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『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のやさしいについて。

一度目のステイホームの時に、

なんかがリセットされるんだと思っていた。

それはわたしの気持ちであり生活であり。

でもそれはちゃんちゃらおかしいわけで。

これで、これ以前のあのことはちゃらか? って

いうぐらいゆるく遠くの水平線へと消えて

いこうとしていた。

多少の優先順位は変わることは致し方ないけれど。

きらいなもの、きらいになったものはやっぱり、

きらいなわけで。

許せないことはやっぱり、許せないわけで。

そんな去年、ずっと前から気になっていた小説を

読んだ。

およそふだんなら読まないような作品だった。

でも彼の作品ははじめショートショートに触れてから

すげえ、なんだこのぶっ飛び感はってたとえて

いうならわたしにとっての森山未來みたいだった。

言葉が絶えず動き回っていて、一行読み終えるごとに

みたことのない映像が浮かんできて、ある意味頭が

疲れるのだ。ほんとうに頭の中が痺れたりしていた。

そしてその彼が長編を書かれたと聞いて去年の5月ぐらい、

『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読み終えた。


予感はしていた。

揺さぶられることの予感だけはしていた。

主人公の七森は、「男の子」であることに身体ごと心ごとで

傷ついていく。

女の子に告白することでさえ、相手を傷つけるんじゃないかと

躊躇ってしまうほど七森は、常に「男の子」であることに

どこかで罪悪感に苛まれる。



小説だけれど、決して物語ではなくて。

登場人物の誰かのままじぶんが、とどまっていられない。

いられないと同時に、わたしが置き去りにしてきた封印

していた気持ちが、ほんとうに掌でその輪郭を撫でられる

ぐらいに、あらわになって。

あわらになったまま、その登場人物の誰かの姿を借りて

読んでいる間、また絶えず誰かになってそこにいる

ような感じ。

昔、痴漢にあって電車に乗れなくなった時の話を

年上の女の人にしたら、年とったら痴漢もされなくなるのよ

って言われた時のあの嫌な感じとか。

それは被害者としての感情だけど。

仕事場の打ち合わせに行く時に、わたし以外は全員

男性だった。そして色を添えてくれて的なことを言わ

れた。わたしは仕事しに来ているんで、色を添える為に

仕事しているわけじゃないと心の中で憤っていた。

でも憤っていることをその仕事仲間には言えなかった。

あの頃、封印したことはそれなりに過去の出来事だった

と思っていたけれど。

封印しては、いけなかったことだとこの小説を読んで

気づかされる。

それって大前さんの言葉を借りると、

<ある種の社会との共犯関係>に自分も加担していたことに

気づかされたのだ。

ジェンダーっていう括りはあまり好まないけれど。

でも、そうじゃなくて、いつか知らないうちに加害者になって

いるかもしれないことが、如実に小説の中で展開されていて。

被害者もいやだけれど、加害者にもなりたくないって。

すべての根源的なこと。

男とか女とかで生まれたことよりも、人として生まれたんだ

よねって問いただしたくなるような。

この小説の中の設定で言えば、七森が女の子に好きと

告白することさえ躊躇うところなんて。

ちょっと痛いぐらいにわかる気がする。

今だってそういうひとはたくさんいるような気がする。

仕事場でも独身の男性がいた時に、お前は結婚しないん

じゃなくて結婚できないんだろうって言われている

人がいた。

彼はほんまにそうなんですわって笑ってコミュニケーション

能力を発揮していたけど。

彼はいわゆる七森のような少年だったことを彼から聞いて

いたので。

わたしは彼をその話の場から救い出したかったけど、

空回りして失敗した。

わたし自身も結婚はしなかったけれど。

人のことを好きになると男の人として好きとかは

よくわからなくて。

こういうこと言うと、いい人ぶって何言ってんのって

言われそうで嫌だけど。実際、言われたけれど。

男とか女とかどうでもよくて、人として好きかどうかで

いいだろうって気持ちが今もある。

わたしが好きになった人のどこか好きでしたか?

って聞かれたら男として好きでしたって言える人は

ひとりもいない。

ただ、人として好きだったとしか言えないのだ。

そういう意味ではわたしnoteに来てよかったって

思うことのひとつに、なにがいいって。

noteで出会った人の誰かのことをあの人は男だから

とか女だからとか。

子供だからとか父親だから母親だからとかじゃなくて、

その人が好きなのだ。

そういうカギカッコの中の役割とかは、もういいよって

いう気分だから、どこの誰でもないひととしてここにいる

ことがわたしはやめられないのだと思う。

そう小説の中で生きづらい彼らは言えないことを

「ぬいぐるみ」に話す。

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人を傷つけたくないと思う彼らは誰かに相談する

ことも誰かに負担を与えてしまうと感じているのだ。

やさしいってなんだろうってまた考えている。

この小説はたぶん折に触れてまた読むのだろう。

心の死角においやっていたことを気づかせてくれて

ありがとう、大前粟生さん。

そんな気持ちのこの頃です。

ノックする ノックされてる ノックバックして
ゆがんでる ゆがんだままで だきしめられて


いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