。現在進行形で、だ。
不愉快な野郎だ。
それは本来、私がする側だ。
貴様がするんじゃない。
「おっと失礼。名乗る事を失念していた。私の名前はヴァレンチノ。ヴァンとでも読んでくれたまえ」
「何のようだ」
「何って・ わかっているくせにぃ、君って奴は実に、そう、抜け目ない野郎だ。エイリアン共のテクノロジーを狙っているんだって?」
どこでそれを、などとは言わない。情報というのは必ず、どこかから漏れるものだ。どれだけ技術革新が起ころうとも、人間に作れる存在は、人間の手で打ち破れぬ道理はない。それが暗号でも情報戦でも戦争でも兵器でも核でさえ、破壊する術が有れば防ぐ手だてがあり、この世に「絶対」というのは「人間らしい作家」位、存在し得ないモノなのだ。
飄々としている癖に、どこか抜け目の無さそうな軍服の男は、頼んだコーヒーをぐい、と飲んで椅子に深々と改めて、座り込むのだった。
「貴様に何の関係がある」
「あるなぁ。テクノロジーと言うのは、だ。言わば楔の様な存在なのだよ。君は、そのテクノロジーを使って一儲けしようと企んでいるらしいが、テクノロジーの流出は混乱を招く」
「政府関係者か」
大仰に世の中のバランスを説きだしたら、そいつは九割九分政府の回し者で、残りのわずかは異端者か敵対組織の人間だ。つまり切り刻んでも構わないって事。
私は剣を握りしめた。
「おいおい、怖いなぁ。私はうっかりスイッチを押してしまうところだった」
「爆弾でも持っているのか?」
「いいや。そんな危ない真似はしないさ・・・・・・反乱軍の情報を、ちょいとバラそうかと思ってね」「・・・・・・それが何だ? 私にはどうでもいい」
「関係ない、か? しかし君は誰よりも人間を、深く愛しているように思えるがね」
「馬鹿馬鹿しい」
医者が欲しいなら紹介してやるぞ、と私は吐き捨てて、座ったまま剣の切っ先を、軍服の男、ヴァンの首筋に当てる。
「よしたまえ。君はそんな野蛮な人間でもあるまい」
「これからそうなろうか検討中だ」
「わかっている筈だぞ。これは君次第なのだよ。彼等彼女らが救われるか否か、これは君の選択肢次第で大きく変わる」
「それが何だ。私の利益とは関係がない」
「そうでもないね。君は、人間の可能性が見たいのではないのかな? これから先、エイリアン共に支配されれば、人類の可能性は閉ざされるぞ」「それがどうした」
「君の好きな物語も、この世から消えるだろうな・・・・・・そうなるかどうかは「君」が決めたまえ」 人類でない「私」に「人類の未来」を決めろだと? 皮肉のつもりか?
この世は所詮自己満足。他の人類が滅んだところで、「私」には関係がない。
「それは嘘だろう。君は羨んでいる」
「いいや、羨みなど無い。勝手な想像をするな。私は、人間に焦がれる趣味など無い」
崇高さや気高さを信じる者は、そうでない存在に「高尚さ」みたいなモノを押しつけがちだ。人間性に期待し過ぎなのだ。
そもそもが、この男・・・・・・噺を煙に巻いているだけで、本気でそう思っている訳ではない。政治に関わる連中はどうも、前置きが長くて困る。
「で、何のようだ? 世間話をしにきた訳でも、無いだろう」
「いいかね、連中は利用できる。エイリアンだろうが何であろうが、「国家の利益」は人民の尊厳よりも優先される」
「下らん。それも、国家ではなくそれを運用するお前達の「組織の都合」だろうが」
「おお、危機間違いかな? 貴方は・・・・・・我々の要請を、断るおつもりで?」
「疑問文の多い奴だ。国家だの組織だの大きな利益の動く組織にありがちだが、己の器を計り違える奴が多い。貴様もその一人だ」
「エイリアン共が人体実験をしてくれたおかげ、でどれだけ医療が進んだか、君は知るまい。連中を野放しにするだけで、こちらとしては手を汚さずに、経済を活性化できる。綺麗事なら誰でも言えるが、国民は結局の所「金」の重要性が分かっていない。金無くして通る綺麗事など、この世のどこにも無いのだよ。連中だけなら放っておいても良かったのだが、件の警官殺害から追ってきてみれば「サムライ」である君の関与が疑われている。これでは看過できない。何せ、私はこれでも「法治国家」の番人だからな。そんな悪事は見逃せないのさ」
「人を始末する為の番犬を放っておいて、それを始末したら「悪事」とは。随分歪んだ正義だな」「そうとも。「正義」というのは「国家に属するか否か」で決まるものだ。君にはそれがない。だが私にはそれがある」
それだけの違いさ、とヴァンは言い放った。
ああ、そうか。この男は割り切っているのだ。世の中の不条理や試練を、克服するでも勝利するでもなく「利用する側」に回ろうとする。
それは人間らしい行いだ。
無論、私は私のやり方で、私の道を通すだけでしか、無いのだがね。
「そうか・・・・・・では、私の雇い主、エイリアンと人間との「共存」を望む「彼」と、噺をしてみては如何かな?」
「彼?」
私はこんな「奇妙」な体験は、未だかつてないものだと、そう言えるだろう。
相手の望む「希望」を魅せる鏡。
相手の望む「最悪」を魅せる鏡。
私がどちらなのかは言うまでもないが、その青年はこう言った。
「初めまして、かな。僕は所謂集合無意識、エイリアンと人間の意識を代表する、ただの代弁者ですよ」
実に何気なく、彼はそう言うのだった。
私と同じ、無限の器を持つ瞳で。
11
「食べないんですか?」
エイリアン共は精神生命体であり、その複数の意識を反映させた端末が「彼」なのだそうだ。
一人一人の精神を映し出す鏡。
それが「彼」だ。
あるいは「それ」か。
どうでもいいがな。
黙々と食べる「彼」の姿を見て、私の周りにはどうしてこうも大食いが多いのか、不思議でならなかった。連中にはエネルギーが多めに必要なのか、などと馬鹿げた考えに囚われてしまった。
今はそれはどうでもいい噺だ。そうではなく、エイリアンを使って人類社会に浸食せんとする縁リアン共の言わば、親玉が、なぜこうも堂々と私の目の前に現れたのか? それを知る必要がある・・・・・・なので私は、
「生憎、人類を侵略するエイリアンとは、噺をするべきではないと、学校の授業で習ったのでな」「それは違いますよ」
ごくり、と食べ物を飲み込み、彼は言った。どういうつもりだろう? まぁ、どういうつもりであろうが、あるいは彼こそが善人で正義だったとしても、依頼は依頼だ。別にそれで始末をするという労働を放棄するつもりは、無いのだが。
「何だ、弁明か?」
「僕たちは人間を侵略するつもりなんてありません。ただ、共存共栄していこうと考えているだけなんですよ」
「そうか」
そうだとしても、だから何だって噺でしかないが。エイリアンと人類の今後は、私の作品の売れ行きの今後とは、何ら関係がない。それに、善性みたいなモノを出されたからと言って、手心を加えるほど、二流でもない。
「行方不明者数は、相当数に上るらしいが」
私は別に関係ない人間が何人どこへ行こうがやはりどうでもいいのだが、こればかりは会話のテクニックとして、何より「彼」の反応を見るためにも、必要な事だった。
「へえ、そうですか。ところで、行方不明者数と犯罪発生率の比例は、知っていますか?」
何だろう。もしかして自分達のやっていることが人類社会のプラスになっていれば、見逃して貰えるとでも思っているのだろうか。私は容赦も優しさも手心も何も無いので、そんな事を期待しているのならば的外れだとしか、言いようがないのだが。
「いいや、知らないな。偶々じゃないか?」
実際にはそんな事は無いだろうが、まぁこれはただの悪趣味だ。私に素直で丁寧な会話など、望むな。
「そうですか・・・・・・いずれにしろ僕に言えることは一つだけですね。「手を引け」」
「ふん、「いやだ」と言ったら?」
「さあ?」
どうだろう。この男は簡単に事を済ませるだろうか? 始末の対象との関係性が分からない以上無駄な推測ではあるが。
「・・・・・・貴様は、例の広告塔をしているコメディアンとは、知り合いなのか?」
「いえ。けれど殺人を見逃すだなんて、そんな人道に反する事は出来ないな、と思いまして」
そんなタマか? いや、これはこれでこの青年のテクニックなのだろうか。だとしたら、私相手では無駄な労力だと、そう言わざるを得ないが。「・・・・・・人道、か。貴様はどう思う? 人間は、誰かが手助けした程度で、その「人道」とか言う存在しないルールを、守れると思うのか?」
「わかりません。ただ、皆が正しい方向を向けば「向かうべき方向」を見据えて、向かっていけるのではないでしょうか」
「全員が違う方向を向くだけだ。「正しい方向」だと? くだらないな。正しさなど存在しない。各々がそれぞれの都合で動く大義名分でしかないのだ。「組織にとって正しい方向」と「個人の向かうべき正しい方向」が同じではないように、結局の所都合の良い方角こそが、「正しさ」なんて嘘八百を形にする為の「大義名分」なのだ」
「そうでしょうか。僕は「正しい方向」は確固たる事実として、存在すると思います。それを実現する手段も」
「ふん、言ってみろ、聞いてやる」
無論有料だがな。
たったの二十万ドルでいいぞ。
「・・・・・・「正しい方向」とは「誰かの役に立つ方向」ではないでしょうか。誰かの為に、何かをすることが出来れば、それは「正しい」のでは?」「違うな。誰かの為とは、それを言い訳にしているだけだ。己の為なのだ。愛も平和も友情も、全てが全て「自分がそれで心地よくなれる」からこそ、人間は友達を作ったり結婚したり大義名分を掲げたりする。生きる、という事は、それら他者の言い分を駆逐し、殺しきることでもある」
「噛み合いませんね」
「当然だ。貴様と私では、尚更な」
噛み合うはずがない。希望を見るのがこの青年なら、私が見るのは絶望という「事実」だ。理想と現実の違い、それは圧倒的なまでに溝がある。 噛み合ってたまるか。
