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絵本『ミッケ!』見ていたら、子供が頭をなでてくれた。

あれは10年以上前のお正月のことだった。

元日、晴れ。

2階から黄色い絵本を持ってわたしは

降りてくる。

この本を楽しむ術は彼らの方がぜったい

心得ていると思っていそいそと階段を降りる。

その絵本を胸に抱えているのを、

見つけただけで彼らはあ、オレのしらないやつ

何で持ってンの? と

どんどんどんどん目が澄んでくる。

2人の彼らは甥っ子たちだ。

弟とはコミュニケーションの取り方が

いまひとつわからないのに。

甥っ子たちとは、友達みたいに遊んでしまう。

その本はひたすら見つける絵本。

その名も、『ミッケ』。


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イニシャルやねずみやろばや松ぼっくりや

細長い糸や鳥の巣、鍵やバケツや

もうとにかくありとあらゆるものを

そのビジュアルの中からみつけだしてゆく

そんなゲームみたいな絵本。

彼らよりはずいぶん年上のわたしも

仲間に入れてもらって参加する。

あたまをみっつくっつけあって、

矢印を探す。

三角と矢印はちがうんだよこうなって

ああなってこういうやつが矢印だよって

わたしが説明しているうちに

4歳の甥は、灯台を探し当てていた。

ちっちゃな灯台。

灯台って、何で知ってンの? とわたしが

ことばをのんでいると、お兄ちゃんの8歳が

これまたちいさな青い矢印をみつけだす。

そうやってカーテンのそばの陽射しを

浴びながらかわいいふたりとエプロン姿の

わたしは探し物に夢中になっていた。

彼らは、ひとつひとつ丁寧に探す。

飽きることなく。

もう必死に遊んでいるのだ。

必死な人はそれがオトナであれ子供であれ

体温がどんどんと熱くなってくるものだ。

そんなことを想いながらちょいと油断して、

さがしものからよそ見をしていた時。

4歳の彼が、

「ねぇ、すいてきぜんぶみつかった?」

と、

わたしのあたまをちょっと撫でるように

さすりながら聞いてきた。

え?

今わたしの頭をきみはしごく自然に

撫でたよねって、どぎまぎしているのを

よそに

「10個ある水滴をぜんぶみつけなきゃ」、と

4歳はわたしに使命感を持って訊ねてきたのだ。

それよりもなによりも

わたしはふいをつかれていた。

ちっちゃな彼の手のひらの体温がわたしの頭を

くしゃくしゃにしながら伝わってくる何か。

じわじわとした熱のなかに

いますっぽりと包まれている。

ヒントを出したりしながらさいごまで

水滴10個を彼らと数え終えた時も

わたしのあたまにはなんかはじめての

しあわせな感覚の実体だけが残っていた。

探したいものがちゃんとどこかにあって

わたしに見つけさせてくれることの気持よさ。

探し物をみつけてミッケって言った時の爽快さ。

彼らはもうずいぶん大きくなって8歳だった

お兄ちゃんは就職しているし、その下の弟も

今年から社会人1年生だ。

あんなにあたまをくっつけあったあの頃が

いまはひたすら懐かしい。

そう、この本の原題は

I  SPY.

直訳すると「わたしはスパイする」になるけれど。

それを、おんなじ3文字に訳された邦題。

ミッケ!

これを訳されたのは、糸井重里さんだ。


もう、たまらん。

このなんていうか、この3文字に魅了される。

わたしは糸井さんに憧れてコピーライターに

なったのだ。

糸井さんの仕事のすべてをつぶさに追い切れて

いないけど。

この絵本はわたしにとって、なんの負荷も

かけることなくページをめくれることの

うれしさと。

あの日、甥っ子の彼らと真剣に遊んで、

頭を撫でてもらって、琴線がふるえるような

心にじかにふれてくるあの手のひらの

あたたかさまでをも思い出してしまう。

つらいことを経験した日はあの日のことを

想い出すことにした。

このほがらかな絵本はわたしにとって

ちょっと忘れられない1冊なのだ。

はなびらが そよいでばかり 真昼の道に
忘れずに 忘れていても なつかしい人



       

 

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