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まったく不可思議な葬儀

ある日の葬儀での出来事です。


葬儀では読経が終了した後、故人様のお姿を偲びながら、棺の中に花を手向ける時間が設けられています。
この日の葬儀でも通常通り、お花入れが粛々と行われていました。

棺の中の年老いた母親は、色とりどりの綺麗なお花で飾られていきます。
その傍らに、息子である初老の紳士が静かにその様子を眺めながら、時々、母親の顔にそっと手を触れていました。母親の兄弟とその家族、近所の人と思われる方々が、準備された花をすべて棺におさめていきます。
ここまでは、よくあるいつもの光景。

しかし、この日ばかりは何かいつもとは違う、異様な空気が感じられてなりません。何か殺伐とした冷たさがずっと式場に漂っていました。

それでも、滞りなくスケジュールだけは進行していくのです。

お花入れがすべて整い、参詣者が棺を囲み、他人行儀な沈黙のまま、わずかな時間が過ぎ、棺の蓋を閉める段取りに入ろうとした、その時、ずっと黙っていた息子さんがいきなり沈黙を破りました。


「すみません。一言だけいいですか」

まわりは何も言わないので、そのまま続けました。

「おふくろは皆様にご迷惑をおかけしました。本当に色々ありました。最後に一つだけ私からお願いがあります。今日のこの葬儀に免じて、おふくろのことは、すべて水に流してください!おねがいします!」

しばらく沈黙が続きました。それから、母親の兄らしき男性が、「おー、流す!流す、流す、全部、水に流す。」棺を囲んだ叔父、伯母、近所の方々も続いて、「流すよ、水に流す」と、口々に言われました。


その瞬間、今まで感じていた違和感はすべて拭い去られ、いつもより以上に厳粛な中にも和やかな葬儀の雰囲気なっていました。
それから、棺の蓋は参詣者全員の手で閉じられ、柩車まで運び、火葬場に向けて出棺されました。

あのご家族に過去、何があったのかはわかりません。
おそらく相当な「しがらみ」にがんじがらめになっていたのでしょう。「しがらみ」とは水の流れをせきとめるための柵を表します。私は、あの場において、その柵が壊され、再び水が流れ出す音が聞こえました。

仏法の「法」は、水が去ると書きます。仏さまの世界である浄土の「浄」は争いが水で流されると読めます。
あの時の「全部、水に流す」の言葉に誰しも素直に納得されたのは、まさに葬儀が、仏さまの法と浄土の願いがはたらく場であることを、参詣者のお一人お一人のお姿に証明されたのだと思います。

これは、私の思議の及ばない、まったく不可思議で大変貴重な葬儀体験のひとつとなっています。

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