理想を唱えるだけなら蟻でも出来る。
唱えるだけなら修験者にでもなればいい。
コーヒーを啜りつつ、彼は私を見据えて、こう言った。
「けれど、僕は諦めませんよ。必ず出来るのだと信じています。人間の意志は何かを変えられる」「不可能だな。意志が何かを変えるだと? 下らん! 現実に何かを変える事など決してない。人間の意志が世界に影響を与えるなら、世界はとっくに滅んでいる」
あるいは、それはもう寸前なのだろうか。人間のどす黒い意志が反映されているからこそ、この世界は醜悪で理不尽で嘘と裏切り、殺人と戦争に満ちている。まぁ、最後のはどちらも同じか。
大義名分が違うだけで、幾らでも人間は人間を殺している。誰も殺さずに生きる、というのは生きる事を放棄しているだけだ。
「現に、世界は良くなってきているじゃありませんか」
「いいや、表層だけだ。根本は何一つ変わってはいない。人類、など存在しないのだ。我々は皆が皆、「個人」であり、群ではない」
「・・・・・・群に、するべきでしょう」
「それは「貴様の」意見でしかない。理想は理想だ。それも、個人的な理想でしかない。誰かと完全に共有するなど不可能なのだ。何故ならそれは「誰かに与えられた理想」でしか、実現し得ない存在だからな」
「理想は、悪い事でしょうか?」
「悪くはないが、押しつけるべきではない、という至極常識的な判断だ。少なくとも、貴様等の常識で計れば、そうなるな」
やれやれ、本当に噛み合わない。そうでなくては作品のネタにならないので、作家としては今回の依頼は大成功、だと言えるのだろうが。
サムライとしては、面倒なだけだ。
理想を語られたところで、依頼を放棄するつもりは、まるでないのだが。
「けれど、「僕」は信じます。いつの日か人類もエイリアンも、どころか全ての生命体が、同じ未来を見据える日が来ると」
「理想を見るだけなら勝手だ。それが実現することは、「未来」永劫、無いがな」
理想ほど現実と剥離している存在はあるまい。理想とは「こうあるべき」未来であって、現実とは「こうであるべきではない」変えられない世の理不尽の姿なのだ。
それを変えることは出来ない。
何者であろうとも、同じだ。
それを変えるという事は、人間を根本から否定して殺し尽くすのと、同じなのだ。愚かかもしれないし学ばないかもしれない。それでいて争い、失敗し、また繰り返す。それもまた、変えようのない人間の姿なのだ。
それが嫌なら人間を滅ぼすしかない。
人類を滅ぼして、「理想」の人間をクローンか何かで作る方が、手っ取り早いだろう。
「そう有るべきだ、と意識することが重要なのではないでしょうか? 貴方もそうです。己の在り方を肯定して、それを現実に昇華すること。理想を目指し続ける事が、正しい道を歩き続ける事なのだと、僕は思います」
「それなら思っていろ。私には関係ない」
私は「結果」が欲しい。
誰が何と言おうとだ。
それを、綺麗事の理想などで、捨てる気は更々ない。何度言われようが同じだ。
「貴様が理想を決して諦めないように、私も己の豊かさと勝利者としての未来を、決して諦めないだけだ」
「そうですか、そうですよね」
と、仕方なさそうに、彼は笑った。
私には、それが分からなかった。
共感、出来なかった。まぁ、この青年と共感したところで、別に嬉しくもない。私はこの青年のように、何かを分かち合いたいわけではないのだ・・・・・・あくまでも、「金」だ。
それを成し遂げてから、ついでに興味半分で見てみる位なら良いが、人間賛歌を非人間であるところの私に押しつけられても、迷惑なだけだ。
非人間賛歌を掲げる私からすれば、所謂普通の人間こそが、エイリアン・・・・・・別世界からの侵略者に他ならない。
分かり合うことも、その必要もあるまい。
別に嬉しくもないしな。
彼等彼女らの言う「人間」など、一度も見たことがない。人を愛し、人を助け、人と助け合い、勇気や希望で前へ進む人間など、ただの幻想だ。
人間なんてどこにもいない。
それが私の結論だ。どこにもいないのだ、そんな生き物は。皆が皆己を素晴らしく道徳に満ちている善良なる存在。だと、信じ込んでいるだけ。「お前の様な個性が」
私は言った。わたしだからこそと言ってもいいだろう。この男は私と真逆、相手に希望を魅せる概念のような奴だ。だからこそ、私でなければ、都合の良い希望しか、目に見えないだろう。
最悪の私だからこそ、その言葉は出た。
「存在しては成らないと、私は思うのだがな」
「お互い様でしょう。貴方こそ、別に僕のような特殊な存在でもないのにそんな「個性」を持っているだなんて、どうかしていますよ」
大きなお世話だ。個性や器の大きさなど、最終的に金と豊かさを手にし易い形で有れば何でも良いのだが、変に持ち上げられたあげく、それを言及されると腹が立つという、我ながらかなり自己中心的な思考回路だった。
まぁ今更だがな。
「貴方は・・・・・・人間を信じたいんですね」
「さあ、どうかな」
実際、どうだろう。私は「人間」を信じたいのか? だとしても、やはり現実にそんな「人間」がいるかいないかは、あまり問題ではあるまい。 いてもいなくてもいい。
いると断言されて、押しつけられるのが、ただ迷惑なだけだ。
私からすれば、お前達の方が余程、人間ではないのだ。人間らしさを語る一方で簡単にそれを忘れ、翻し、謝れば済み、すぐに忘れる。
動物のような生き方だ。
いや、獣そのものだろう。獣の方が、まだしも身内をかばう分、情はあるのだろうが。
「人間、しかしそうは言うが、所謂「人間的な人間」なんて、いないではないか。嘘をつき利益を確保し誰かを見捨ててでも「自分の保身」を心がける生き物だ。それに「人間性」なんて、期待したり要求するのは、現実的ではあるまい」
「そうでしょうか。貴方の作品には、その人間性を求める、いや、人間性を問いただす内容があるように、僕には見受けられましたがね」
・・・・・・変な所で流行っているな。人間以外には受ける部分でも、あるのだろうか。とはいえ、金銭的な部分から見れば、人間社会で生きるならば人間相手に売らないわけにも行かないので、あまり意味はないのだが・・・・・・きちんと金は払ったんだろうな。
人間性を問いただす、か。
言い得て妙だ。
人間でない存在が人間性を問いただすなど、それはきっと「人間という品種」が、己の掲げる問題と、向き合ってこなかったからなのだろう。
それ位生き詰まっている人間は多い。生きていて、生きる事に詰まっているのだ。自身が生きているのかどうか、よりも社会的整合性を重視する人間社会では、己の人間性を問うことは、あまり無いからな。金さえ有れば、それを気にする必要すら、無い。
更に加えれば「国家の意思」という便利な言葉を使えば、例えそれがただの犯罪であろうが、何だか正しい行動をしていて、それでいて、別に自身の意志でやるわけでもないから、そこに罪悪感やそれと向き合う心は、必要なくなるのだ。
生きる事を誤魔化している。
見るに、耐えない。
見苦しく生き苦しい。
だから、貴様等は進歩しないのだ。なんて上からモノを言ってみたりしてな。まぁ、私自身を人間以外と分類するのならば、多種族の事をどう言おうが、私には関係有るまい。
有っても知らないがな。
気にして欲しいなら金を払え。
話はそれからだ。
思うに・・・・・・作家の仕事とは、「有る一定以上の思想を疑似体験させ、それに追いつかせる」事なのだと、私は思う。良かれ悪しかれ「極端な思想や狂気」は、人間の成長を飛躍させる。
物語を通して人間性が変わる訳ではない。が、人間性の「向かう方向」を指し示すコンパスには成り得るのだ。
この青年は「希望のある道」を指し示す。
私は、「事実という理不尽」を指し示す。
どちらも頼まれてもいないのに、勝手に、否応も無く相手に指し示すのだ。だから私達と相対する存在は、否応もなくそれを見る事になる。我々の違いはそれが響く相手の種類なのだ。
私は相手が「悪」であれば問答無用で勧誘できる。世から疎まれていればいるほど、人間が遠ざけるので有れば有るほど、私にとっては美しく素晴らしく貴重な存在として扱えるからだ。
ほんの少しで良い。「悪性」がその相手にあれば、「悪のカリスマ」とでも言えばいいのか? そこまで大層なモノかは保証しないが、その悪性を肯定して、私は受け入れることが出来る。
逆に、この青年は「ほんの些細な善性」すらも「大きな希望」に変えられるのだ。だからこそ、集合無意識のエイリアン共の希望であり代表足り得るのだろう。言葉は交わしていないが、それは「分かる」としか言いようがない。
悪性と善性。
どちらも存在すらしない人間の線引きだ。
そういう意味では、「大勢の側」に馴染めるか馴染めないか、の違いでしかないのだろう。構わない。私のような人間が多数を占めていても困るだろう。
「私は貴様が嫌いだ」
「奇遇ですね、僕もですよ」
「だが・・・・・・一応聞いておこうか。私はそのコメディアンを「始末」することをやめたりはしないし、貴様に応対するつもりもなかった。だが、それは貴様自身が一番よく分かっているはずではないのか? 何故私に接触した」
こっそりとやれば私を排除できたかもしれないのに、だ。
考えが読めない、というより考えなど無いのではないのか? 言っても仕方がないが。
「いえね、僕もそうは思っていたのですが、とりあえず一度会って、話だけでも聞いてみたい、と思いましてね」
「奇遇だな」
とだけ言っておいた。ふん、しかし・・・・・・どうしたものか。この青年が邪魔をするなら厄介な事になるだろう。私の目的はあくまでも「依頼の達成」と「作品のネタ探し」だ。
無理に争う必要など無い。
意味がないしな。
暴力自慢は奴隷のする事だ。私のような人間がそんな、疲れる労働をするのは御免被る。
ただでさえ、ここまで遠い惑星に来ているのだ・・・・・・余計なストレスは避けたい。
