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<ひとりじゃないよ>って、自分以外のひとのことだとずっと思っていた。

音楽って、音楽の力って言葉は嫌いなんだって

著名な作曲家が言っていた。

あれは、基本的には個人個人の誤解にすぎないって。

そうなの?

そうだったの? って度肝を抜かれたけど。

なんたらの力っていうフレーズは確かにわたしも

あまり好きじゃないっていうか飽きたけど。

音楽って人を揺さぶらせるなにかが、

あるよねってあのステイホームあたりからすごく

実感してるので。

誤解と言われても誤解でかまわないからって

思っていた。

あのステイホームの日々。

わたしが欲しているのは音楽だった。

音楽は戦争とかでプロパガンダに使われて人を扇動

することへの空恐ろしい恐怖感には共鳴しつつ。

今は、ちょっと右から左にその言葉は流しつつ。

音楽に助けられることの方へかなり傾いている。

さかのぼれば、小6の時。

わたしは公立小学校からいきなり編入試験を

受けさせられてクリスチャン系の学校へと

転校させられた。

その時の音楽の授業を担当してくれた

沖村諭先生のことが忘れられない。

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転校生はその時5名ぐらいいたと思うんだけれど。

音楽の時間になると、先生は教科書どおりには

授業をしなかった。

音楽って、音が楽しいって書くでしょ、だから

みんなで楽しもう、笑おうっていう時間に

しようねって。

まだ学校にもなれていなかったから、所在なげな

雰囲気だったせいなのかわたしは先生に名前を

呼ばれた。

好きな曲を弾いてあげるから曲名を言ってごらんって

言われた。

モジモジ子って感じでグズグズしていると、ほら

こっちに来て座りなさいって、先生のピアノの前の

椅子に座らされて、ソングブックの中から好きな曲を

選んでっておっしゃった。

みんなの前にあるピアノの椅子の横に座らせられた

ことだけでも緊張していたけれど。

たぶん、童謡の「小さい秋見つけた」とか

「森のくまさん」とか「アヴェマリア」をリクエスト

したようなおぼろげな記憶がある。

その時、沖村先生は、たぶんわたしがどこか元気が

ない子に見えたのか音楽の楽しさを知ってもらって

励ましてくれようとしていたんだと思う。

転校生かつ、みんなの前のそれもグランドピアノの

前に座らせられるわで、恥ずかしいったらなかった

けど。

あの時の先生がこっちにおいでよって、音楽でわたしを

引っ張ってくれたあのやさしさは、今になるとほんとうに、

その節はありがとうございましたってお礼申し上げたい。

どうしてこんなことを言いたくなったのかと言うと。

いつも、情報を摂取することに疲れる時にみてしまう

録画ビデオの番組がある。

駅や空港に置かれた一台のピアノを旅の途中の人達が

ひとときそこに集まって、想いのまま奏でる『空港ピアノ』


これは、オスロ空港でコロナ前に撮影されたもの

だった。

自分を失っている生徒たちを、音楽で励ましている

先生の演奏。

その日は、パレスチナで授業を終えた帰りらしく。

彼はこの曲『デスペラード』を生徒たちのことを

想って歌うんだっておっしゃっていた。

生徒たちを想って歌うっていう、字幕を見かけた

途端にちょっと涙しそうになった。

この先生のやさしさと歌詞の言葉が直に胸の奥に

沁みてきて。

どうしてなのか、こういうときわたしはまだ

かつて学生だったときの思いで、言葉を聞いて

しまう。

先生が子供を見つめる眼差しではなくて、まだ

その温かな眼差しで見つめられたいと思っている

ことに愕然としてしまうのだが。

これは、救いがたいわたしのやまいだと思ってる。

テロップに流れた歌詞が、たまらなかった。

自由、自由と言ったって誰かのことさ
たったひとりで、世の中を渡るなんて
捕らわれの身と同じさ
冬には足が冷たくならないか
空からは雪も降らす
太陽も照らないんだから
昼と夜の区別もつかない
愛されるようになりなよ

誰かに愛されるよになりなよ
手遅れになる前に

この抜粋された歌詞を聞きながら、わたしにとって

痛いほど思い当たる節があった。

そして訳詞をすべて読んでみたら、気持ちに虹が

かかった気持ちになったのだ!

(訳詞付のМVを最後に貼ってあります)

あなたはひとりじゃないんだよ って言葉を聞く

たびに、かつてそれはわたし以外の人に贈られた

言葉であるといつも思っていた。

それを言っているのは、わたしと関係ない人たちが

手持ち無沙汰の時にでも言う常套句だとさえ思って

いた。

ほんとうにひねていたし拗ねていた。

でも、今はあの頃のどんよりとした気持ちにすぐさま

戻ることはない。

今、その言葉をかけられたとしたら、そうだねって

言える気がする。

そして、その言葉をかけられたとしても、まだそう

思えない人たちは、たくさんいることを知っている。

そう思えない人達には、いい子ちゃんでいうのでは

なくて。

一日もはやくそう思える日々が訪れるといいなと、

思っている。

ネガティブの塊だったわたしが、いまそうだねって

思えるようになったのだから。

そうだねって、言えるようになれるよって言いたい。

音楽なんてもう聴かないだろう、そう思っていた。

でもコロナ以降、濃すぎるほどの濃さでわたしのそばで

日々を彩ってくれたのが、音楽だった。

もしかしたら人生ではじめて、焦がれるように

欲していたのが、音楽だったのかもしれない。



トリプルの 雨粒の色 街路樹染めて
胸の奥 いつかはがれる 付箋をそっと



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