「なんで産んだの」と従妹が言った話

「なんで産んだの」

 従妹が家でそう呟きながら泣いてしまったと、叔母が私の母に相談していたのをこの前見かけた。正確には、仕事から帰ってきたときにリビングで電話しているのを盗み聞いてしまった。

 叔母とうちの母はとても仲が良くて、家も近いほうだった。そういうこともあって、従妹が幼い頃からよく遊んでいた。従妹とは結構年齢が離れていて、私は就職してそれなり、従妹のほうは高校一年生。どちらかといえば昔から大人しい子で、でもはにかんだときや立っているときの空気感には愛嬌があると感じていた。昔はよく、シャツの裾や袖口なんかをひょいひょいと引っ張られた。「うん?」と首をかしげてみたら、「えへへ」と笑っている、そんな子だった。会えば必ず私のそばにいたけれど、言葉数自体は少なかった子でもあった。今でも向こうからは連絡してこない。でも私は従妹が好きだった。会ったときに手を繋ぐのが好きだった。従妹が横にいるのが好きだった。

 そんな従妹の言葉に叔母はやっぱり衝撃を受けたらしい。母も困っていたようだった。私が帰ってきたことに最初はなかなか気付かなくて、気付いたときには声を小さくされたこともあり、大きな動揺があったんだろうと思う。詳細を聞けたわけではなかったけれど、なんでそんなことを言い出すのか分からない、毎日自分で起きて遅刻することなく学校に行って、将来は大学に行ってという話もして、学校の先生との面談でも褒められて。要するに今までと変わったところがないし、周りから見るといい子だし、どうして突然そんなことを言い出したのかまるで分からないということのようだった。青天の霹靂という表現が、周りの大人たちを包んでいた。何をどう言えばいいのか分からなくなった叔母の代わりに叔父がいろいろと聞いたそうだけれど、ほとんど要領を得ないというか、言葉が返ってこなかったらしい。

 こちらを意識してか母の声はどんどん小さくなるし、ずっと盗み聞きをしているわけにもいかなくて自分の部屋に戻ったから、それ以上は知らない。従妹に連絡するべきかどうか悩んだ。そうして今日に至っている。連絡できないのは、従妹の言葉の意味が分からなかったからじゃない。どうしてそんなことを言って周囲を悲しませるのかという憤りからでもない。言われる側の気持ちを考えろとも思わない。「なんで産んだの」という切実な声、その真実性に対する言葉を、私は一つも持っていないという自覚があったから、だから連絡できなかった。

 私もまた子どもの頃に思ったことがあった。どうして私はつくられたんだろう、産み落とされたんだろうって。こういうことを人に言うとどうなるか、どう思われるかなんて言わなくても分かってしまうから、だから誰にも言ったことはないけれど、でも生まれてこないで済むならそのほうがいいと思ったことなら何度でもあった。あったというか、今でもそう思う。毎日楽しそう幸せそうと私はよく言われていた。今でも言われる。そんな私もまた、なんで産んだのつくったのという疑問から逃げられない人間だった。矛盾しているように見えるかもしれない。でも私は生誕に対して笑顔でハテナを差し出せる人間だった。生まれてくることは地獄だという考えを持てる人間だった。周りはそれを知らない。私は隠すことができる人間でもあった。

 従妹は私に見えた。どこか自分のように見えた。従妹の言葉は自分の声。そう思ってしまった。そして私は、自分に対して何も言えない。長い時間が過ぎてなお、言える言葉を持っていない。私は自らを慰める言葉を知らない。知らないから、今もこうしてへらへらしながら生きている。私は毎日笑っている。毎日同じくらいの時間眠っている。毎日もぐもぐ食べている。命とは苦痛のことだと思いながら、私は日々にこにこしている。そんな私が何を言えるだろう。地獄だねという私の共感は共感たりうるだろうか。

 でもこうやって書いてみて、自分が従妹の隣にいることが好きだったことを思い出した。さっきも書いたけれど、手を繋いでいるのが好きだったことを。連絡してもいいのかもしれない。確かに言葉は持っていない。言葉なんてかけようがない。でも、なんで産んだのという言葉を自分でも呟いているうちに、従妹に会って、そのあたたかい手を握ってみたいなと思った。私は間違っているかもしれない。私のしたいことは従妹を傷付けるかもしれない。苦しそうには見えずいつだって楽しそうな私は、生を肯定しているように見える私は拒絶されるかもしれない。何が分かるって泣かれてしまうかもしれない。私は自分勝手でわがままなんだろう。だから泣かずにいられるのかもしれない。へらへら生きていられるのかもしれない。それでも連絡したいって、今はそう思っている。

 今度会おうよって。

                               (了)

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