「別に争うつもりはありませんよ」
と彼は言った。再度繰り返すくらい私とは争いたくないらしい。まぁ、当然か。鏡写し、というよりは鏡そのものが向かい合っている現状は、正直言って面白くはあるが、目が疲れる。
何時間もするモノではない。
もう十分だ。椅子を引いて私は立ち上がった。立つ上がるついでについついコーヒーを啜り(何故席の去り際には飲みたくなるのだろう?)私は彼に背を向けた。
「さて・・・・・・私はもう行くが、貴様はいいのか」「ええ。貴方を止めるつもりは元々有りませんでしたし、ね。警告と言うよりは、本当にただ話したかっただけなんですよ」
「・・・・・・」
私やこいつのような「存在」は、他にも存在しているのだろうか・・・・・・だが、もしそうならエイリアン共がこれから幅を利かせてくる現状は、中々好ましいものではある。そこまでの「個性」がエイリアンにあるのならば、だがな。
私は作家だからな・・・・・・「面白い個性」だとすれば、別にそれが「何であろうと」構わない。肩書きや筋書き、あるいは謎やトリックよりも、物語を「面白くする」のは「強い個性」だと、私はそう思うのだ。
謎が有れば面白くはあるだろう。だが、それは二度三度とは続かない。「何度読んでも感動できる大傑作」とは、そこに「確固とした信念と誇りと思想」があるものだ。
そうでなくては面白くない。
面白い方が、いい。
「ではな」
挨拶もせずに、私はそのレストランを後にした・・・・・・吹きすさぶ風が私を追いやって、何だか雷を急かされているような気分になりながら、私はこの惑星のテレビ局へと向かうのだった。
12
「なあ先生」
ここしばらく黙ったままだった筈の人工知能と会話をしつつ、私はテレビ局の中へ進入した。こういう場所はテロ対策で面倒な作りになっていると聞くが、複雑すぎたらどうやって普段、使うのだろうと不思議でならなかった。
「目的を忘れてないだろうな」
と言われて、テクノロジーを強奪する代わりに連中を手伝う件について話を振られたが、まさか馬鹿正直に「忘れていた」と言ったところで何か私が得をするわけでもないので「無論、覚えているさ」とだけ、答えておいた。
「ふぅん、それならいいけどよ・・・・・・実際、今回の依頼で、先生はどう「作品の参考」にしようと考えているんだ?」
「目線の違いだ」
「目線?」
「そうだ。エイリアン共の立場と、人間から見た彼等の姿では、見解が違うからだ。見る「目玉そのもの」が違えば「違う景色」が見える。そしてその「異なる景色の善し悪し」を語るのが、作家の役割と言っても良い」
実際、作品というのは、物語というのは「自分ではない誰か」の目線で「行動の結末」までを、疑似体験する為のモノだ。
目線が高ければ良い訳ではない。目線を通して何かを伝えるのだ。そして、「伝えられた情報」あるいはそれ以上の何かに「価値」を感じるならば、読者共も安心して大金を作品につぎ込める、というものだ。
無論、内容が薄っぺらければ文字通り噺にならないのだが、まぁ大半の物語は神を刷って売っているだけだし、私個人が満足できるモノを、世に広められればそれでいい。
傑作を書き上げた充実感と、後はそれに付随する売り上げが有れば、だが・・・・・・無論、この両者は本来「反比例」する存在なので、非常に難しい道のりだ。しかしそれで諦めていては商売上がったりの上、今までの労力が無駄になる。
それは避けたい。
売る、というのは「簡単」だが「難しい」のだ・・・・・・売る為の「宣伝力」と「買い手を騙す」テクニックが必要だ。買う以前で有れば、それを伝える方法は本来無い。良いモノは勝手に広まると思い込む輩は多いが、良さを知って貰わねば、見る人間すらいないだろう。
ただ「売るだけ」ならばここまで面倒な上、いらない労力を掛ける必要もないのだが、今更それを言っても仕方がない。「生き甲斐」や「充実」の為にも、書く作品は「傑作」でなければならないのだ。そして個人的な満足で作り上げた傑作は売り易さが少ない。目は引くが、分かりやすい恋愛モノだのと言った、消費娯楽ほど表紙を見ただけで分かるような、軽い面白さは無いのだ。
どうせなら百年後、千年後でも同じく楽しめる作品が良い。そうでなくては面白くない。読んで捨てるだけならば、雑誌のライターにでもなればいいのだから。
非常に困難な道だが、致し方有るまい。歩くとしよう。無論、そこに「金」が付随するのは前提でしかない。
その上で「幸せ」になる。
私ならば、それが出来る。
館内にはエイリアンなのか寄生された人間なのか、よく分からない連中が溢れていた。始末してそれがエイリアン共だった場合、連中の集合無意識の連絡網に引っかかる可能性もあるので、正直かなり気を使った。
そしてとうとう目的地である「撮影スタジオ」へと、私はたどり着くのだった。ドアを開け、中へと入る。
「皆さんこんばんは。今日の情報ステーションのお時間ぺっ」
天井づたいに上から接近し、標的の男を真っ二つに切り裂き「始末」した。私は荒っぽい手段は好かないが、今回ばかりは仕方があるまい。
スタッフが悲鳴を上げるより先に、私は渡されていた通信機器でザドへと連絡を入れる。
「終わったぞ」
「そう、有り難う。例を言うわ。これから反乱軍の総攻撃に入るから、貴方は二時間以内にその建物を脱出して頂戴」
連絡を切り、その場にいるエイリアン何だか、人間なのか分からない連中を押し退け、混乱に乗じて部屋を出る。
「念の為に仕掛けておいて良かった」
一人そう言うと、私は携帯端末電話をかけた。スイッチを入れられた爆弾が起動し、入り口近くと先程の撮影スタジオで爆風を上げ、錯乱の役割を果たしていた。そして、反乱軍だかが攻撃行動を取ろうとして、それにエイリアンが応戦している間に、私は見取り図通りにエレベーターのドアをこじ開けて、地下への道を進む。
そこには。
「何だこれは・・・・・・」
見取り図では不明だった場所に続く通路を進むと、そこには奇妙な扉が有った。どうも、頑丈さとかを感じさせるデザインから「金庫」の様な役割なのだろうと推察できる。
私は扉を開けた。
すると。
12
「そこには何も有りませんよ」
そう言って部屋の中を物色している私に、彼、例の集合無意識だかの代表端末の男は、そう言って私を諫めた。
「冗談じゃない。何だこれは? 私は未知のテクノロジーを金に換える為に、ここまで来たんだ」「別に、貴方にプレゼントする為に、ここを維持している訳ではありませんから」
そりゃそうだ。だが、期待はずれも良いところだ。きっと、今エイリアン共と戦っている連中もそう思うだろう。
古くさい新聞やら、昔の情報端末やら、昔懐かしいマンガ本などが、そこには置かれていた。
だが、実に「奇妙」だった。
「何だこれは・・・・・・7392年、何百万年も前の新聞だぞ・・・・・・しかも、この時期は確か戦争中の筈だ。この記事ではまだ人類は、火星にすら行けていない。地球に住んでいる事に成っている」
どういうことだ。いや、答えは最初から出ていたのだ。私はそれを知ってはいたが、しかし、正直テクノロジー位は何か、置いてあるだろうと思っていたのも、また事実だ。
やれやれ、参った。アテが外れた。
まさか「そういう事」だとは。
「ここは」
「保管庫ですよ、大昔の移住前、に我々が持っていた古い私物を、ここに集めただけです。今となってはたまに読んで、懐かしむ位しか出来ませんがね」
「ふん」
大体の予想は付いていた。まぁそれをここで言及しても仕方がない。とりあえず、私は聞くべき事を聞くことにした。
「これは、「繰り返されて」いるのか?」
「いいえ、その新聞を見れば分かるように、我々と貴方達とでは、歩んだ歴史も微妙に違うようですね」
まさか「エイリアン」共の正体が、そんな予想外のモノだとは。外にいる連中も、真実を知ったら腰を抜かすかもしれない。
「お前達は」
「ええ、僕達は「人間」です」
やはりそうか。
だが、分からないこともある。
「この、歴史はどういう事だ。お前達はつまり、「我々以前の存在」だったと、そういうことか」「はい。僕達は大昔地球に繁栄した、「過去の文明」の住人なのですよ。そこから滅んだ後、人類がもし「移住先」を見つけられなかった場合に備えて、作られたのが現行の人類です」
「つまり・・・・・・お前達は「人類の型番が古い奴」とでも思えばいいのか」
「間違っては」
いませんよ、と彼はそう言った。そして、下に落ちてあった新聞紙を取り上げる。
「・・・・・・僕達の歴史では、人類はあまり戦争をせず、テクノロジーの進歩もかなり遅めでした。だから惑星の開発技術も数千年たってから開発されたので、僕達が滅んだ後に栄えた貴方達、凶暴性を強化した「新人類」ほど、早く歴史を進める事が、出来なかったのです」
つまり、彼等は一度「人類として」滅んでいるのだ。石器時代から始まり文明開化を迎え、その後に戦争を繰り返し、文明が発展して宇宙へ進出し、テクノロジーを使いこなせずに地球から追い出され、宇宙をさまよって今に至る。
そしてその際に、「人類」という種族が滅ばないように「種」を撒いておいたわけだ。それが芽を咲かせ、「今の我々人類」に成った。
何とも荒唐無稽な噺だ。
「一世代「前」の人類か、だからそんな、現行の人類の肉体を乗っ取るような、寄生型の端末の姿に成ったのか?」
「いいえ。僕達は「精神生命体」として、別の次元が違う空間に住んでいます。だからこれは、その「物質に縛られたこの世界」で活動し、影響を及ぼす為のモノでしか、ありません」
「探査船のようなモノか」
「ですね」
「だが、それなら何故、我々、つまり今の人類に干渉する?」
私自身の事が「我々人類」という言葉に含まれるのか知らないが、話がこじれるのでここは強引に進めることにした。
