一般社団法人 仏事普及協会

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一般社団法人 仏事普及協会へようこそ。ここは「私のための法事」を提供する一般社団法人仏事普及協会のページです。僧侶や仏事支援員の忘れられない仏事をご紹介します。HPが新しくなりました https://butsuji.jp/

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最近の記事

力不足ゆえに1人の少年の命を無駄にしてしまったかもしれない

私の長い僧侶経験の中で、1番印象に残っているのは、小学生のサッカー少年のご葬儀でした。 その子はまだまだ可愛らしく、スポーツ万能でした。 そのため、友人も多くいたそうです。 いつものようにサッカーの練習をしていた少年は、突然倒れたのです。 今まで大きな病気もしたことなく、健康優良児であった少年がです。 急いで救急車で病院に運ばれました。 しかし、だんだんと衰弱していき、話ができなくなって3日後に息を引き取ったのです。 その少年のご葬儀で私はお勤めをさせていただきました。

    • 僧侶として目指す仏事とは

      私が僧侶になって間もない頃、先輩の僧侶に同行して葬儀にいった時の話です。 その葬儀は、若くしてお子様を亡くしたご家族でした。 当時、私が同行していた法事・葬儀の中でも特に家族の悲しみが深く、いつも以上に緊張感を持って式場に向かいました。 1日目の通夜が終わり、式場で手を合わせて帰ろうとした時に、参列していた20歳くらいの男の子が私の元へ来て話しかけました。 男の子は故人様の親戚で、いまは大阪で働いていると言いました。そして、 「この世は腐っていると思うんですけど、そう

      • 親と子の関係と阿弥陀仏と私たち

        私の今月の心に残った仏事は葬儀会場でとても大きな写真が真ん中に飾られていたことです。居酒屋の中でご家族でそろって写っておりました。 ご葬家の方によりますと、幼いころに父と一緒にその店で食べていたとのこと。 しかし、その後三十年間その店に通うことはありませんでした。そして、あるとき旅行に行ったときにまたその居酒屋に入りました。 今度はお酒が飲める歳になって。 その時にとても喜んでくれたとおっしゃっていました。 思い出したのは私の父親の事です。あまり口には出さず、私のこ

        • 経験した心に残る葬儀 ~生後七日で死亡した赤ちゃんの葬儀~

          私は今まで執行しました葬儀の中で、特に忘れられない葬儀となりましたのは、17年程昔に出遇った赤ちゃんの葬儀でしたね。 赤ちゃんは男の子で、心臓病のために生後一週間で亡くなりました。 そしてご家族のご依頼で、通夜と葬儀をご自宅で行うことになりました。 お宅に到着しますと祭壇のあるお部屋に案内されました。私は祭壇の前で赤ちゃんを抱いているお母さんと、幼稚園の園児ぐらいのお兄ちゃんらしき幼児が、母親の隣に座って、三人で亡くなった赤ちゃんの写真を見ながらご遺体を見守っているよう

        力不足ゆえに1人の少年の命を無駄にしてしまったかもしれない

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        • 僧侶が忘れられない仏事
          20本
        • 仏事支援員が心に残る法事
          16本
        • 『テンプルステイ』ができるまで
          0本
        • 仏事普及協会ができるまで
          1本
        • 仏事普及協会の徒然日記
          0本
        • 仏事支援員ができるまで
          0本

        記事

          報恩の仏事

          もう10年以上も前のことです。 まだ若手の僧侶であった私は、あるお葬儀を勤めることになりました。 事前にどういったお葬儀なのかということは、葬儀社さんからいただくFAXで知ることができます。 今回のお勤めはまだ若い女性のお葬儀でした。 年齢は私の一つ上で、たしか30歳か31歳かそのぐらいだったと記憶しています。 病気で亡くなったようでした。 お通夜当日、喪主であるご主人とご親族と挨拶をいたします。控えの部屋に入ってこられたご主人、傍らにはご主人の親に抱かれた生まれた

          母が教えてくれたこと

          仏事普及協会のご法事では、故人さまを仏さまと拝むなかであらためて出遇い直すことを大切にしています。 仏事普及協会では、ご法事とは故人さまのために私たちがしてあげるものではなく、私たちが故人さまからのプレゼントを受け取る機会だと考えています。「私のための法事」では私たちは故人さまのことを想い出すために、仏事支援員がご法事の参加者から故人さまのことをお聞きするところから始まります。 最近、私が参加したあるご法事のことです。70代の施主さまのお母さまの三十三回忌のご法事でした。

          母が教えてくれたこと

          経験した心に残る仏事 ~オンラインでお参りされた両親の仏事~

          現在コロナ禍で日本に帰国されるのも大変ですね。帰国後は14日間も待機滞在がありますから。 たとえば大切な人が事故や病気で入院されたとか、危篤になったとか、亡くなられたとかという時は、帰国後直ぐに会うことができないのが現状です。このようにあたりまえのように自由にできていたことが出来なくなる。こんな辛く悲しいことは早く終わってほしいものです。 さて、そんなコロナ禍にあって、今年になって2か月の間にご両親が続いて亡くなられた方がおりました。 喪主様になるご長男様は、お仕事でタ

          経験した心に残る仏事 ~オンラインでお参りされた両親の仏事~

          まったく不可思議な葬儀

          ある日の葬儀での出来事です。 葬儀では読経が終了した後、故人様のお姿を偲びながら、棺の中に花を手向ける時間が設けられています。 この日の葬儀でも通常通り、お花入れが粛々と行われていました。 棺の中の年老いた母親は、色とりどりの綺麗なお花で飾られていきます。 その傍らに、息子である初老の紳士が静かにその様子を眺めながら、時々、母親の顔にそっと手を触れていました。母親の兄弟とその家族、近所の人と思われる方々が、準備された花をすべて棺におさめていきます。 ここまでは、よくあるい

