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雨の日の図書館とことばたち。

若い頃は本が嫌いだった。

唯一読めるのは谷崎潤一郎の『痴人の愛』
だけだった。

それが中学生のはじめの頃。

きっかけは、この原作をわたしが通っていた
卒業生の方が女優になられて演じたことが
きっかけだった。

本を後に回して、キネマ旬報のシナリオから
読んだら、はまった。

字だけなのに映像がもう動いている世界って
おもろいなって思って、夢中になって
学校から帰ると部屋にこもって読んでいた。

それから原作の『痴人の愛』をこっそり買った。

わたしは家族の中で誰よりも本を読まない人
であったので、そのキャラは貫きたくて
その姿を彼らに見せることなくこっそり
読んだ。

はまった。

谷崎潤一郎という作家のものなら読めるん
じゃないかという予感がした。

そして、何をもって読めるというのかは
本をろくに読んでこなかったわたしと
してはその線引きは怪しいけれど。

ページを読み進められるかどうかだけが
その基準だった。

その頃はこの言葉を知らなかったけれど。
ページをめくらせてくれるという意味の
いわゆる「ページターナー」な書き手のことを
指していた。

去年もこんなツイートをしていた。

その頃本に求めていたのはここのツイートに
あるように「避難場所」であった。

同時にラジオにはがきを書くことも同じように
わたしにとっての「避難場所」だった。

生きていくうえで人が「避難場所」だったことも
あったけど。今はもしかしたら「本」もそのひとつ
なのかもしれない。

この間、雨の降る日に「お散歩仲間」の友人
Hさんと神奈川の大きな図書館に訪れた。

雨の降る日には、本を読みたくなるから。
とてもふさわしい図書館日和だったのかも
しれない。

エスカレーターを何度か上ってゆくと
文学のコーナーがあった。

最初にHさんと、歩みを止めたのは全集シリーズの
本棚。

最初はア行から見て背文字をながめながらここに
こんなのあるよって、ふたりでいいながら
Hさんが色々な作品について感じることを言葉に
してゆく。

相方のHさんはわたしより情報量は膨大なので、
耳を傾けているだけで楽しい。

芥川龍之介や泉鏡花、安部公房、江戸川乱歩
織田作之助、小林秀雄などにまじって。

本棚の片隅に一冊だけ茨木のりこをみつけて、
ああこんなところに彼女の詩がぽつんと並んで
いるよって感激して、ほらほらみてみてって
いいねって言い合っていた。

「自分の感性ぐらい自分で守れよばかものよ」
をページの中に探していた。

記憶が時々にじんでゆく。

古典も現代の作家もまじりあいながら本棚を
眺めている。

村上春樹を今まさに読んでいる相方さんは
彼の作品や対談の言葉についての想いを
話してくれる。

インタビューがとても面白かったという彼の
言葉を心地よく聞いている。

村上春樹が同じ答えを繰り返したり、また問いかけは
似通っていても、その答えは少しずつアングルを
変えて答えてるところが興味深くてと。

作家の持つ奥深さについて聞いていると、ふたりの間に
村上春樹が至近距離でいるようなふしぎな気持ちに
なる。

これは、そこが図書館のせいだと思う。

図書館にいながらその作家の話をするって
面白いことを発見した。

SNSにいると、言葉の海に溺れそうになるのに
図書館も膨大過ぎるほどの言葉に囲まれている
はずなのに、背文字がそこにあるだけで
おちつく。

言葉がどこからもはみだしていないせいだ。

図書館から階段を見下ろせる本棚を背にしながら
確固たるじぶんだと思うものだって。
じぶんひとりで出来上がっていないし誰かに影響を
受けながら、まったく個人のオリジナリティーって
難しいよねっていう話もしていた。

相方さんの考えている世界はいつも清々しく膨大だ。
だからその膨大な言葉の海に耳を傾けられる
わたしはとても幸せ者だ。

なかなかこんなふうに本を読んできたんだよねって
話は聞けるものじゃない。

わたしは彼の横で、祖父がよく聞いていた漫才師の
いとしこいしさんのいとしさんのように
そうなんかいなって相槌を打って
ゆっくりとしか返事ができへんのだけど。

それがいつもちょっといとしさんでごめんね
なのだけど。

相方さんのこいしさんは、そんなわたしを大きく
受け止めてくれて、わたしに言葉を必要以上に
求めてこない。

黙っているわたしも受け入れてくれるところ
ほんとうにありがたい。

心の中はほんとうにあれも言いたいこれも
言いたいってなっているけど。

町田康の本を開きながら、たとえばここね。
彼の河内弁のような大阪のイントネーション
たっぷりの言葉を指さしながら、

たとえば町田康を読む人はここをどんなふうに
感じて読んでいるんやろう?って問いかけて
くれる。

そうなんだよな、本って。

人はどう読んだんだろうってこと、読書会でも
しない限り肉声でそれを知ることはない。

相方さんが本を読書を友達のように身近に置き
ながら、同時進行ですこしずつ彼らのことを
楽しみたい知りたいと対峙していることは
わたしにとってはとても刺激的なのだ。

図書館散歩はわたしにとっての、心の
リセットできるたいせつな時間になった。


奇しくも図書館に訪れる間に行ったカフェの
ポストカードの言葉が。
まるで図書館に捧げる詩のようでそんな偶然に
わあ!ってなっていた。





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