「僕達は「精神」で、その次元が違う世界を作り上げています。「人間の思念」と言っても良いですね。だから「生きている生物」の「強い思念」が無ければ、僕達の世界は作り上げられません」 人間の「思念」を「粘土」のようにこね上げて土地や建物を作り、それを一つの世界としているのだろうか。だとすれば、確かに、我々が住んでいる「この世界」で物質面を求める理由は、どこにもない。何せ、精神だけが生きていればいいのだから。何だったらあの「警官」も、結局はただの端末でしかなく、殺したのは「乗り物」とでも形容すべき「端末」でしか、ないのだろう。
「それなら、今まで通り貴様等で勝手にしていればいいだろう」
「それがそうも行かないんですよ。「思念」が強ければ強いほど、僕達の世界は豊かに成りますが・・・・・・長い間「精神の世界」に住んでいる僕達には「精神の成長」がありません。物質世界で「困難な運命」を克服するからこそ、人間は「成長」できます。精神世界にそれはありません。善し悪しはありますが、天国のような精神世界に住んでいる住民に比べると、物質世界の住人の精神の強さは、数段上です」
「嬉しくもないがな」
別に、成長してこいつ等のエネルギー源になる為に、苦悩している訳でもないのだ。実に身勝手な言い分だ。散々苦労して我々が得た「精神のエネルギー」とやらを、横から頂こうとするのだからな。
「その分、貴方達には「物質世界」で我々が落としていった「旧テクノロジー」で恩恵を渡しているじゃないですか。僕達は精神世界さえ無事に運用できればいいので、物質世界に置いてきたテクノロジーは、全て差し上げますよ」
言い方は丁寧だが、要は必要なくなったゴミをくれてやるから、その分自分達が使っている最新のゲーム機にバッテリーを入れろ、と催促するような噺だ。つまり、相手の無知を利用して実に身勝手な言い分だなということだ。
「それに、貴方がもし、僕を切り捨てれば、その「精神世界の住人」まで全滅することになるでしょう。そうなれば現在、貴方達が得ているあらゆるテクノロジー、その恩恵は、消えてなくなってしまいますよ」
「生憎だが、お前は私の事を分かっていないな」 右を向けと言われれば左を向き、上と言われれば下、前と言われれば後、やるなと言われればやり、自分は殺されやしないだろうと考えている、驕り切った馬鹿には、刃を向ける。
それが、「私」だ。
「特別だ、有り難く思えよ。依頼外だが、特別に貴様を私が「始末」してやる」
「いいんですか? 僕を始末すれば、人類社会は二十万年分は、歴史を遡る事になりますが」
「なら、その分長生きしてやるさ」
殺される瞬間、彼は笑った。
それが疲れていたからなのか、あるいは噺は全て嘘で実は生きていられるからなのか、それは永遠の謎だが、「始末」をして「感謝」みたいな感情を向けられるという奇妙な体験は、流石の私にも初めての経験として、記憶に刻まれるのだった・・・・・・当然、忌々しい記憶として。
13
「先生は「過程」と「結果」どっちが大切だと思うんだ?」
「結果だ」
「だよな」
そんな他愛のない噺をしつつ、私とジャックは宇宙船の中で景色を眺めている。無論、座席は良い所を取った。金はかかるが、世間一般の連中が無駄遣いする金額に比べれば、微々たるものだ。 合法麻薬や下らない見栄、あるいは中身のないサービスに、彼等は金を使いたがる。そんな事をする位なら、最初から優雅な一時を買う為に、金を使えば良さそうなものだが、彼等は精神に余裕が無く、また精神が未熟なので、誤魔化し続ける事に、金を使うのだ。
だから精神は成長しないし、無駄な浪費が多くなる。悪循環だ。昔からこの法則は変わらない。「とはいえ、「過程」が無ければ「結果」も存在し得ない。「過程」をすっ飛ばして「結果」を得るのは不可能だ。過程が苦難に満ちている必要はないが、要領よく「結果」を出せる仕組みか、あるいはそれを上回る「幸運」が必要だが」
「結果は今までの「過程」が生み出すモノ、だとか、そういう考えをどう思う?」
「無論、下らないと一蹴するさ。「過程」が無ければ「結果」は生まれないが、しかし「過程」と「結果」の内容は、関係がないのだ。それはただの言い訳でしかない。ここまでの道のりが苦難に満ちていただとか、あるいはこんなに苦労したのだから報われても良いはずだとか、そこに正しい信念があるのだから報われる時が来る、などと言うのは、全て、「理不尽」に屈した人間の台詞なのだよ」
「手厳しいね」
やれやれと肩を竦めている感じで、ジャックはそう答える。無論、彼は人工知能なので、映像の中で踊ったりはしない。別に必要を感じないのか普段の彼は音声のみである。
こいつはこいつで、謎の多い奴だ。何故私と行動をしているのだろう・・・・・・案外、観察して参考にしているのは私だけではなく、彼の方も、私のことを「珍しいサンプル」だとでも、思っているのかもしれない。
「とはいえ、「敗北」や「失敗」から、人間は学び、成長し、克服しようとする。私の人生がこうも奇妙で理不尽に満ちていなければ・・・・・・私は、物語を書く事を、しなかっただろう」
無論、そんな仮定に意味はない。現にこうして私はここにいるのだ。「もしも」なんてのは、どうでもいいことなのだ。
今、ここにある「私」が、どうするべきか。
考えるべきはそれだろう。
「なら、先生。「失敗」や「苦難」には、意味があるんじゃないのか?」
「ある、だろう。だが、それと「結果」には、因果関係があるわけではない。成長したからと言って「勝利者」に成れる訳ではない」
「なら、何が違うんだ? 敗北を知らない人間とそうでない人間は、どう違う?」
「さあな・・・・・・「勝利者の資格」などは、現実には必要すらないものだ。ただ「幸運」なだけで、勝利し、栄光を掴む人間も、いる。いや、それも違うのか・・・・・・「勝利」と「勝利者」は別のものなのだ。「幸運」があれば「勝利」は出来る。だが「勝利者」で有り続ける為には、苦難を克服し「答え」を己で見つける必要が、あるのだろう」「観念的だな」
「実際、そんなのは概念論だからな。実際にこの宇宙の仕組み、その法則を解き明かせば、それこそ「神の領域」だろう。だが、そこにたどり着くことは出来なくても、その場所を想像する事は、人間にでも出来る。失敗に意味はあるのか? 敗北は糧になるのか? 結局は運不運、なのか? 己で答えを出すしかないのだ。そして、己で己の道を歩く方法に対して「己の答え」を出したのならば、後はそれに準じて信じるしかない。己のやり遂げてきた事、成し遂げた事、それらが結果に繋がるのか否か? 信じるしかないのだ。そして私は十分にそれらをやってきた。出来る事はただ一つ・・・・・・読者共がまともに金を払い、それを金に換えられるかどうか。見る目のある奴がいる事を前提に、組み立てるしかない。誰にも相手にされなかったらだとか、もし失敗したらだとか、そんな事を考えれる奴はやり遂げていないし、何も成し遂げていないのだ。実際に体験した私が言うのだから間違いない。やるだけの事は、やった。そこに後悔はない。見る目の無い奴らだと、自信を持ってそう言えるくらいには、私は私の傑作に対して確信と自信がある」
「確信と自信は違うのかい?」
「違うね・・・・・・己がやり遂げてきたならば、そこに「自信」は必ず発生する。だが「確信」というのはそうも行かない。持ちたくても己の自己満足な感覚でしか、ないからだ。だが、それも成し遂げた後ならば、それを「最高だ」と信じる事で、確信を形作ることは、出来る」
それが自信と確信との違いだ。
どちらも、道を歩き続けていれば、だが・・・・・・誰もが持つ事の出来る「敗北者の武器」だ。平坦な道を歩いてきた人間には、持てない武器だ。だからこそ平坦な道を歩いてきた人間ほど、勝率が高い訳でも、ないのだが。
それでも信じるしかない。己を信じるのは当然だとして、それを周りのカス共が見る目があるかどうか、だ。何をやるにしても同じだ。決して、己を疑ってはならない。誰がどう言おうとも、己でやり遂げて成し遂げた「結果」だけは、信じるべきだ。
そうじゃないか?
私は、そう思うのだ。
強く、そう思えるのだ。
根拠のない噺だが、私はそう思うし、これからもそうするつもりだ。無論、「結果」はわからない・・・・・・無様に敗北し、また屈辱を味わう羽目になるかもしれない。だが、敗北など、失敗など、呼吸をするかのように味わってきたのだ。今更、億や京程度の「端数」で、己のやり遂げて成し遂げた結果を疑うほど、愚かではないつもりだ。
私を諦めさせたければ金を積め。
惑星の数万から数億で、我慢してやる。
もっとも、私の我慢がどれだけ持つか、わからないがな。
「一つ、気になるのは・・・・・・この世界に「運命」があるとして、それが「あらかじめ定められている存在」だとすれば、「その先に何があるのか」という点だな。ただ「困難や恐怖を克服することで成長できる」だけ、では意味がない。成長したところで、別に成長しなくともそれなりに人生を充実して過ごせるので有れば、成長することの意味も価値も、消えて失せるからだ。あの世だの何だのと言った「存在するかも分からない」モノで良いか悪いかが分かる、などと言われても、今、生きている我々から刷れば「ふざけるな」としか答えは出まい。だが、もし、それに意味や価値を見いだそうとするならば、そうだな・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
ジャックも黙って聞いている。この問題は軽々に答えを出して良い種類のモノではないと、人工知能なりに、思っているのかもしれない。
「先生は、どうなんだ?」
「どう、とは」
「今までの苦難や理不尽のおかげで、何か良い思いをしたことは」
「無い」
即答した。即答できた。少なくとも私は、それを「良い」と思えたことは一度も無い。良い事、なんて何一つ有りは、しなかった。
ならば、何だろう?
