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どんな速度もじぶんの中にはなくて、すべて駆け抜けてゆく。

今年のお正月遊びでひきぬいた<星座おみくじ>のことをちょっとだけ思い出す。それは、<矢座>というもので、そこに書かれた文面をいますこし写してみる。

<1年間、あらゆる物事が、射られた矢のようにハイスピードで進んでいくので、いつも以上に素早い行動、決断をこころがけて・・・(以下省略)>
とあって。

この文章を読んでいて、なんとなく既視感があったので記憶を手繰ってみた。
これはまるでわたしが、幼い頃学校の先生や両親にいやというほど言われて来たことばだったことに、気づいた。

矢というよりブーメランになって戻ってきているよ、と。

noteはじめた頃、幼稚園の椅子取りゲームについて書いたことがあった。



ま、こんなふうな子供でありました。乗れればいいのにねぇって、思わないでもないけれど、みんなと同じように乗れない。いっしょに競えない。

早く決めなさい。早く食べなさい。早く解きなさい。

スピードと無縁できたようなところがあるせいか眼の端を通り過ぎてゆくほどの速度を感じるものには、ただただ憧れるけれど。

なにか実体はわからないけれど、とても濃く心のどこかが淀んでいたのかもしれないと。10代の頃を思い返すと、そんなことを思ってしまう。

淀む前はとにかく、心がいろいろなものに触れてしまって、何かを感じたりするその振幅することじたいが、けっこう煩わしくて多分、きもちゆらされない方向へと、歩をすすめたくなっていたのかもしれない。

千鳥格子のジャンスカを着て学校に通っていた頃を、ほんのりと最近思い出すことがある。
その頃のじぶんというよりは、こんなじぶんに関わってくださった先生たちや、おとなたちのことだったりする。
きっとそういうこと感じるのも遅すぎるんだろうけど。

昔、わたしと関わってくれた担任の先生を含めいろいろな教科の先生方は、いつもどこかでわたしを信じていてくれていたことに気づいた

本人が、もうだめかもしれない、じぶんが信じていない信じられない勉強のことや体育やクラブ活動のあれこれも、先生方があきらめることなく、接してくださったことはほんとうに、ありがたかったなと。

子供にとって親でもないだれかが、じぶんのことをひたすら信じてくれているって、けっこう強みだと思う。

ここは☝はぜったい太字だ。

年齢を重ねる度に、その思いは増してくる。

なんでこんなことを書いているのかというと。

昔体育の先生をしていらっしゃった前田先生(仮名)の夢を見て、前田先生と高校を卒業してかなり経った頃に、スクランブル交差点でバッタリ会ったことがあったことを想い出したからだった。

その時の前田先生は、学校にいた時みたいにホワイトラインの入ったてれてれのトレパン姿じゃなかったから、それが前田先生だと気づくまでに時間がかかったけど。

前田先生だってわかった。

たぶんスクランブル交差点を、わたしからみて七分ほど渡ろうとしていたところぐらいだった。

ちょっとアーケードの邪魔にならない場所で立ち話した。

歩き方ですぐわたしだと思ったって言われて、こわっ! って口走りそうになってそんなの憶えてるんですか? って言ったら。

だって新米教師だったから。なんでも、生徒の癖は頭の中に叩き込んでやろうって思ってたんだよって答えてくれた。

それもあるかもしれないけれど。鉄棒とかでもいつまでも出来ないで居残り組だったからだろう。心の中ではそう思っていた。

その頃わたしは仕事のことで悩んでいたので去り際に聞いた。
わたし、その頃ほんとうに会う人会う人にウザがれるだろなっていうぐらい今の仕事続けてよかったですか?

って図々しくずかずかと、聞いて回っていたところがあった。

気になって仕方なかったのだ。ある程度キャリアを重ねている人とかが今どんな感じで仕事に勤しんでいるのかってことが。

世間話で終わったら、後悔する!

何故かそう思って、気が付くと唐突に

「教師っていう仕事していてよかったですか?」

って聞いていた。

前田先生は、躊躇なくうんって答えた。

街頭インタビューか!

「だって、子供が少しずつ成長したり努力したり怠けたりずるしたり、嘘ついたりするのみてるの。楽しかったよ。それぜんぶ含めて成長なんだなって気が付いたのはずっと後だったけど。よかったと思ってるよ。どして?」

前田先生の屈託の無さと出身だった福井のイントネーションが耳に触れて、思いっきり今の悩みを打ち明けそうになったけど、堪えた。

そういう記憶を今、書きながらあれは、前田先生とリアルな会話だったよねって確かめたくなっている。

ってちょっと不安になってる。夢だったのかどうなのか。

でもどっちにしろ前田先生の言葉は、ちょっとじぶんの心の中の扉付きの箱にでもいれておきたい。

うそみたいな書き出しでうそみたいに終わろうとしているこの文章。

あんなにひどい心模様だったはずなのに、小さい頃、みんなで撮った写真を見ると、信じられないぐらい、ただただお気楽そうに笑っていたりする。

じんせいたのしそうなのだ。

そんなにハッピーじゃなかったじゃない? とか思いつつ。

でも、考えてみれば10代って長いわけだし、傷もあるしほんとうもあるしうそもあるし、誰かのぬくもりだってなんだってある。そんな時間なんだと思う。
そういうこと思うようになるなんて、あの頃は思ってもいなかったよねって自分に問いかけてみたり。

窓に雨粒がたたきつけるように速度をもってあたってる。

夜が明けてゆく。
どんな速度もじぶんのてのひらのなかにはなくて、すべて駆け抜けてゆく。

夜明け前、どこかの道でケンカするひとの声が聞こえる。ことばとことばは風にかき消されるけれど、その想いの速度だけがこっちに伝わってくる。

どっちでもいいけれど、口喧嘩、頑張れって思う。

星も帰ってしまっている名づけられないような時間帯に、なにかを主張しているひとたちのその口調はとても速くて、もしかすると風が木々をざわざわ
させている音だったのかもしれないと思いながら。

ひとりかってきままに企画

#聞きながら書いてみた

今日の一曲はこちらです♬


矢のような 星の流れが 視線をよぎる
情熱が  さまよっていた 満月の下



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