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誰かを信じられなかったのは、自分を信じられなかったから。

人生をなめているのかってたくさんの人に
叱られそうだけど。

大学をなんとか卒業したあと働く場所は
元カレがみつけてきてくれた。

その頃は元カレじゃなくて彼だった。

自分の就職だって危うかったのに彼は、
ここ受けてみーひんか!って、広告
プロダクションの面接日まで
セッティングしてくれていた。

叔父がちっちゃなデザイン会社を経営して
いたのでコピーライターという職業がある
ことをあの頃わたしは知った。

大阪にあるコピーライター養成講座の
宣伝会議に興味かあって。

大学に通いながら夜間そこにも
通っていた。

そこで出会った人たちはみんな社会人
だった。

みんな働くことを日常にこなしている
人たちばかり。

自分で働き自分で食べているひとが
眩しかった。

いわゆる日々困らずに喰っていけてる
人だ。

カッコいいと思っていた。

職業名にも飢えてるくせに。

学生だったからバイトはしていたけど
固定の場所で働くことがあまり想像
できなかったのだ。

で、就職どうでしょうと、己に
問いかけたけれど。

よくわからなかった。

競うことは嫌いだったけれど、その
専門学校で言葉を競うのは大喜利の
ように楽しかった。

ただ実務することが想像できなかった。

就職をぐずぐずしていた。

先にコピーライターになった人たちの、
現場の話がこわかった。

書いたコピーはそのままゴミ箱に
入っていたとか
ファッションセンスとコピーセンスは
イコールなので、かっこ悪い服を
着ていたらなめられるとか、

ヘタレなわたしにつとまると
思っていなかった。

迷っていた頃、カレが広告セミナーで
広告会社の
社長洋子さんと知り合った。

その方が広告事務所をもっているん
だけど、
新卒を欲しがってるから、
コピーライターに
なってみぃへん? 

その時、メンタルがぐにゃぐにゃ
だったわたしは
やっぱりいいわって、一度断った。

このままどうすんねんって彼に
お叱りを受けて。

なんのために専門学校に行ってたん?

コピーライターになりたいからやろ?

至極まっとうに問いかけられて。

オトンみたいに説教をくらった。

あんまりうるさいので、もう受けたら
ええんやろ!

受けたるわって逆切れしたまま試験を
受けることにした。

それはポジ系ではないわたしにとっては
清水の舞台から飛び降りるほどの
キヨブタな決心だった。

コピーライターの専門学校を出た
ひとたちはみんな大手の広告会社を
目指していた。

わたしはそんな野心がもてなかった。

ほんとうにコピーを書いたりすることが、
すきなのかもわからなかった。

そして、受けてみたら即決みたいに
その広告会社に受かった。

つまり猫の手もほしいほどのちいさな
会社だったからゆえだけど。

そこからかなり厳しい日々を送ることに
なった。

一行も書けなくて、書けばバリエーションが
ないと飽きると言われ、誰に向かって書いているのか見極めろと叱られた。

徹夜が当たり前の頃だったので夜中まで、
書き続け取材のアポをとりつづけ
くたくただった。

そして、結婚をふたりだけで約束して
いた彼とは
のっぴきならない事情があって別れを
決心した。

そして彼は元カレになった。

想えばわたしのやりたいことをナビゲート
しながら、その選択肢をいつも差し
出していたのは彼だった。

今思えばあの決別は就職先を決めることの
次にみずから選択したことなのかもしれない。

しばらく働いていた。

しかし、わたしのふにゃふにゃのメンタルは
すぐに高いところから落としたお豆腐のようになっていった。

まず、会社にかかってくる電話をとるのが
こわくて仕方ない。
コピーはとっかかりがみつからないから
もちろん書けない。

取材原稿の時も現場でちゃんと取材して
帰ってこれない。

取材のあとの原稿をどこから書き始めたら
いいのかわからない。

先輩のスーちゃんはさくさくとこなしていた。
それでも、スーちゃんはわたしに
マウントとることもなく、こちらのペースを
乱さないように接してくれた。

わたしは、わからないことがあると
わからないくせに、自分で解決しようと
するところがあった。

がんじがらめになって最終的に自滅して
しまうタイプだった。

困った時は、まわりの人に頼れ。
周りの人間をいい加減信じろ。

洋子さんにガツンと言われて目が覚めた

わたしが出来なくても、じぶんのなかだけで
解決しようとしていたのは、他者を信じる
ことがこわかったせいかもしれない。

否定されることがなによりこわかった。

思えば、同僚のスーちゃんはチーフのみゆきさん
にも怖がらずに、わからないことはわからない、
できないことはできないと言えた。

そして、おまけにしたくないことはしたくないと
断言できる人だった。

わたしには十万年先でも無理だと思いながらも
スーちゃんのその仕事のスタイルが好きだった。
憧れだった。

だから取材もうまかったのだなって。

そしてわたしは中途半端なままその会社を
辞める。

ある日気づいたのだ。

まわりをずっと信じられなかったのは、
わたしじしんを信じていなかったからだった。

わたしを信じてあげられる最初の扉を開くのは
ほかでもないわたししかいないのだ。

そんなあたりまえのことが実感できるまでに
嘘みたいに時間がかかった。

辞めてしばらく経ってから、再び声をかけて
くれてのは、元カレがみつけてきてくれたその
広告会社の社長洋子さんだった。

フリーとして仕事を受けた。

お酒の専門雑誌『バッカス』に掲載される
お店取材。

テーマは「接待」できるお店紹介だった。

まだまだ駆け出しだったけれど。

新人の甘さは許されないのだなという思いで
取材をさせていただいた。

一度失敗しているので、わからないことは聞く。

一度聞いておけば大きなミスにつながらないと

聞いてなんぼなんだ。
聞くことを恥ずかしがらないと言い聞かせた。

それはスキルとかじゃなくて。
まずじぶんを信じている人間にしかできない
誰かを信じられるかどうかにかかっていた。

会社を辞めた後。

たったひとりきりの仕事をしていても
ひとりっきりではなにもできないことを知った。

人との付き合いかたを見直した。

自分を守るために自分をトゲだらけにして
相手を寄せ付けない身の守り方は辞めようと。

今想うと、周りを信じられなかったまま
辞めてしまったわたしのことを社長の洋子さんは
信じてくれていたことを知ってありがたかった。

そんなわたしを見捨てずにチャンスをくれたの
だと。

誰かに信じられてると感じると、その思いに
応えようと思うものだ。

社長の洋子さんに信じてもらえたことでわたしは
仕事相手を信じることができた。

信じたり、信じられたりすることの積み重ねが
「働く」ということなのかもしれない。

元カレがみつけてきてくれた会社の面接試験からはじまっていた「他人を信じてみる」は、「自分をしんじてあげる」ことと背中
合わせだった。

それは半ばなげやりになり、逆ギレしながらその面接試験を受けようと選択したあの日から始まっていた気がしてならない。

🖊      🖊      🖊       🖊


⇩洋子さんが声をかけてきてくれた時の仕事で出会った
お店たち。


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