答えの先、か。
「ふん・・・・・・精々、「見える景色が変わる」位だろうな。いや、変わるのは景色ではなく、それを見る自分自身か。後はやはり、理不尽や困難、恐怖や屈辱、あるいはそれに類する体験談でもいい・・・・・・それらの「体験」を、「物語や音楽、伝統や工芸、芸術や意匠」に「表現する」事が、出来るようになるくらいだ」
無論、それそのものには意味も価値も無い。あくまでもそれらを「金という結果」に変えられたときに、初めてそこに「価値」が生まれるのだ。「それが金に成れば「勝利者」と呼べるな。最も私は勝ち負けなどどうでもいいがね。平穏な生活を送るには「金」が必要というだけだ」
「そんなものかね」
「そんなものだ」
世の中、そんなものだ。無論、その答えをどう出せるかは、それこそ当人の苦難や屈辱、敗北や失敗から、来るのだろうが。まぁ、それに対して思うところは特にない。私は誰かに人生経験が豊富だと誉められたい訳ではないのだ。そんな事を言われたところで不愉快なだけだ。あくまでも、金だ。金の為に、やっているのだから。
そしてそれは「私自身の幸福」でもある。
「器が大きかろうが。どれだけ成長しようが、それは「見る世界」が大きくなるだけで、それそのものには意味も価値も有りはしない。だが、分を越えた何かを見たい、感じたい、表現したいと思えるならば、それは必要なのだろう」
表現できる己の器が、あるいは「個性」が増えるだけだ。大きいモノで悩むか小さい事で悩むかの違いでしかない。ただ単に、見たい景色が大きすぎたりするだけなのかもしれない。
分からない。
私は作家だ。精々それらを知ったように語る位しか、私のやるべき役割はあるまい。
それでいい。
「仮に、「困難な道」を選ばざるを得なかった場合に、人間に出来る事など知れているだろう。恐らくはそこで「目を閉じない」事が大切だ」
「どういうことだい?」
「困難や理不尽に屈するのではなく、それはそれとしてどうやって「その先」を切り開くことが出来るかを、考えねばならないのだ。できるかどうか、それは分からない。未来のことは誰にも知り得ないだろう。だが、理不尽や困難が未来を覆っているからと言って、目を瞑って諦めていい理由には、ならない」
「希望的だねぇ」
「ただの事実さ。無論何の成果も無く、無様に敗北して変えられないでいる可能性は高い。だが、何もないところから何かを作り出しでもしなければ「持たざる人間」は勝てないのだ。出来る出来ないではなく、何とかしてやるしかない。無駄を承知で前へ進む。目を開けたまま進む上で、どうすればこの困難や理不尽を克服できるのか、考えて答えを出し、出来るまでやり遂げる」
「ただの根性論じゃないか」
確かに、そうかもしれない。だが選択肢が他に無い以上、やり遂げて成し得るしか、道は無い。「己を信じて前へ進む。それが「勇気」だと言うならば、私には合わない言葉だがな。私の場合はそれを「狂気」で補っているのだから、私とそういう人間とでは、やはり違うのだろうが」
「どう違うんだ?」
「勇気や信念で前へ進む人間は、勝算が無くても切り開く道があると信じることで、前へ進もうとする。だが私のように「狂気」を軸にする存在は「勝算が有ろうが無かろうが」切り開く道が信じられなかろうが、前へ進む」
「同じじゃないか」
「過程が違うが結果が同じ、というよりは、在り方が違うと言えるだろう。同じ過程と同じ目的である結果を目指すが、勇気を軸とする今回の反乱軍みたいな連中は「無意識」で未来への道を感じ取っている。だが私の場合は「意識的に」それらの道を感じ取り、前へ進むのだ」
どちらが良いか悪いかではない。感じ取るか、見据えているかの違いだ。問題なのは世の中って奴が、無意識で動いている人間に甘すぎるんじゃあないのかという所か。
意識していなくても目的地にたどり着けるなどと・・・・・・本当に嫌になる。イカサマをされているような気分だ。
「別に「強い意志」があれば上手く行くという訳でもない。だが、意志が無ければ、力が有ろうと何かを成し得ないのもまた、事実。どちらかだけでは駄目なのだ。意志が伴わない行動には「次」が無い。その場凌ぎでしかなく、根本的な問題を解決する力は・・・・・・無い」
「先生はどちらなんだ?」
「さあな・・・・・・だが、どちらにせよ、どちらも手に入れるつもりだ。そうでなくては今まで掛けた労力が無駄になるからな」
私はソファにもたれ掛かり、考える。
今回の件にしてもそうだが・・・・・・問題を解決する力さえあれば、解決するのは簡単だ。だが、仮にエイリアンを駆逐したところで、あるいは金を多く手にしたところで、向かうべき方角を定めていなければ、どれだけの「力」が有ろうが、それを活用して向かうことが、出来ないからだ。
ガソリンが多くあったところで、エンジンが無ければ噺にもならない。エンジンだけ有ったところで、それはそれで考えものだが。
連中は「エイリアンさえ退治すれば全てが解決する」とでも「思い込んで」いたらしいが、しかし現実問題エイリアンがいなくなれば、その代わりに人間が問題を起こすだけだ。何一つ、変わりはしない。
今回の件に関して言えば、社会構造ではなく、個々人の意識の低さが生みだした問題だろう。特に何を論じるでもなく、目先の軽い利益に釣られて「エイリアン」なんて存在を受け入れる連中が利用されない筈がない。
利用されて当然だ。
「そこへ向かっているからと言って、辿り着けるとは限らない。案外あっさり途中で「死」を迎えるかもしれない。だが、運命という存在に振り回され、「己を貫けないまま死ぬ」よりは、やるだけやって金に換える生き方の方が、少なくとも、何の「後悔」も「未練」も残らないだろう」
「先生は、後悔しなくないのか?」
「いいや、別に。ただ、その方が生きやすいというだけだ。そして、私はそれを実現する為に動いてきた。その「結果」がどうなるかは、正直私自身にさえ分からないが、それを金に換え、己の思う幸福を形にすることで、自己満足であろうが何であろうが、それを貫くだけだ」
それこそが「邪道作家」としての「生き方」だろうしな。私が、私として生きる為に、私の望む道を歩くために、この選択肢を選んだ。
後は進むだけだ。無論、それなりの「豊かさ」と「平穏」は必須だがね。自己満足だけで終わらせてやるつもりは更々ない。「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を実現させつつ、「作家としての自己満足」で、己の人生を彩ってくれるぞ。
それが、「私」だ。
「誰かに賞賛されようとして始めた事は、長く続かないし、続いてもそこに「意志」は伴わない。だが、「己で選んだ己の道」であれば、逆に誰にどう思われようが、その道を最後まで信じて歩いていける。それが「己を信じる」事だと、私は思うのだ」
「らしくないねぇ、希望論か?」
「どうだろうな・・・・・・むしろ、その道には困難があり、報われるとは限らないという点を見れば、「残酷な現実」とも取れる。それで「勝利者」になるには「運命を味方に付ける」必要がある。正しい行いだとか道徳に拘れば、運命が味方する訳ではない。だが、最後まで進んだ人間は、運命を味方にする可能性が、ほんの僅か、誤差程度だが可能性の芽が出る。ただのそれだけだ」
むしろこの世界を残酷なまでに客観視した、その結果だと言えるだろう。保証は無い。その先に良い事が待ち受けているのか、あるいはただ単に死や敗北があるのか、歩いてみたければ、分かるはずもないだろう。
世の中は残酷に出来ている。
それが当たり前なのだ。
だから・・・・・・期待をするのは楽観視でしかないのだ。希望はどこにもない。あったとして、それは当人の思い込みでしかない。希望があると思い込み、前へ進むことで成功するか失敗するか分からないがとにかく進むと言うのだから、殆どただの博打だろう。
賭けるのは己自身だ。
己自身が小さければ、小さな見返りしか貰えないが、大きく賭ければその分、大きな何かを手に出来る可能性は、飛躍的に増すだろう。だが、無論それが「吉」と出るか「凶」と出るのかは、賽の目次第だ。
全てを賭けて己で挑む。
それが報われるのか報われないのか、報われることを信じるだけ信じて進む。それが「生きる」という事なのかもしれない。結局の所、我々に出来るのは準備段階だけなのだ。そこから先は、運命がどう応じるのか、それに尽きる。
半分は終えた。
後は、もう半分を進めるだけだ。
それしか出来ないというのは実に歯がゆいが、言っても仕方がない。私個人にどうこうできる領域を、大きく越えている。
いずれはそれすらも、己で何とかしたいものだが・・・・・・幾ら何でも今は、まだ無理だ。
「連中はエイリアンさえ何とかすれば、世界は平和になるとでも思っていたのかもしれないが、同じ事だ。根本的に何を解決する訳でもない。人類が精神的な成長を遂げない限り、この世界から争いが無くなることなど、無い」
「人類皆兄弟じゃねぇのかよ」
「違うな。人間は何かを殺すことで生きている。人類皆殺人鬼だ。殺して生きる。騙して生きる。踏みにじって、生きる。生物の大原則であるそのルールを覆さない限り、どれだけエイリアンを滅ぼそうが、あるいはどれだけ法整備を整えようがこの世界から争いが無くなる事など、無い」
エイリアンが排除されたところで、次はあの惑星では人類同士の争いが始まるのだろう。下らないその場凌ぎに巻き込まれた形だ。
実に迷惑な話だ。
「じゃあ、今回の依頼は、先生にとっては意味のないモノだったのか?」
「そうでもないさ。争いそのものはともかく、作品のネタになりそうな噺は幾らか聞けた。連中が争い続けようが、私には関係がないしな」
私は傭兵ではなく「作家」だ。ならば作品のネタ以外の事を、私が気にしたり変えようとするのは管轄外だと言えるだろう。
それでいい。
柄でも無い役割を果たす気はない。
「それに、自分で言うのも何だが、私は結構特殊な例だからな・・・・・・生まれながらにして「心」を持たなかった私は「ゼロから心と人格」を作り上げることに成功した。この「私」はある意味、人類社会から学び続ける事で発生した現象のようなモノだとでも定義できるのかもしれないな。まぁ今となってはどうでも良いが。この「私」が、確固とした己で有る事には変わりない。今となっては過去の噺だ。他でもないここにある「私」を作り上げることに成功している以上、私が望むのは私自身のバージョンアップと、その進化だからな・・・・・・珍しい個性との出会いは、私にとって食事のようなモノなのだ。自我の有る人工知能の貴様と、私は似通っている」
何もない所から生まれた、という点だけだが。 私のように狂気は持っていないしな。
「だから、更に進化できるなら、先生は構わないと?」
