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咳をしてもひとりを想う夜。

少し前、ひとりで風邪をひいていた。
咳をしてもひとりっていう句を若い頃
聞いた時は、だから?

って思っていたけれど。

ひとりで暮らす時はSpotifyとか
テレビとかスマホからでる音以外は
わたし発の物音だったりする。

廊下を歩く音、掃除機のトリガーを
つい触れてしまってびゅーんみたいな
音を夜中にだしてしまったり。

お茶碗を洗う音、キーボードをカチカチ
やってる音。

スイッチをぱっちんって消す音。

咳をしてもそうだし。
歩いてもそうだし、鼻歌だって
それ歌?とかはだれも聞いて来ない。

それで、風邪を引いていると。

心細いということもあるけれど、
ぜったい治すぞみたいな気持ちにも
なって、ちょっと強気になる。

風邪を引くと、負けん気が強くなる。

昔、風邪を引いた時はぜったいそばに
誰かがいた。

元カレのこともあった。

元カレは身体が弱かったから人が
弱っている時にすこぶる優しかった。

そして料理もわたしなんかよりは
数倍上手だったから、おかゆとかおじやとか
なんでも作ってくれた。

卵焼きにちゃんと大根おろしつけてくれて。
お豆腐もさいの目に切って、キノコがすこし
入っていて。

あなたいい親になるよって思いながら
ふーふーしながらステンレスのスプーンが
唇にあたって熱いんですけどって
文句もいいながら、いましかない幸せを
感じていた。

もっと子供だった時は母がおうどんの
卵とじみたいなものを作ってくれた。

弟とおそろいのお皿にはパンダが笹で
あそんでるデザインが描かれていて。

そのパンダの絵柄がみえるころは悲しかった。

もうやさしい時間が終わってしまう気がして。

そして母は翌日あたりから、わたしの日頃の
生活態度がいけないから風邪をひくという
お説教の時間になるのだけど。

風邪を引くとやさしくされた日のことが蘇る。

そして同時に思い出すのが尾崎放哉のあれ

咳をしてもひとり

あれはほんとうに傑作だと個人的には思うけど。

若い時は思ってなかった。

まんまやんって思ってスルーしてた。

若い時は、派手じゃないものって面白くないって
却下していたから。

日常描いてるところが生活くさくて嫌だった。

気持の中でミュートしていたんだと思う。

この間、ド深夜にそんなことをつらつら
考えていて。

あの句が「ひとり」だからそれは「ひとり」感が
みなぎっていはいるけれど。

あれをちょっと味変のように、二次創作して
アレンジして、

咳をしてもふたり

にしてみたら。

わたしにとっては、この世の中でふたりぼっちで
あることを知らせる、いろいろな物事から
孤絶しているふたりみたいな絵が浮かんできて。

この切なさは嫌いじゃないなって思ったりしていた。

ふたりで咳をしてる音が部屋いっぱいにひろがって
いるなんて、心細い。
こころ細いけど、ふたりで生きてゆくのだ。

ふたりという世界でいちばんすきな単位。

そして悲しくて切なかったのだけど
切ないという感情の裏側には愛おしいも隠れて
いるから。

咳をしてもふたりだけど、咳のことよりも
わたしたちはふたりになれたんだよって
きっと思うような気がする。

だからたぶん夜のせいかわからないけれど

ふたりという感覚はやっぱり好きだなって
思った。

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