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伊藤緑
2019年9月11日 13:53
目が合えば、スーツを着た女の人は足早に去っていった。雨足が強くなっていく。公園の芝は水を吸い、街灯の白い光で淡くきらめいていた。ベンチに腰掛けたまま上げていた顔を下ろしたら、胸がひざにくっついて。重たい頭。こみ上げてくる胃液。また吐いた。吐いて、雨に濡れた手の甲で口元を拭えば、肌がぬるり。口からアルコールが蒸発していくような気がした。 ちらつく。こずえの下に溶けていった黒い背中が。彼女の手に
2024年6月24日 17:30
「なんで産んだの」 従妹が家でそう呟きながら泣いてしまったと、叔母が私の母に相談していたのをこの前見かけた。正確には、仕事から帰ってきたときにリビングで電話しているのを盗み聞いてしまった。 叔母とうちの母はとても仲が良くて、家も近いほうだった。そういうこともあって、従妹が幼い頃からよく遊んでいた。従妹とは結構年齢が離れていて、私は就職してそれなり、従妹のほうは高校一年生。どちらかといえば昔
2024年6月17日 23:30
命という名の病を意図的にうつされて、いったいどれほどの時間が流れたでしょう。老いという症状は悪化する一方です。水面が鏡が、それを気まずそうに教えてくれます。ほかの命を貪りどうにかそれを遅らせようと、抑え込もうとしても、私はその病状から逃れられない。 よく熱を出します。皮膚が荒れたり赤くなったり、できものに間借りされたり。咳が止まらなくなったり目がかすんだり。お腹が暴れたり関節が喚いたり。息が
2024年6月15日 21:00
生まれてきてしまった。この「しまった」という隣人から決して逃れられないあなたへ、僕はこの文章を書くつもりです。 命というのは押しつけられたものです。くれと頼んだ覚えも、くださいと懇願した記憶もなければ、自らの意志でここまで歩いてきたわけでもありません。気付けばここにいた。そうして、様々な形で生の肯定を強制されている。僕たちは生きることを賛美しなければならないという現実に突き落とされてしまっ
2024年6月2日 23:33
生まれてきてよかったという神を自らの中に拵えようとしてみても、それは偽神に過ぎなくて、私はその前に跪くことができません。私はそれが神様のふりした詐欺師であるという意識を捨てることができないんです。今、無の子どもがつけている生誕という仮面は誰にとってよかったか。何にとって美しいのか。気付けばつけさせられていたそれが息苦しいことを、どうして端的に認めてはいけないんでしょう。今まさに窒息しながら、窒息
2020年9月14日 20:03
人間は幸せになるために生まれてきたんだって、人は私に微笑みました。 でも、理解できませんでした。受け入れられませんでした。無理して、呑み込むことも。 生まれてきたことに、意味なんてないんですから。人は、気づいたらそこにいたに過ぎません。たまたま、私というものが産み落とされただけに過ぎないんです。誰も、自らの意志で卵子を目指し泳いだわけじゃない。精子をそっと抱き締めたわけじゃない。産道を下
2020年9月6日 14:40
ずっと、押し殺してきたのではありませんか。長いあいだ、必死になって隠してきたのではありませんか。ごまかしてきたのでしょう。たとえば、笑顔を作ったりなんかして。 けれどもう、よいのです。 生まれてきたくなかったと、そう叫んでもよいのです。 それは真実の叫びです。あなたの悲鳴です。悲鳴を呑み込んではなりません。悲鳴とは、上げてよいものなのです。上げるべきものなのです。 あなたは親とは
2020年8月27日 18:45
誰もが教え、諭し、叱り続けてきました。人の気持ちを考えろと。相手の立場に立って物事を考えろと。 ですから、私は考えたんです。仮に私が出産を望んだとして、子どもを産んだとして、その子がいったい、どんな気持ちになるか。その子が、どういった人生を送ることになるのかを。 その子はきっと、病気になるでしょう。人間ですから。常に健康なんてことは、およそありえない。そのとき、きっと苦しい思いをするはず
2020年3月24日 12:16
相手が誕生日だと知っても、おめでとうとは言わないようにしています。プレゼントも贈らない。誕生会なんて絶対に参加しないし、自分のときはケーキすら買いません。なにもしない。だって人間が、自らの意志で生まれてきたとは、自ら産道を歩いてきたとは、とても思えないから。 私はなぜ生まれてきたのか。親の理由は、いろいろとあるんでしょう。子どもがほしかったか、親になりたかったか、世間の圧力に屈したか、気持ち
2019年11月6日 00:50
「生まれてこなくておめでとう」 叔母が流産したという話を母がしたとき、僕にだけ聞こえる声で、姉がぽつりとつぶやきました。ソファに腰かけてうつむいたまま。長い後ろ髪を縛っているその青白い横顔を僕が凝視しても、姉はそれ以上、なにもいわなくて。台所に立っていた母は、また今度遊びにいってあげて、と僕らに微笑んで。姉はうなずいただけで、返事をしませんでした。母に声を返せば、姉がちらりと僕を見て。重なった
2019年9月11日 19:05
僕は君を抱けません。不安が、恐怖が、違和感が、どうしても拭えないんです。 もし君をこの腕で包み込んで、そうして万が一、君が妊娠したとしたら。知っているでしょう? 出産で亡くなる人の数を。怖いんです。君を失うことが。もし君が子を宿して、そうして産むと決断したら。君は死んでしまうかもしれない。 くだらない、と鼻で笑う人もいるでしょう。事実、僕はある友人にばかにされました。だけど僕は思うんです