「構わんよ。何人死のうがどうでもいいしな。私は英雄でもボランティア団体でもなく、作家だ。この「私」が満足できる「利益」が出た以上、あの惑星の行く末など、どうでもいい」
「そうかい」
特に不満もないのか、彼は黙るのだった。まぁ人工知能のジャックも、私と同じくらいには世情の行く末に、関心は無いだろうからな。
「最近、物語を書いている度に、思う。何か方向性の様なモノを、あらかじめ感じるのだ。私が何をどうしようが、その結末を目指して、物語全体が動いている。そう感じるのだ。もし、そうならば私に出来る事はただ一つ・・・・・・どんな運命であれ、それを語り手がどう捉えるのか? その解釈だけは私が決められる。そして、結末は同じでも出す答えは「違う」のだ。結局の所、私に出来る事はそれだけなのかもしれない。私は作家だからな・・・・・・関係の無い物語の大筋に興味はない。だがそれをもし活かそうというならば、それを参考に、今後「どういう答えを出していくのか?」を考え続けることだけだ」
「意外と、色々考えているんだな」
「意外とは余計だ」
考えない作家など作家ではあるまい。考えすぎるからこそ、面白い結末に至れるのだ。
だからこその邪道作家。
だからこその「私」だ。
物事とは客観的に見るだけでは駄目だ。己自身の指針を持って、先へ進めなければならない。だから我々がもし「理不尽」だとか「不条理」に、遭遇することがあるとすれば、それは己自身で出した答えでなければならない。
今回の件では己で答えを出した奴らはむしろ、エイリアン共の方だった。だから人類は負けていたのだろう。力だけでは「向かうべき方向」を定められないからだ。
それが分かっただけでも、今回の件は収穫だと言える・・・・・・無論、私の傑作が売れてこそ、それが役立ったと言えるのだが。
だから売り上げだ。
金、金、金だ。
そうでなくては面白くない。
「だが・・・・・・道徳だの善行だのと言った人間賛歌をあざ笑ってこその「邪道作家」だ。私はこれからも言い続けるぞ。「金が全てだ」「人間の意志など取るに足らない」とな」
「相変わらず、底意地が悪いな、先生は」
「お互い様だ」
そして今更だ。私は何だか愉快な気分になり、音楽を流してそれを聞きながら、私はゆっくりと目を閉じた。
何一つとしてこんな豊かな気分になる根拠は無いはずなのだが、内にある真実の持ちようで、こうも良い気分になれるならば、とりあえずそれに身を任すのも良いかもしれないと、そう思うのだった。
13
「懲りませんね、貴方も」
まだ金を追いかけているのですか、と依頼をやり遂げた人間に対して、説教の様な事を言う女だった。神社の境内でいつも通り待ち合わせ、その報酬を受け取る。
札束とレアメタル・・・・・・寿命を貰って、それらを検分する。いちいち調べる必要はないのだが、癖のようなものだ。
金を数えるのは愉しいしな。
使うよりも愉しいかもしれない。
「当然だ。私は作家だからな」
「関係有ります? それ?」
「あるね。作家というのは金に苦しめられる事が非常に多い。豊かな人間はかなりの少数派だ。だからこそ「豊かな作家」を心がけ、間違っても、人生を悲観して銃で自殺するよりも、何百万年何千万年、いやいっそ何臆年でも金と豊かさと充実を手にしつつ、平穏なる生活を送ろうとする」
「金や不老不死を手にしたところで、どうせ飽きるだけですよ」
「だろうな、知っている。それならそれで、飽きない面白い物語を読むか、あるいはそれを書けば良いだけだ」
呆れ果てたのか、彼女は何も言わなかった。しかしこちらからすれば「豊かさを追い求めるな」なんて生物の原則に反する、無茶な方法だ。そんなことが出来れば、それは生きる事を放棄しているだけだろう。
構わない。
私自身、自覚はある。
だが、だからといってそれを追い求めては行けない理由には、ならないはずだ。追い求める事そのものが愚かなのかもしれないが、それでもだ。 私はそうでありたい。
そう思う。
彼女は一呼吸置いてから、私に向かって噺を始めた。彼女自身「それ」に気付いているのかどうかは微妙だが、まぁ致し方ないのだろう。
怪物には人間に憧れ、理解を深めようとすることは出来ても、化け物の在り方や思想は、本当の意味で理解することは難しいからだ。
何故なら、彼等彼女らは「人間離れした存在」であるのは確かだが、しかし「心」は確かにそこに存在するからだ。因果から外れてしまっている「心の介在しない」化け物は、ただの力や権能に優れただけの怪物と違って、本当の意味で、「この世界に有ってはならない存在」だからだ。
そんな存在は有ってはならない。何故なら、生物の大原則を無視しているからだ。「心」が無いなんて、心臓の無い生物の様なモノだ。
「いいですか、貴方なら分かっていると思いますが・・・・・・「幸福」とは「愛」の中に存在するのですよ。金や名声、永遠の命でそれを満たすことは出来ません。生物は心を満たす為に、原始的なレベルで、いっそ「本能」の部分で、そうあるべきだと作られているからです」
「だが、私には「心」が無い。心無いが故に「愛情や友情、人間賛歌の素晴らしさ」を、生まれながらにして永遠に共感することは、無いのだ。半端に世の中から隔絶されているだけの貴様には理解し難いかもしれないが、私は本当の意味で「この世界に勘定されていない」生き物なのさ」
だから何だって噺ではあるのだが、説明しなければ話が進まないので、私は話すことにした。
「貴様の言う「幸福」を永遠に共感できない。世界に嫌われているなんてモノではない。最初からこの世界には「居ない」のだ。愛や友情、人間賛歌の素晴らしさが介在する貴様等の世界には、私は「住んですら」いない」
「それは・・・・・・」
「無いと思うか? 私はそうは思わない。そしてそれを前向きに捉えた上で、私は己の「幸福」を探そうとしているのだ。貴様の様に能力や肩書きで人間社会から外れているのとは、違う。私は本当の意味で「生きていてはいけない存在」であり「貴様等の住む世界に居住する権利が最初から無い外れモノ」なのさ」
「だからって、では、貴方はそれを卑下してそんな未来を望むのですか?」
「まさか」
そんな殊勝な奴なら作家など目指しはしない。たかが世界の一つ二つに拒絶されたくらいで、この「私」が屈するなど、あり得ない。
権利がないなら奪えばいいし、奪っても使えないなら他のモノを探せばいい。
仮に替わりが効かない(それはそれであり得ない噺だ。仮に愛や友情が幸福の全てならば、それを手に出来ない奴はどうするのだろう?)としても、いやどうでもいい。替わりが効かないなら強引にそれで満足するまでだ。構わない。だが、問題はそれが現実的に可能な方策かどうか、だ。
「下らん。私は貴様のように己の境遇に悲観したりするほど「人間」をやっていないし、そこまで暇ではない。環境に絶望するなど愚かな事だ。あるいは己の出生が何であれ、どうでもいい。問題なのは「それはそれとして、どう利益を得るか」なのだからな」
生まれも育ちも才能も環境も不幸も不遇も理不尽も、同じ事だ。結果的に金を手に出来ればいいではないか。些細な問題でしかない。
「ですが、現にそれでは「幸福」になど、成れないではありませんか」
「構わんよ。「幸福」の定義など曖昧なモノだ。強いて言えば、だが・・・・・・己の望む景色、果ての無い果てを見ることが出来れば、それを幸福だと定義することは可能だろう。要は、それなりに己を満足させることの出来る場所へ、到達さえ出来れば良いのだからな」
私なら「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を「豊かに」送る姿であり、凡俗ならば「それなりに平穏で、愛や友情を持つ世界」だろう。
幸福が人の数だけあるならば、だが。
少なくとも、絶対的な幸福など、いや、あるのはあるのか。
「あるいは「感動」こそが「幸福」なのかもしれないな。自己満足でき、かつ「感動」出来るほど己にとって素晴らしい「何か」を掴めれば、それはそれで幸福だと定義できる。無論、仮説の域を出ていないが、私なら「傑作」を読んでいる瞬間か、それを書いている瞬間だろうな。無論、それを「幸福」と定義するのは私が納得行かないので他の何かにするのだろうが」
「自身の望む「幸福」を手に入れようなどと・・・・・・思い上がりも良いところですよ」
「当然だろう。思い上がって人間の領分を越えた何かを書き、伝え、広げるのが「作家」なのだからな・・・・・・仮に、だが・・・・・・万人が納得できる、完璧な「幸福」の形があるとすれば、それは己自身の精神を完全に「信頼」することが可能になりそれを「確かな形」で身近に感じられれば、それは何者をも越えた完全なる「幸福の具現」だと言えるのだろうが、な」
あるのだろうか、そんなものが・・・・・・あったとしても、それを「幸福」だと当人が捉えることはかなり、難しい気もするが。
それにその理屈では個人個人の幸福の形が争う形になる。幸福であることは間違いないが、幸福になるだけでは、足りないのだろう。
足りない何かが何なのか。
「私は「自分を信じること」だと思う。いや、この場合「信じられること」と言えばいいのか。どんな環境下であれ、己を信じられれば「幸福」に最も近い場所に居られ、「不安」からは遠のいてゆく。金や作品はそれを補完する為のモノだが、それらが無くても困るからな。だから私は金を集める事をやめるつもりはない」
己の行いが「正しい」と信じられれば、それは「感動」を知る事のない、私の様な存在でさえ、それを「幸福」だと定義できるのではないか。
「己の道のその先を信じ切る事が出来れば、少なくともあらゆる不安は払拭できる。この場合善悪は関係ない。これまでもこれからも、そのすべてを「確信を持って信じられる」ならば、それはそれで「幸福」だと思う。だから私は金が欲しいのだ。信じるにせよ現実問題金がなければいらん不安や障害に邪魔されるからな。どうでもいい事で悩みたくはない」
「それは、確かにそうですが・・・・・・どうやってそれを行うつもりですか?」
「さあな。とりあえずは」
金を手にしてから考える、とだけ答えて置いた・・・・・・完全にそれに対して答えを出せれば、それこそ神の領域だ。無論、だからって土足で入らないほど、私は礼儀正しい存在では無いがね。
そう、前提からして違うのだ。人間には感動だとか思い出だとか仲間だとか愛だとか友情だとか信念だとか、そういう「生きる為のエネルギー」を生み出す力がある。大小はあれど、皆同じだ。 だが・・・・・・私自身を「人間以外」と考えるならば、人間ではない存在として、人間とは違う方法論で「幸福」を目指さなければならないのだ。
私は人間ではないのだから。
邪道作家、なのだから。
人間であるかどうか? それそのものはどうでもいいのだ。分類などどうでもいい。問題なのは分類が違うとすれば、方法論も変わるという事なのだから。
いや、同じなのか?
