見出し画像

恋のカピチュレーション

私立の高校に通っていた。公立の高校にあるのかは分からないが、僕の通っていた高校では数年に一度有名人による講演会が設けられていて、これが密かな楽しみであった。

僕が入学する前の年には林修先生が来たし、2年生のときにはゴルゴ松本が来て「命の授業」をしてくれた。

迎えた高校生活最期の年。誰が来るのか、はたまた誰も来ずに終わってしまうのか。期待と不安を胸に抱えていた。

その結果が分かったのはいつしかの帰りのホームルームだった。担任の先生が配布物と言って、「講演会のご案内」というタイトルの紙が前から順に送られてきた。

「パックンマックン?」
「パックンマックンってあれか」

後部座席に座っていた僕がそのプリントを手に取る前に、ざわざわとしたクラスメイトの声でネタバレする。

林修、ゴルゴと続くのは誰か期待していたが、パックンマックンは想定外だった。てか、パックンマックンって誰だ?芸能に無知だった僕は友達がスマホで画像検索した結果を見て、「あー見たことある人だ」と呟いた。失礼僭越ながら、見たことある程度で意識的に見たことはなかった。それでも受験生の息抜きだと思って、すごく楽しみにしていた。

迎えた講演会の日。
講演会が午後に行われるため、授業は午前中のみの四時間。ベリーイージースケジュールでこれだけでも嬉しい。

全校生徒が体育館に集結する。僕は他のクラスに在籍する部活の友人たちに手を振ってみたり、ウインクしてみたり、あるいは投げキッスをしてみたりと結構ダルいことをしていました。調子に乗った人間ですね。

体育館に大量に設置されたパイプ椅子に全校生徒が腰掛け、講演がはじまった。パックンマックンの2人が勢いよく見慣れた体育館のステージに登場した。

さすがはプロ。内容は殆ど忘れてしまったけれど、掴みはバッチリだったし会場はパックンマックンのペースに呑まれていった。

ただ、彼らが僕たちに伝えたのは「笑い」だけではない。超エリートで情報番組のコメンテーターとして活躍する、頭脳派のパックンによるプレゼンが笑いを交えて行われる。

その内容はもう5年前だけあって殆ど忘れてしまったのだが、フロイトの理論の話を簡略的に話していた記憶がある。定かではない。

ただ忘れられないのは、その実践とか何とかと言って座席近くのクラスメイトと話す機会が設けられたことだ。

なぜこんなにもそのシーンを忘れていないかといえば、非常に単純。憧憬を抱いていたクラスメイトの女の子とペアになったからである。

A子は割に大人しい性格で目立つようなタイプではなかったから、クラスのマドンナ的な存在ではない。だが「あの子って可愛いよね」と男子の間でしょっちゅう話題になる女の子だった。まあ端的にいえば「周囲には知られていない僕たちのアイドル」である。

ショートカットで髪は短く整えられ、色白で透き通るような肌にまん丸のくりっとした目を持ち併せている。

僕には当時付き合っていた女の子がいたし、その交際していた彼女のことが好きだったから、目の前にいるA子のことなんか別になんでもない、と気を張っていた。

ペアが作れたところでパックンマックンが、2人ペアで話すお題みたいなものを提示する。

「行ってみたい国はどこか」

このテーマで話し合えと言われた。パックンマックンの意図が何なのかも忘れてしまったけど。

「それでは話してください!どうぞ!」
マックンが舵を切った。

「あ、A子さんの行ってみたい国ってど、どこ?」
別に女の子に慣れていない訳でもないのに心臓の鼓動が早く、止まらなくなる。なんとなく目を合わせることも恥ずかしかった。

「んーーーーーー、フランスかなぁ」
彼女は悩んだ挙句、フランスを選択した。めっちゃミーハーやん、と思ったが定番というか王道を選んだのである。いや、街や行ってみたい世界遺産によってはかなり気が合うかもしれない。

ここで彼女が、パリのカフェとか綺麗な街並みとか、フランスパンとか「なんとなくお洒落なフランス、パリ」を選択した場合はミーハー。一方、パリはパリでも印象画家のアトリエに行きたいとか、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」でおなじみのモンマルトルとか、ルーヴル美術館ではなくオルセー美術館とか、モン・サン・ミシェルではなくポンデュガールとか、ちょっと渋めで玄人っぽい回答があるかもしれない。

もちろん、ミーハー的選択を否定したい訳ではないが僕は何かにこだわる玄人が単純に好きなのである。だから彼女がミーハーでないことを期待している自分がいた。

「なんでフランスなの?」
おそるおそる聞いた。

「なんか、綺麗な街並みというか歴史もすごくあるし……」

ミーハーやないかい。

「あーパリってナポレオン3世が区画整備した影響もあって街並み綺麗だよね!フランス革命の跡地とか巡ってみたいよね!」
なんて返答しようものなら嫌われてしまうことだろう。口から出かけた「ナポレオン3世」を封印し、「パリのカフェとかあこがれる!」と適当な返事をした。

「そう!めっちゃ行ってみたい!」

パリの物価はとんでもなく高いことを知っていたので、僕は別にパリのカフェにわざわざ入りたいと思わない。しかしA子とパリのカフェに入ったら、一杯五千円のコーヒーでも奢ってしまうと思う。五千円もしないと思うけれど。

