8月31日の夜、出会ったことのない誰かに。
8月31日の夜に。
そのことを3年前にもnoteに書きながら
少し偽善的かもしれないと思ったことが
ある。
もう学校が始まっている人たちもいるから
それは8月31日に限ったことではないけれど。
明日学校に行くのが嫌だと思っていない
切羽詰まっていないわたしが
書くことにどんな意味があるんだろうって思い
ながら。
それにちゃんと著名な方が書いた方が届くこと
も知っている。
わたしは子供もいないので、親の立場に
なったこともなくて。
そのせいか幾つになっても子供目線が
抜けない。
今、わたしが子供だったとしたら。
というよりあの頃の子供だったわたしは
という目線でしかものをみていないのかも
しれない。
生きるのが嫌だったのは中学の頃だった。
理由はちゃんちゃらおかしいけど。
勉強ができなかったからだ。
勉強ができないせいで、わたしは迷惑を
かけてるんじゃないかと思うようになって。
生きたくないと思った。
ただそれだけだった。
勉強ができないことはわたしのことなのに
教えてくれるみんなが怒り出すから
これはわたしは彼らに迷惑をかけている
とんでもない子供なのだと、ただそう思った。
あの頃から時間が経っているからなんとも
言えないけれど。
その頃、わたしは深夜ラジオに出会って、
「生きたくない」から逃れられた。
ラジオにメッセージを贈るとパーソナリティの
彼はわたしの言葉を面白がってくれる。
たったそれだけでそれは中学生のわたしにとって
「生きる理由」になった。
あの頃中学生だったらこういう言葉に出会いたい
だろうなって言う方がいる。
若い読者をたくさん得ているから今更だけど。
詩人の最果タヒさん。
名前をタヒにされているところが
すごいけれど。とてもいい名前だと
思った。
タヒにすればわたしもよかったとか
ふざけたことも思った。
わたしがはじめてちゃんと彼女の言葉に
向き合ったのは、雑誌の中のエッセイの
言葉だった。
そんな冒頭の言葉から始まっていた。
この言葉を読んだ時、わたしは離人症って
いうんだろうか。
自分が住んでいる世界が昨日までの世界と
違うところにいるように感じることがあった。
あと隣に人がいることがちょっとダメで、
ひとりであることが心地よくて。
SNSで誰かと親しくするとか社交するとか
考えられない時にこれを読んだ。
SNSってもはや、今を生きる人にとって
ライフラインだよっていうことも知って
いたけど。
自分のせいで色々な人間関係をつぶして
きたような過去から逃れられず。
誰ともつながらない日々を送っていた。
だからこの言葉に触れて、わたしはいま
いちばん欲してる言葉をかけてくれた人に
孤島で思いがけなく出会ったような気がした。
そして最果タヒさんは続ける。
今これを読んでいる10代の人がどう思うか
わからないけど、わたしはスカッとした。
そしてこういう言葉を自分が10代の時に
読んでいたらと夢想した。
彼女は詩人だから、言葉と生きているけど
詩人じゃなくて人が言葉と生きていると
いうことをよく知っている人だ。
よく知っているというと違うと言われそう
だけれど。
この言葉を不特定多数の読者にむけて
最果さんは送っているのにすごくわたしの
心へとある日突き抜けるように届いた。
拒まれていないんだって勝手に思った。
きみのことが知りたいんだって彼女は
このエッセイの中で語りかけている。
あなたが好きとか嫌いとかじゃなくて
わかるとかわからないとかでもなくて。
わからないこと含めてあなたを知りたい
そう言っているんだなって思ったら。
わたしは誰からも拒まれているとずっと
想いながら生きていたことに気づいて、
確かにそういう反面あったけど。
最果タヒさんの言葉なら信じられるって
想った。
中学生の時は大人は対岸の人だった。
時々先生もやさしくしてくれるけれど、
それは職業だからわたしにやさしくして
いるのだと思っていた。
今なら受け入れられると思ったあの頃を
思い出す。
あなたの心にも生の声じゃなくてもそういう
言葉を放ってくれる誰かがみつかると
いいなと思いながら。
いいなと思いながらなんて身勝手だと思いながら。
なんども8月31日の夜にを、ながながと
叫んでごめんなさい。
出会ったことのないあなたにむけて
書いてみました。
いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