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同棲、父と大揉め

COCOです🎈


この記事では、母との死別以降、私が何を体験してきたのかを、連載形式でまとめています(前回の記事から、少し期間が空いてしまいました)。

▼前回の記事はこちら


今回は、家を出て彼と同棲する決断をしたものの、父と大揉めした話をお送りします。


「家を出るなら、扶養できない」


家を出て、彼としばらく暮らしたいと相談した時、父から真っ先に放たれたのが、この一言でした。


私は働いていないし、彼と籍を入れているわけでもない。

でも、どうしてもどうしても、父と同じ空間で息をする生活が苦しくて、ひとまず父から離れたかった。

だから、彼との同棲を持ちかけました。


ただ、父の扶養下での生活と、無職の私が扶養を抜け、彼に一切を任せる生活には、生活水準にかなりギャップが出てしまいます。

当時の私は本当に衰弱していたので、いきなり、そうした大きな変化には耐えられないと思いました。

また、治療に一定のお金が必要なこともあり、父の経済的サポートは必要な状態でした。

そんな理由もあって、父の扶養下での彼との同棲を提案したわけです。


入院も検討していたのですが、当時の主治医に反対されてしまい…

自分としても、できるなら入院せずに暮らしたいという思いがありました。

今振り返れば、わがまま娘なんですが…当時の私からすると、彼との同棲は、あらゆる道が閉ざされる中、ほぼ唯一の道でした。


ですが、それは父には理解してもらえなかった。

中途半端なことが大嫌いで、何でも白黒ハッキリしないと気が済まないタイプの父には、受け入れ難い提案だったようです。


親として、世間的に真っ当な判断をしなければいけないという思いがあったのでしょうか。

それとも、娘の将来を心配する気持ちがあったのでしょうか。


今でこそ、こうして父の考えに想いを馳せることができますが、当時は、自分が生きるための唯一の道に、ばっさり斧を振り下ろされたような感覚を味わいました。

本当に本当に苦しかった。もう私が生きられる場所は、世界のどこにも無いと思って、毎日が絶望でいっぱいでした。


主治医に説得を頼む


そんなこんなな経緯を、いつもお世話になっている大学の恩師に相談すると、恩師は、父の態度に大激怒。

頭の固い頑固親父だの、娘を支配しようとする精神的DVだのと、散々な言いようでした(笑)(私としては、自分の代わりに怒ってくれて有難かったです)。


そして、父を説得するにあたって「主治医を頼ってみてはどうか」という意見をいただきました。

要は、父と一緒に主治医を訪ねて、今の私の状態を、私の口からではなくて、主治医に説明してもらうということ。

医者という立場からの意見なら、父も耳を傾けるはずだという目論見です。


余談になりますが、精神疾患を抱えていて、周囲に病状を伝える必要がある場合は、上手く主治医を頼るといいです。

精神的に辛いときは、自分の状態を客観的に説明するのが難しかったり、激しく体力を消耗したりするからです。

また、当事者からの説明よりも、医師からの説明の方が、たとえ同じ内容の説明だったとしても、何倍も効果があるのも事実。


話を戻すと、主治医からの説明は、父にも効果的でした。

同棲に賛成とまではいかなかったものの…子供とは、白黒はっきり、ではなくて、徐々に段階を経て巣立つものだ、ということを、理解してくれたようです。何となくね。

診察後には「好きにしなさい」と、父の扶養下での同棲に協力してくれるようになりました。


何とか家を脱出


そうして私は、命からがら、家を出る権利を勝ち取ったのでした。


ここからは、怒涛の引越し劇(とは言っても、彼が元々住んでいた家に、私が転がり込んだ形ですが)。

本当はもっとゆっくりやりたかったけれど、父との衝突を経て「もう1秒たりとも父と一緒の空気を吸いたくない」と思っていたので、音速で荷物をまとめ、家を飛び出しました。

体力も相当消耗した中での作業だったので、かなりキツかったです。


引越しも無事にまとまり、さあ新しい生活のスタートだ!と、意気揚々としていた私たちですが…

これが実は、さらなる地獄の幕開けでした。


次回は、初めての二人暮らしで、プレッシャーに押しつぶされそうになった話です。
to be continued…



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