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自分だけのスタイル

“頭がお花畑”
あきらかに侮蔑を含んだ言い回しですが、そのような意図はまったくなしに、文字通り“頭がお花畑”な男性に出会いました。

通りの向こうからその人がやって来るのを見た時、そこだけ花が咲いたようで、私はすぐさまその姿に釘付けになりました。

ダークトーンの短いコートに、細身のパンツ、光沢のある黒いショートブーツ。
それだけならどこででも出会う人ですが、その男性はおしゃれの仕上げに、つばのついた帽子をかぶっていました。

“キャプリーヌ”と呼ばれるつば広のその帽子は桜のようなペールピンクで、片側に八重桜ともダリアともとれるような、花弁の多い花々がこぼれんばかりに飾られています。

なんて素敵なんだろう!
私はそんな感嘆を抱きつつ男性とその帽子を見つめ、いよいよすれ違う時、彼は小さな笑みを私に投げかけてくれました。

男性がかぶるにはかなり勇気が必要なはずの帽子ながら、彼の態度はごく自然で堂々としたものでした。


そんな人に出会った折には、“セオリーを外さないファッション”の不自由さをつくづく思わされます。

かくいう私も、ふだんは“パーソナルカラー、顔タイプ、骨格診断”といった判断法にこだわり、そこに洋服や身につけるものを選ぶ基準を置いています。
それは楽なうえ失敗のないシステマティックなコーディネート法なのですが、さて、本当に素晴らしいことなのだろうか、私はもしかして何かを見失いかけているのでは、などと考えさせられもします。


こんな場合に思い出されるのは『暮らしの手帖』の発行人としても有名な、クリエイターの花森安治さんでしょうか。

花森さんのトレードマークは、おかっぱの髪とスカートです。現代では男性の長い髪やスカートは珍しくもありませんが、花森さんが生きたのは戦後すぐという時代です。
いくら有名人といえど、いかに心ない中傷にさらされたか、想像に難くありません。

けれど、あるとき人からその格好を揶揄された花森さんは、こともなげに答えます。

特に何ということもないでしょう。みんな自分の好きなものを着れば良いのではないですか

世間の当たり前よりも、自分の感覚を優先することを当然とする清々しさ。
ジェンダーや年齢なども無効化してしまう自由な精神を、“たかが服装”の中にも強く感じる、私の好きなエピソードです。


ほかに似たような話では、ファッション好きなら知らない人のいない『ヴォーグ』編集長アナ・ウィンターの語る、興味深いエピソードがあります。

かつて彼女がスタッフの面接をした際、そこに一人の完璧な服装の男性が現れました。
彼のことは、ずっと印象に残っています。ドレスを着て、ハンドバッグを持ってきたの。その場で採用を決めました

それはもちろん、彼が奇を衒い、その斬新さでウィンター編集長を面白がらせたから、という理由ではありません。
その外見が彼にぴったりとフィットし、個性と人間性を存分にあらわしていたからです。

もしかして当日の朝に買ったばかりでは、と首をかしげるくらい、その人の本質とはかけ離れた服装の面接者ばかり」の中で、彼が自分の身につけるものを通して外側に発信していたメッセージは、きわめて明瞭なものだったのでしょう。

自分に合った服装をしなさい。どんな仕事の面接であろうと。自分を偽ったら自分に失礼です

彼女の哲学を彼が余すところなく理解し、実践していたからこそ、強くその心を打ったに違いありません。


これらの逸話は、ファッションがただ人の身体を包むだけでなく、いかに多くの価値とメッセージ性を持つものであるかを伝えます。

けれども、あまりに難しく考えすぎたり、身につけるのが凝った一点ものや高価なブランド品でなくとも、私たちはそれぞれに素晴らしくなれるはずです。
花飾りのついた帽子の男性や、面接でドレスを着て来た若者のように、自分自身への理解と、それを恐れず表明する、という小さな勇気を持てさえすれば。

人目を気にし、自分が本当に身につけたいものを遠ざけて過ごす人生に、私は少しの魅力も感じません。
常に思うような格好ができるわけではないにせよ、社会的なルール以上に、自分で作った枠にとらわれるのはもったいない。

賛否両論はあるとしても、歴史上もっとも自分の好みを追求できる時代に生きているからこそ、その特権を大切に活かしていきたいなと思います。


そしてここに、私が感じた“システマティックに失敗を避けるだけの、制度化されたファッションで良いのか”という問いへの答えがある気がします。

2年前にまだ50代の若さで亡くなった、エスプリあふれる天才デザイナー、アルベール・エルバスの言葉にも、そっと後押しされるのを感じながら。

スタイルは、お金では買えない唯一のものです。ショッピングバッグやラベル、値段のタグにスタイルはありません。
私たちの魂が外の世界に向かって映し出されるもの──それこそが感性です

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