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【小説】月の耳で、生きてゆく。

月の耳と名づけられた栞の耳は
ひとよりもちいさい。

その名づけ親は、とても遅くやってきた
初恋の人、島尾だった。

栞はよわいくせに、ひかれるものがある。

少し、めまいがする。

からだに変調をきたすというのに
そこに近づきたくなる。

だめだよっていってるじゃないって
いわれても、その声は耳のどこかに
しまいながら、それを目で追う。

らせん階段。

ふたりで映画を見ていたら、犯人らしき人が
アールヌーボー調のらせん階段をずっと
うずまきのかたちに猛スピードで降りてゆく
シーンだった。

追っ手につかまらないようにと願いながら
みていたら、ふいに酔ったようなめまいがした。

いっしょにらせん階段を降りていたような
感覚におそわれた。

栞はこんな時に、島尾と逃げてきたあの日の
ことも一緒に思い出す。

隣にいる島尾を見る。

遠くをみているときの視線でどこかを見てる。

もうすぐにいなくなるみたいな風情で嫌に
なる。

嫌だけど好きなのだ。 

らせん階段をみているだけなのに、目で辿っている
だけなのに必ずめまいがする。

これは栞の「月の耳」のせいらしい。

よっぽどじぶんのもっている
三半規管は、あやしいらしい。

と栞は思う。

島尾と手をつないで歩いたこともないのに
あのとき、彼を追ってくるものから逃げる
ために彼の手にすがった。

すがるという動詞を栞はこの時はじめて
知った。

栞はじぶんのいうことをきかない身体が
どこかにせものなんじゃないかって
思う事がたびたびある。

でもこの不都合が、嫌いじゃないので
それを正しい位置にもどそうとは思えない。

正しい位置。

これは栞にとっての月の耳のことでもあるし、
ふたりのことでもあるのかもしれない。

そういう人たちのことを「月の耳」っていうん
だよって島尾が言った。

そういう人たち?

じぶんたち?
わたしみたいな耳のひとたち?

生き物たちにすこし詳しい島尾は
教えてくれた。

とある種のうなぎでは、この三半規管が
1個しかなくて。

やつめうなぎの類では2個しかないらしい。

彼らの仲間入りをしたねって島尾が笑う。

快活じゃなくて喉の奥でなにか小動物が震える
ように笑う。

その街の名前はヨーロッパのどこからしいの
だけれど。

誰もたどり着いたことのない街。

地図にもグーグルマップにも存在しない場所。

うずまきのかたちに包まれているから海の底に
いだかれているような安心感がある。
それは俯瞰すると三日月の形に見えるんだよ。

島尾の声が夜の底につつまれてゆく。

そこはクレセントエリアっていうらしい。

街じゃなくてエリアなのだ。

栞は地図にもない場所にこの名前のつかない思いを
掬いとってほしいと思った。

もうそこにしかふたりを掬えるものがないのかも
しれない。

クレセントエリアに月の耳をもつ栞がいる。

それはちょっとしたフラクタルな感じで
面白いよねって島尾は言う。

島尾の指が栞のみみたぶをなぞる。

どこかにたどりつくまでに、誰かとすれちがって
いるはずなのに、すれちがえないようなそんな
錯覚にとらわれてみたいと、栞は思っていた。

月の耳は栞のもうひとつのなまえだ。


三日月と工場(夜間)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20110401110post-15.html




今夜も小牧幸助さんのこちらの企画に参加させて
いただきました🌙
いつも楽しく書くことができてうれしいです。
お読みいただきありがとうございます。


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