だが、私がそういう「人間らしさ」みたいなモノで、幸せに成れるとは、まるで思えない。今更だが、そういう存在と縁が無かったからこそ、私は別の方法論を探しているのだ。
アンドロイド共は「物語が勇気をくれる」と言っていたが、私は勇気で動いた事は、一度も有りはしない。人間でない私のエネルギー源は狂気だからだ。
何の根拠もなくとも「無限に」進むことの出来る唯一のエネルギー。持たざる者の特権があるとすれば、これだろう。
人間性を排しているからこそ、私はここまでこれたのかと思うと、何とも皮肉な噺だが・・・・・・言っても仕方有るまい。
世の中そんなものだ。
狂人の歩く道は、特にな。
と、なるとやはり「社会的な平穏」を手に入れつつも「己の思想を形にする事で自己満足を手に入れ、それで生活を形作る」事は、私の理想とする「幸福」の形と見て、とりあえず問題は無さそうだ。この女の言うように「足りない何か」が、仮に他にあるとしても、それは追々補えばいいだけの事。今、無理に焦る理由はあるまい。
近づいているのか? 私は、私の追い求めるモノへ・・・・・・だが近づくだけでは駄目だ。それだけでは遠くから眺めているのと変わらない。そこへ到達しなければ噺にならない。
まずはそれからだ。
噺はそこから始まるべきだ。
そうじゃあないか?
善人と狂人の悪が向かう先は、きっとそこが、大きな違いなのだ。善人は「前へ進む」が、私のような存在は「先へ進む」のだ。
その為に手を尽くす。
幸福なだけの、持つだけの善人共、この世に、「正義」だとか「善意」なんてモノを信じられるくらい甘っちょろい連中には、持つことが出来ない唯一のモノだ。
連中はあらゆるモノを「持って」いる。幸福も愛も友情も人間性も豊かささえ、持っている。
だが「先へ進めようとする意志」だけは、持たざる存在にしか持ち得ないモノだ。ならば、それを先に進める事に、意義があるはずだ。
私は作家だ。未来の事は分からないが・・・・・・その先に「道」が無ければ、他の方法を試したところで無駄なのは明白だ。ならばその「唯一」の、私に出来る方法論を実行するべきだろう。
だが・・・・・・精神が幾ら成長したところで、現実に何か、富や豊かさを運んできてくれる訳でも、無いのだ。現実問題「金や平穏」を手にするにはそれなりの豊かさが必要だ。物質的な豊かさが。 その両方を手に入れる。
必ず。
「人間には運命があります。貴方にも、誰にでも・・・・・・貴方は運命を克服したのですよ。成長するとはそういうことです」
「言っているだろう。私は成長したいわけではないんだ。豊かさで平穏な生活を送る。それで自己満足をしつつ充実して生きる。ただのそれだけだ・・・・・・「精神の成長」だと? それは金や余裕があって初めて意味を成すモノだ。まずは金を掴まなければ噺にならんよ」
「あくまでも、金を追い求めるのですか?」
「そうだ。無論、それで満足するのに足りないならば、貴様の言う様に他のモノも求めてみるさ。それまでは、そうなるだろう」
「・・・・・・まぁ、いいでしょう。貴方という人間の行く末を、見届けさせて貰います」
「勝手にしろ」
流れの様な存在があるとするならば、私はどこへ行くのだろう。案外、流されるだけでそこへ辿り着けるのか、それとも私は流れの行く末を、選ぶことができているのだろうか?
いずれにせよ「私個人」が動くことで、大局が大きく変わった試しがない。今までの行いを信じるほか無い。私が書いてきた作品が傑作であることは疑いようも無いとして、それらが実を結ぶ事を、信じるしか。
作品そのものは疑いすらしていないが、それが実を結ぶかとなると、私個人ではどうしようもない部分で動いている事なのだ。成功や失敗、あるいは個々人の「運命」に何か意味があるならば、ここで成果が出ないのはおかしい。
筈だ。
運命が味方する事を信じるしかない。言い聞かせるくらいしか出来る事が無いのはかなり、歯痒いが・・・・・・これもまた「事実」だ。
だが・・・・・・もしこれでも上手く行かないので有れば、それはもう「運命が無い」という事ではないのか? 「人間ではない」ならば、「人間のように幸福な運命」が「用意されていない」のは、至極真っ当な答えだ。
もしそうならば・・・・・・「あらかじめどういう運命を用意されているか」で「幸福になれるかどうか」は決まる、ということだろう。だとすれば、それに意味はあるのか? ないと思う。私だからこそ断言できる。どれだけ小綺麗な理屈で飾りたてようが、有りはしないのだ。
過程の崇高さなど、見る側の都合でしかない。実際にそれを歩く人間には、意味など無いのだ。無論それで「答え」が出る事もある・・・・・・だが最終的に報われなければ、どれだけ尊かろうが、ただの犬死にだ。
そんなのは御免だ。
私は誰かにそれを魅せる為に行動してきたのではない。あくまでも「私」の為だ。他のどうでも良い連中が勝手にそれらを美化して感動するなどと、そんなのは反吐が出る。
食い物にされているだけだ。
これは歴とした「事実」だ。
概念論になってきたが、しかしそれが事実だ。どれだけ精神的に満たされようとも、だからってその為に己の幸福を捨てるのは「敗北」だ。そんな勝利があってたまるか。私は他の連中のコヤシになる為に、今まで労力を掛けてきたのではないのだから。
「運命に味方されている人間は、確かにいます。けれど私の知る限り、そういう人間は精神が弱い・・・・・・己を磨く必要がないからです」
「だが、それで「結果」勝利できれば、同じ事だろう。私は、いや私でなくとも、過程を誇りたくてやる訳ではないのだ。その先にある「結果」や「利益」そして「勝利」が欲しいからこそ、そこへ挑む。それを敗北からも学べる事はあるだとか勝利だけでは掴めないモノがあるだとか、勝利する側と敗北する側があるこの世界で、敗北や失敗から学んだところで「負けるべくして負ける」様なこの世界で、そんなのはただの綺麗事だ」
何の価値もない。そもそも、価値とは勝利者になることでしか、発生し得ないものだ。大会に出場できなかった実力者が、スポンサー契約を結んで誰かに認められる事は決してない。
「負けはしたけれど君の意志は尊いモノだから、それに意味はあるんだと、そんな事を言われて納得できる奴は、最初から勝つつもりすらないか、戦ってすらいないだけだ。本当にそこに到達しようと考えているならば、そんな小汚い綺麗事で、納得するのは「不覚悟」だと、私は思う」
「・・・・・・そうかもしれません。ですが、私が言いたいのは「運命には意味がある」ということですよ。困難な運命にも、勝利者の運命にも」
「その保証はどこにもない。あったとして、それが己に利益をもたらすものでなければ、当人からすれば無意味そのものだ。植物だよ」
「植物?」
彼女はきょとんとして首を傾げる。私は構わずに噺を進めた。
「米やトウモロコシと同じさ・・・・・・「強いストレスを与えて強くする」そうすると栄養があって、大量の実りが期待できる」
「だったら・・・・・・」
「だが、それは刈り取る側の都合でしかない。刈り取る側の欲望と豊かさを満たすため、ストレスを与えるのだ」
「ですが、放っておけば雑草で荒れ果て、ともすれば「種」そのものが絶滅に瀕するのもまた、貴方の言うところの「事実」ですよ」
「かもな・・・・・・私が言いたいのは、それを綺麗事で誤魔化して「良い事」をやっている風に振る舞いながら、それを押しつけられるのが、我慢ならないというだけさ」
魂がどこへ向かうかなんて私は知らないが、少なくとも「品質の良い」モノが優遇されるのは、どこでも同じだろう。そしてきっと「困難や恐怖を乗り越え、成長した魂」が、神だのといった存在が仮にあるならば、だが、彼等の求めるモノなのだろう。
だが、「魂」があるかさえ不透明で、人間として分類できるのかも不確かな上、善人か悪人かで言えば間違いなく「悪」だと分類できるだろう、この「私」が、精神を成長させて何か意味など有るのだろうか?
それを決めるのはきっと私の意志とは関係のないところなのだろう。だからこそ気にくわない。私の意志を超越して決められるのだとすれば、そんなモノの為に振り回されて生きるのは、御免被る噺だ。
だから「金」を求めたと言っていい。
使い方次第、だが・・・・・・「理不尽」を覆すのにこれほど、わかりやすい「力」はあるまい。金があればあらゆる人類社会のサービスを受けられる・・・・・・それは「人間という種」を、全て味方に付けられると言っても、過言ではあるまい。
それが「金」だ。
己だけで覆す事が困難なら、他の優秀な人間共を使うまでだ。そして私は「幸福に成って」みせるぞ・・・・・・それが当面の目的だからな。
しかし・・・・・・仮に「我々の運命が誰か(あるいは「何か」か)に定められている」と仮定した場合、おかしな事になる。
何故なら「運命を克服する」ことで「精神や魂を成長させる」事が目的だとすれば、例えそれがどんな理不尽でも困難でも! 「克服できるように作られている」必要性があるからだ。
絶対に克服できない運命など、作ったところで意味がない。小さな蟻を虐めているようなものだ・・・・・・神の視点からすれば、それも別におかしな事ではないだろうが・・・・・・もし、そこに「理由」が有るとすれば、それが「意志の強弱」なのだろうか? それで判断するのか?
だとすれば、「意志の弱い生物は死ね」と断言している様なものだ。有る意味、私などより余程残酷で容赦がない。まぁ、世の理とはいつでも、そういうものだがな。
「お前は」
だから聞いてみた。この女が何者か? それは私も知らない。だが、もし神がいるとして、それを知る者があるとすれば、私の知る限りこの女以外には、いないからだ。
「どう思う? 運命は克服できるのか。何の為に存在するのか。所詮誰かの都合でしか無いのか。そして、それらを克服する為には、一体何が必要だというのか」
その答えを聞いてみたい。
一個人としても「作家」としても。
「それは」
お答えできません、と女は答えるのだった。興ざめだ。何故教えることすら出来ないと言うのだろう? 特許料でもあるのか?
