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友達、100人なんていらないけれど。心の中で友達と呼びたい人がいる。

小さい頃から誰が友達なのかわからない。

友達って、誰のことなのか。

幼稚園で○○子ちゃんもうお友達は

できましたか?

と、園長先生がたずねたけれど。

制服の帽子のゴムをかみながら

もじもじしていたに違いない。

ともだち。

まして100人できるかな? みたいな

歌は嫌いだった。

ぷれっしゃーだななんて言葉は

知らなかっただろうけど、気が遠く

なってあの歌を歌うのは好きじゃ

なかった。

数かよ、ともだちって。

フォロワーが多ければいいみたいな

風潮も好きじゃない。

その後学校時代や仕事の職場で仲良く

なった人はたくさんいるけれど。

今はどうしているか知らない。

途切れてしまった。

父が、ともだちを作れとうるさかった。

友達に関しては自信があるみたいだった。

父の自慢はたぶん友達が多いだろう。

自分から会いに行け。

相談に乗ってあげなさい。

こまめに連絡しなさい。

そのほとんどをわたしはしてこなかった。

一度だけ、書く現場で出会った人がいて。

なんとなく友達なのかなって思っていた

けれど。

友達だと思っていたら、マウントとられた。

マウントとる人に取り返すみたいいなことは

ほとんど興味がなくて。

そういう人はマウントとりたいタイプなんだ

と思うことにしている。

女子校に通っていた時。

女子校という場所は、グルーピングしたり

されたりする場所だから。

みんな何処かしらに所属していた。

わたしはそのグループを渡り歩いて

固定されたグループを持たなかった。

いつもそうだ。

お稽古場でも、どこにも属さない

そんなスタンスを取っていた。

グループで何かすることにさして

興味は無い。

ともだち。

あの子はともだちだなって思う子が

ひとりだけいた。

今はドイツ人の宣教師の奥さんになって

いる。

珠穂ちゃん。

珠穂ちゃんはわたしが父のことでしんどい

時にも笑わせてくれた子だった。

道を外れそうなときにも叱ってもくれた。

時折彼女には会いたくなる。

大人になってからとくに仕事するように

なってからの友達はなかなかできにくい。

恋人はできたけど、ともだちはそれほど

できなかった。

みんな知人になってゆく。

あとは、関係。

仕事関係という一言でひとくくりされる

ようになる。

でも、noteに来てからは、友達になれそうと

心ひそかに想っている人達がいる。

友達って思いたいなって人たち。

毎日その人の文章を、言葉を読んでいる。

noteは、文章や言葉を読むというより

その人の声を聞いているように思える。

肉声に飾りのないひとに惹かれる。

そしてときどき、わたしは彼女たちに

弱音を吐く。

監督になった新庄剛志さんは、相談?

じぶんの相談相手は自分だって名言を

はいていたけれど。

悩んだ時に、一人悩んでしまいそうな時

noteでの彼女たちは、階段の何段目かに

腰掛けて話をきいてくれるみたいに

話を聞いてくれる。

目の前は夕暮で。

鳥たちが群れをなして帰る頃。

彼女たちは、時折、それはさぁやるせないね

って言葉を放ってくれる。

やるせなかったり、悔しかったり。

いろいろだけど。

昔のわたしなら信じないだろう。

自分の心の欠片みたいなものを誰かに

放つなんて。

そんな心の置き所がわからなくて

心の扱い方が孤独だったわたしなら

信じないだろう。

だからとても彼女たちに感謝している。

ともだちが出てくる文章で好きなものがある。

いまなぜかとても心に沁みた。

作家の林伸次さんと西崎憲さんの対談で西崎憲さんの言葉で知った。

ベンヤミンの文章で、「ベルリンの街で迷路みたいな区画があって自分が毎回迷ってしまう。でもその近くに友達が住んだ。そしたらその友達の家が灯台のようになっていつも僕を導いてくれた」こういうのに自分は痺れちゃう。

友達ってこういう時に感じるものなんだって

すこし涙がでそうになっていた。

友達という名詞のただしい使い方に今

ひとりしみじみと、わたしも痺れてる。



よるがともだち 雨がともだち 凪がともだち
よるがひとり あめがひとり 凪は止んだね

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