「ナツキくんは?」
おっと、名前を呼ばれてしまった。パリのカフェだけとは言わず、高級フレンチも奢ります。

実はこの女の子とは3年間クラスが一緒だったが全くといっていいほど話したことがなかった。ちゃんと僕の名前を覚えていることに淡い感動を覚えつつ、思考回路をこれでもかと働かせた。

何の国を選ぶか。ここの選択は非常に重要である。ポケモンのゲームにおける、オーキド博士からどのポケモンをもらうかと同じくらい重要な局面である。

もし彼女が日本史選択なら日本と交友関係のある国、あるいは親日国家を選べば間違いないが、彼女は世界史選択である。

そして彼女が選択したのはフランス。ということは必然的にフランスと仲の良い国が好感的に見られるはずだ。

つまり、親仏国家。選択肢としてイギリスはまず外れるだろう。先の大戦では互いに連合国として戦っているものの、中世では英仏百年戦争、近代でもアフリカを巡っていざこざがあった二カ国だ。まあ別にイギリスに行きたいと思ったことはないのですが。

あとは第二次大戦の歴史を紐解けばドイツも除外されそうだ。日本と韓国がそうであるように、そもそも隣国というのはそう簡単に上手くやっていけるものではない。フランス、いやヨーロッパ圏から離れた方が良さそうだ。

とはいえそろそろ結論を出さなくては相手を必要以上に待たせてしまう。

あ、そうだ!トルコだわ、トルコええやん。現在において親仏国家なのか知らないが、トルコがオスマン帝国だったときの16世紀、「カピチュレーション」という通商特権をオスマン帝国がフランスに与えているではないか。

合っているかは分からないが、一言でいえばカピチュレーションによってオスマン帝国とフランスは相互に友好関係を築いたのである。これはフランス好きの彼女と仲良くなれるぞ!

イスラム国家とカトリック国家という全く違う世界で生きる二カ国と同じように、僕と彼女は全く違う世界線に生きている。限りなくヨーロッパ州に近いアジア州、トルコ。同じフィールドに位置してそうで本質的には位置していない。まるで僕たちと一緒だ。

そんな僕たちが「フランス」と「トルコ」という国家間を通じて繋がる。これは、「恋のカピチュレーション」の予感。

ただ、誤解してほしくないので言うと、僕には最愛の彼女がいたからもちろん妄想段階に留めている。どこからが浮気かという議論において、妄想の「も」の字も出てこないのだから、妄想は合法だろう。

あとは、「トルコ」と言うより「イスタンブール」と言った方が玄人感が醸し出せるので、僕は、「うーーーーーん、イスタンブールかなあ」と顎に手を当て黄昏た様子で言ってみた。本当にイキってますよね。

忘れてはいけないが、お題は「行ってみたい」であり、「都市」ではない。国語だと間違いなく罰にされている。

「イスタンブールって、どこだっ、あ、トルコか」
「そうそう」
「なんで?」

ここでカピチュレーションのくだりを言い、僕も君とのカピチュレーションの関係を築きたいとか言うのはさすがにキモすぎるし、妄想を実行してしまえばそれはもう浮気である。

「モスクを見にいきたいんだよね。アヤソフィアとかブルーモスクとか」
ちなみにこれは本当のことである。ただ、この記事を書いている今時分においてもまだこれらのモスクへ行ったことはない。

「へーすごいね!トルコいいかも!」
彼女は、まじでトルコリラで何でも買ってやるわと僕に思わせるような愛嬌ある笑顔を見せた。さっきから妄想段階で金かけすぎじゃないかと思われそうですけど、まあスパチャみたいなものですよ。

「タイムアッープ!」
パックンがギリギリ聞き取れるくらいのすこぶる良い発音で僕たちの会話に終止符が打たれる。できることならこの会話を一生続けたかった。アイドルの握手会みたいに、一瞬の刹那的なときめきを覚えさせられる時間だった(握手会は行ったことがない)。

ーーー

それからの高校生活において僕とA子が話す機会はまともになかったから、というか僕が緊張して話すことができなかった。要するに「カピれなかった」ということである。

ただ、そのことについて後悔しているかといえば、実は全くといっていいほど後悔していない。

まあその頃パートナーがいたし当然といえば当然なのだが、A子は僕の中ではやはりアイドルなのだ。廊下側から窓際の彼女をつまらない授業中、目の肥やし程度に思考停止で眺められれば十分であった。今思うと、ちょっと気持ち悪いですね。

しかしいずれにせよ「アイドルは恋愛対象にならない」というのはこういうことであろう。

そんな彼女とは現在も全く親交がないのだが、Instagramだけは相互フォローしている。高校卒業から3,4年経ったいつだかの夜中、ぼんやりとInstagramを開いて画面を下にスクロールしていたら彼女の投稿が僕のスマホに表示された。

「あーー」

思わず声が漏れてしまったその投稿は、彼氏らしき人間との写真であった。

アイドルは恋愛禁止じゃなかったのかよ!
まあ推しのアイドルには幸せになってもらいたいですよね、はい…… 幸あれ!



【追記】
そんな甘酸っぱい遠い昔を思い出したのはパックンがテレビに出演しているのをたまたま見たときだった。パックンはもちろん意図していないだろうが、こんな機会をつくってくれてありがとう、パックン。いや、パックンは天才だから僕の心情を見破って会話する機会を……
あ、マックンにももちろん感謝していますよ。お二方、僕の母校へ来てくれてありがとうございました。5年越しの感謝御礼。メルシー!


この記事が参加している募集

世界史がすき

忘れられない恋物語

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!