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あなたの耳が聴いていた。#2000字のホラー

唯一の肉親だった可乃子さんが煙になってゆくのを斎場で見上げる。
悲しみが追い付いていないぼくは、そこでひとりのおじさんと出会った。

煙突からまっすぐに昇っていた煙が横にたなびいて、いびつな雲に吸い付く
ように流れてゆくと、雲なのか煙なのか輪郭があやふやになったままひとつになった。

いつかそれは勝手に消えてゆくはずだ。

骨は遺るけれどそれは生きている人達のためみたいなものなのよね、って可
乃子さんの声がしたような気がした。

雲の中に紛れてゆく可乃子さんを見上げていたら、やるせなくて空から視線を外すと、花壇をぐるりと縁取る石垣にひとりのおじさんが座っていた。

眼があった。

その人の髪形が、ちょっと不思議だった。左側だけ髪が銀色で長くて右側だけが黒かった。

ぼくは密かに左銀髪と名付けてみた。

早速、彼がぼくに声をかけてきた。

「大切なお別れのお邪魔をして申し訳ない」

彼が頭をゆっくりと深く下げた。

「あの、祖母のお知り合いの方ですか?」

左銀髪は困ったような顔をして、ちいさな声で答えた。

「ご愁傷様です。おじさんは他人なんだけどね誘われてしまって辿り着いたのがここだったんだ」

通夜からろくに眠っていないせいなのか、その言葉の意味するところが探れなかった。

「え? もういちど仰ってください」
「混乱させてしまってすまない。こんな大切な時に。つまり音に誘われたんだ」

喋る度に左銀髪の髪がそよっと揺れる。

可乃子さん助けてってもう一度空を仰いだ。

「ぜんぶおじさんの耳のせいなんだ」

耳?

「この耳が音を拾ってしまうんだ。君のお祖母様が最後に聞いていた音楽に誘われてここに来てしまったんだ」

左銀髪がいうその耳の形を確認しようと思うけど。でも肝心の左の耳は、よく見えなかった。

深呼吸をひとつすると、おじさんはぽつりと喋りだした。

「亡くなる人は、最後まで耳をすませてるものらしいね。おじさんは、あの日を境に聞こえるようになったんだ」

「なにが、聞こえるんですか?」

「5年ぐらい前のことなんだ。海の匂いのする町に住んでいた頃ふいにムーンライトセレナーデが聞こえてきたんだよ。お店からだろうって思ったけれど、その音がどんどん近くで聞こえてきてね。辺りを見回したけど、どこにもお店なんかなくってね。音を辿るように歩いていたら」

また左銀髪はかるく、呼吸を整える。

「斎場の高い煙突から煙がたなびいていてなんとなく煙突を見上げたら、煙がこころなしか薄くなっていてね。その時思ったんだ。これは煙になるまえの故人が聞いていた音楽をキャッチしてしまったんじゃないかって。その日をさかいにおじさんの耳がすこしずつ形を変えていったんだよ、ほら」

そういうと、おじさんは銀色のゆれる髪をそっと耳に掛けた。

こわいものみたさにその耳の形が現れるのを待った。
それはまるで貝殻だった。シャコガイみたいなひだをもった耳たぶ。

耳を指差す。

「貝の耳だろ?少しずつ貝殻みたいに輪郭が出来上がっていって。でも目立ちたくなくてさ、こんな髪形にしたんだよ。耳を隠すって意外に難しいもんだろ」

余計に目立ってるよって思いながらも、失礼なぐらいじっと黙っておじさんの耳をみていた。

「触ってごらんよ」

おじさんの耳に恐る恐る触れた。白玉団子みたいな柔らかさだった。

「故人の聞いていた曲を聴くのはもういいかなって。でね、君に同意してもらわなきゃ。あの煙突の煙が元気なうちに」

同意って?

左銀髪の視線の動く方へとぼくも視線を伸ばす。まだまだ煙は、続きがある
かのようにたなびいていた。

彼は自分の髪の中に右手を潜らせていた。

「故人の聞いていた曲はきっと、故人に関係ある人が聞くべきだと思うんだ。だからもらってくれないかな?」

左銀髪が髪の中からそっと差し出したのは、貝の耳だった。

息をのんだ。

「君が聴くことのほうがずっと意味があるはずだから。もう歳も歳だから引退したいんだ。故人の縁の深い人にこの事情をうちあけようって思ったら、洗面所でね、ふいに耳がはずれたんだよ」

ぼくは1月の寒い昼下がり、おじさんからその貝の耳をそっと手渡された。

掌には冷たくて柔らかい生き物のようなものが、置かれていた。斎場の離れの林の中に歩を進めた。ここからならあの煙突の煙がまだ見えている。

左銀髪から手渡された貝の耳をそっと、ぼくも左の耳にあてはめてみる。

それは亡くなる前にもCDに合わせて歌っていた「ゴンドラの唄」だった。

貝の耳の中で、命ぃみじぃかしと歌い手の声に混じって、可乃子さんの声も重なって聞こえてきた。

斎場の煙突が心なしか煙が細くなっているような気がした。

いつまでも歌声が消えてしまわないように、ぼくは貝の耳をぎゅっと左の耳に押し付けた。

耳のあたりに手を触れた。
いつしか貝の耳は、生まれたときからずっとそうだったように、左の耳から離れなくなっていたことにぼくはまだ気づいていなかった。

(2000字)


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