          まったく不可思議な葬儀

          母と出遇う

          私の母は、元気だ。 だから、いつもは母のことをそんなに考えていないし、思い出しもしない。 でも、先日担当した法要の時に、母のことを思い出した。 施主様のお母様の十三回忌法要だった。 施主様は法要の中で、急に思い出したそうだ。 子供のころ、学校に持っていく給食のナプキンにお母様が英語で曜日の刺繍を入れてくれ、そのナプキンを持っていくのがうれしかったこと。そのシーンとその時の気持ちが突然、立ち上がった。  法要にはそんな力がある。  僧侶の読経と、凛とした本堂のたたずまい。

          諸行無常 ―選ぶことができない死と向き合う―

          「冬」と聞いて何を思い浮かべますか?  私は寒さが苦手なので、よく温泉に入りに行きます。体がポカポカして気持ちよく、冬が来た時の一番の楽しみです。ただ、入りすぎるとのぼせてしまうこともありますし、寒暖差によるヒートショックも起こりえます。入浴は日常生活の一つですが、命に関わる事柄でもあるのです。  ご葬儀に出仕する際は、故人の最期がどのようであったか事前に教えていただくのですが、毎年必ずお風呂で亡くなったという話を聞きます。その中の一家族のことですが、長男さんがお風呂で倒

          諸行無常 ―選ぶことができない死と向き合う―

          お内仏に手を合わせる生活

           浄土真宗は、お仏壇を「お内仏」と呼びます。お内仏はご自宅でご本尊を安置し、私たちが日常の中で手を合わせる大切な場所です。  2年ほど前のことですが、お寺と大変ご縁の深い方のご自宅に伺ってご法事を勤めさせていただきました。この方は、もともと浄土真宗の信仰が盛んな愛知県のご出身で伝統を重んじるご家族さんです。玄関でご挨拶をして、仏間へと案内されると大きなお内仏が荘厳されており、私は圧倒されたのを今でもよく覚えています。 毎朝、ご飯を炊いてお供えをし、仏様に手を合わせることを

          お内仏に手を合わせる生活

          人生の終わり方に「負け」など無い

          こんにちは。 僧侶の目﨑です。 日頃「南無阿弥陀仏」「なんまんだぶ」とお念仏申させて頂いております。 それは、お衣を着ている時も、そうでない時もおなじです。 今回は、私が本堂にてご葬儀を担当させて頂いた時の喪主様のお話をさせて頂きます。 その方は、40代でまだ仕事盛りで、ご葬儀はその方の奥様でした。 奥様も40代でありました。お二人には中学生と小学生のお子さんたちがおります。 葬儀前にお話を聞かせて頂きましたところ、奥様に病が見つかった時に、喪主様は落胆してしまったそう

          人生の終わり方に「負け」など無い

          一休禅師の言葉がしみじみ感じた葬儀

          昔室町時代に頓智(とんち)で有名な一休禅師がいました。この一休さんの沢山ある逸話の一つに次のような逸話があります。 ある所に豪商のご主人がいました。そのご主人がある時一休さんに「正月の床の間に飾る掛け軸にめでたい言葉を書いてください」。と頼んだそうです。 すると一休さんは、「親死に、子死に、孫が死ぬ」と書かれたそうですね。 するとご主人は、正月のめでたい日に死ぬなど縁起でもないと怒ったそうです。すると一休さんは、「順番に死んでいくことほど幸せなことはないではないか」。と

          一休禅師の言葉がしみじみ感じた葬儀

          仏教のちから

          先日11歳で自死された女の子の7回忌をつとめた。 月参りには頻繁に訪れるご夫婦だがしっかりお話をしたことがなかった。 仏事支援に入るまでは、どのように話を聞いて、出遇い直しをしていただくかを考えていたが、私の思い計らいではなく、故人を忘れないための法事なのだ、故人のことを話したいに違いないと信じてお話を聞かせていただいた。 娘さんが死を選んだことについて、親としてできることがあったのではないかと今でも悔恨の思いがあり、それはきっと彼らが命終わる時まで持ち続ける思いなのだろ

          視点を変えると

          法事を「やりたい」ではなく「やらねば」ととらえているご葬家の仏事支援は難しく思う。 ご自身の持つ価値観に左右され、自分が今行っていることに疑問を持ってしまうと、そればかりにとらわれて純粋に向き合うことができなくなると感じたことがある。法事の場には日常とは別の空気感がある。それの空気感をいかに保てるかは仏事支援相談員や僧侶など、関わる職員すべてが作り上げていかなくてはならない。 事故、自死の方の仏事支援。私自身がその死のありさまを「特殊なもの」と見てしまって、構えてしまう。

          仏事支援員のお仕事

          私の忘れられない法要は、私が初めてお墓のご案内をして、葬儀の付添いをし、49日の法要で仏事支援をしたご家族です。 この49日のご法要で私は初めて「こころの写真」をしました。とても緊張して自分のことで精いっぱいになってしまって、始まってすぐの記憶が無いほどでした。 心の写真が始まって、少し落ち着いてお話が聞けるようになると、葬儀の際には亡くなったお母さまへ向けて「ごめんなさい」と話していた施主様が、子供のころ登校拒否になった際のお母さまとの想い出を話してくださり、最後には「