「なぜならそれは貴方達が見つけだす「答え」だからですよ。貴方は既にその「答え」を出してしまっている。そこへ私が何を言おうが、貴方の答えは変わりませんしね」
「ありきたりな台詞だな」
「ですね・・・・・・しかし「この世の真理」だと、私は思いますよ。人間が唯一、神にも出来ない事を為し得るとすれば、それは「答えを出すこと」でしょうから」
「何故? 神だって考えていれば、自身の答えを出せそうなものだが」
「神の生きる世界には「試練」そのものがありません。そうでなくとも、貴方で言うところの金持ちや持つ側の人間が、困難の中にあっても先に進める「答え」を出すことなど、環境や在り方からして不可能ですよ」
持ちすぎるが故に人間に出来ることが出来ないと言うのは、おかしな矛盾ではある。いや、それもある種当然の事なのか。長所は短所だとするならば、「出来るが故に出来ない事柄は発生する」のだろうから。
個人的には「答え」など、出せたから何だと言うのか、という噺だがな。嬉しくもない。そのくせ、きっと何不自由なく存在する神がいるとすれば、人間の出す「答え」を重宝していたりするのだろうから、それは無いものを欲しがると言うよりは、ただの持つ側の我が儘って気もするがね。 私から言わせれば、持ちすぎているくせに文句が多いだけだ、そんなのは。
切羽詰まっていれば誰だって、成長よりも利益を選ぶ。例えそれが己の成長に繋がらなくても、だ。そこで成長を選ぶのは「余裕」があるからでしかない。そして、成長を良しと言う輩に限って自分自身は「成長する為の苦難や試練」を知りさえしないと言うのだから、迷惑な話だ。
本当にな。
私はそんなモノを肯定するつもりは無いが、曲がりなりにもそれを押しつけられて私が「成長」したならば、それに見合う「実利」が欲しいものだ。そうでなくては割に合わない。
困難な運命や理不尽は、克服できなければ意味がないのだ。少なくとも、当人にとっては。そしてそれは「正義だから」とか「悪だから」などという理由で正否が決まる訳でもない。
善悪など人間が勝手に作り出した概念でしかないからだ。そこに正義も悪もない。個々人の正義や悪が同居しているだけだ。
なら・・・・・・やはり「意志の強さ」なのか? だが精神や意志が強いだけでは駄目だ。私が欲しいのはあくまでもそれなりの豊かさと平穏だ。
そこを曲げるつもりはない。
それが、私だ。
「これから、貴方はどこへ向かわれるのですか」「さあな」
とりあえずは、どうするか・・・・・・私は「作家」だ。だがただの「作家」ではない。「邪道作家」なのだ。ならば「金」と「幸福」を追い求めて、先へと進めるとしよう。
その先に何があるのかは、私にも分からないが・・・・・・精々「金と平穏」があるようにするしか、無いだろう。
私は女に背を向けて、その場を後にした。奇しくも、私自身別に望んですらいないのに、私の頭の中には「次回作」の構想が、浮かべたくもないのに浮かんでくるのだった。
無論、邪道作家の歩みが、それで止まる訳でも無いのだが、な。
背を向ける私に女は言った。
「神が居るとして、貴方に味方していることは事実ですよ」
「何故だ?」
意味が分からなかった。無論、神などという、居るのかいないのか判然としない奴の話を振られたからってのもあったが。
「私の人生には鬱陶しい困難や理不尽ばかりだったぞ」
「だからこそ、ですよ。神が居るとして、神にも好みはありますから。どうでもいい人間の後押しをしたりはしません」
「意味が、分からないが」
「貴方自身理解しているでしょう。「困難は人を成長させる」そして、困難の無い人間の方がむしろ、神に見捨てられた存在なのですよ」
「とてもそうは思えないな。持つ側にいた方が、人生は豊かだろう」
「豊かです。しかし、当人の成長があり得ない以上、どこかで破綻する。肝心なのは精神を成長させ、それを形にすることですよ。それが出来なければ、どれだけ何を持とうが、その先には破滅しかない」
「生憎、私の考えはこうだ・・・・・・神なんているのかどうかわからない奴は「とりあえず居ない」と考えて、やってみることだ。そして、そういう意味不明な後押しがあるのかどうかは、後からまた考えればいい」
神がいれば協力させてやってもいいし、悪魔が邪魔するなら叩き斬れば良い。
「いずれにせよいてもいなくても同じだ。私はその道を進む。そして、ここまで来た。ならば後は金に換えるだけだ」
「どうして、そう意固地なんですかね」
「今更だろう。私の性格の問題だ」
今までの困難や理不尽が「成長の為」だったとして、それこそが「幸福への道」だとしても、それで納得できるか! 嫌なモノは嫌なのだ。
頼んでもいないのに向こうからやってくるというのだから、どうにも成らない噺だが。
「どうせ人間の一生なんて一瞬ですよ。貴方は私が寿命を延ばしていますが、それだって精々数百万年程度です。そんな短い期間に、汚い紙幣や電子上の存在すらしない数字を眺めて一喜一憂するような、空しい人生で良いのですか?」
「そこまでは言って無いだろう。別に私は金だけで満足するつもりはないのだ。あくまでも、私個人の自己満足を充足させることだ。そして、どうでもいいストレスや騒音から解放され、己の生き方を通すなら、必ずそこに金は必要になってくるものだ」
振り返って、私は女を見た。神なんてどうでもいいが、「女神」は居てもいいかもしれない。とりあえず、味方してくれれば頼もしいからな。
「困難の無い人生を送る人間は、死人ですよ。何の夢も希望も、持てない」
「私とそう変わらんな」
「いいえ。貴方は口ではそう言いますが、作家業や物語の面白さを、己の「生き甲斐」にしている・・・・・・持ちすぎるというのは、それはそれで一つの病なのですよ。おまけに、困難がないから成長できず、成長しようとすることさえ、出来ない。この世に「地獄」が有るとすれば、変わろうという意志を持つことが出来ず、己の小ささを直視しながら生き続けること、だと私は思います」
・・・・・・まぁ確かに、フェアな心がけとしてその噺をすると、「金はあるのだが手応えがない」という人間は「死にたくなる」のだそうだ。
これは心理学的に仕方ない事だ。手応えというのは「生きている自覚」だ。無論、私のように、手応えだけで壁の感覚しか無いというのは流石に困るが・・・・・・困難や理不尽が無ければ、人間という生物は「今ここにいる自分」を認識できない。 それは死体だ。
金を持っている死体。
だからこそ私は「生き甲斐」や「充実」もセットで求めているのだ。金を手にしたところで、それだけで「幸福」という訳ではない。無論、自己満足は出来るが、それだけではなく、「充足」を金の力で買う事は、必要になるだろう。
私の場合は「物語」だ。
それで永続的に満足できる。宇宙の終わりまで面白い物語を楽しみ、新しい物語を鬼気として書き続ける「確信」がある。
それが「私」だ。
決して・・・・・・全てを手に入れたのに人生に絶望して死のうとするような凡俗の作家と、同じ様な轍は踏まない。作家とは苦悩する生き物だが、苦悩しない作家など作家ではないと私も思うが、しかしそれはそれ、作品に活かしつつ「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を豊かに送り、それでいて「充足」する人生を送り続けてやるぞ。私にはそれが出来る。
私は応用が利く上器用だからな。
生き方の柔軟性なら、並ぶモノはいない。
「貴方は、己で己の「生き方」に「答え」を出している。それこそが「幸福」なのですよ」
「ふん」
何だか綺麗事っぽくて気に入らない。どうせならその上で「勝利者」にならねばな。
「勝利者に成ることに、意味なんてありませんよ・・・・・・知っていてそういう事を言うのは、性格悪いですよ」
「それもまた、今更だな」
性格が良くて物語なんて書けるか。人格者が書く物語など、絶対にロクなモノではない。私に未来は見えないが、それは分かる。
焦ってもロクな事には成らない位、確実だ。
「貴方の人生にもし、今までの困難や理不尽、苦悩や葛藤、それに対する答えがなかったら、毎日機械のように会社へ赴いて機械に労働を任せ、機械のように休日を消化し、物語には魅力が無く、前へ進もうという意志どころか、前に進むことが何かもわからないまま、一生を終えたでしょう」「知っている。貴様こそ分かっている事を私に、解説するんじゃない。国語の教師か」
「・・・・・・そこまで「分かって」いながら、そんな風に斜に構える貴方は、私には分かりかねます」「全ては貴様の言うとおりだろう。だがそれと、私が「豊かさ」を掴んではいけない理由には」
「豊かさは己の内にあるものですよ」
途中で遮られた。
無視して私は続ける。
「なら、尚更だ。内面が豊かになるからって、金が払われない理由に成ってたまるか! 今までが散々だったなら尚更、その分の利益は頂く。これは私が決めたことだ。とやかく横から言われる覚えはない」
繰り返しお互い分かっていることを話すのに辟易したのか、彼女は少し一息ついて、噺を続けるのだった。
「ええ。でしょうね。それは貴方自身が良く知っている筈です。やり遂げて成し遂げたなら、例え当人が拒絶したところで、豊かさは手に入るモノなのですよ。己の不始末から来る失敗や敗北を、個人の意志では拒めないように、勝利や豊かさも当人の意志とは関係なく、リンゴが上から落ちるように、そうなるべくして成るのですよ」
そうかもしれない。だが、今のところはまだ作品が売れている訳でもない。売れたら売れたで、やることは他にも山のように有るのだが、とりあえず「この長い道のり」が「どうなった」かは、金額でのみ計れる噺だ。
過程とか意志とかは、この際どうでもいい。
私はそういう奴なのだ。それを重要視しろと言われたところで、無理な相談だ。
「ふん。期待せずに待つとするさ。私は気が非常に短いんでな。いや、何年も何年も成果の出ない「作家業」に費やした所を見ると、長すぎたのかもしれないが」
「熱中していただけでしょう。それもまた、幸福の形ですよ」
「ふん」
気に入らないが、まぁとりあえずはその答えで待つしかない。あっていようが間違っていようが私は止まらないし、止まるつもりもない。
作家とはそういう「モノ」だ。
途中で辞める事だけは、出来ない。
ならばそれを「生き方」として、それに準じた上で「幸福」を掴むまでだ。ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を軸にして、私は階段を降りていく。
「では、お気をつけて」
「ふん、行ってくる」
あまり希望は見えないが、希望など無くても私は進むことが出来る存在だ。困難も理不尽も希望も絶望も全て、「作品のネタ」にするとしよう。 読者共が中毒の様に私の作品を読み、税金のように金を献上する未来を見据えて、私は前へと進む。歩みは止めない。全人類が私の作品を読んで金を支払うこと。未来を見据える存在が勝つというならば、そんな未来が有っても良かろう。
私は前へと進んだ。
傑作の手応えを、私の中に感じながら。
この記事が参加している募集
例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!