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諸行無常 ―選ぶことができない死と向き合う―

「冬」と聞いて何を思い浮かべますか?


 私は寒さが苦手なので、よく温泉に入りに行きます。体がポカポカして気持ちよく、冬が来た時の一番の楽しみです。ただ、入りすぎるとのぼせてしまうこともありますし、寒暖差によるヒートショックも起こりえます。入浴は日常生活の一つですが、命に関わる事柄でもあるのです。

 ご葬儀に出仕する際は、故人の最期がどのようであったか事前に教えていただくのですが、毎年必ずお風呂で亡くなったという話を聞きます。その中の一家族のことですが、長男さんがお風呂で倒れているお父様を見つけられ、救急車を呼ぶも助けることができなかったということでした。あまりにも突然のことでご遺族の方々は茫然とされ、まったく実感がわかないとおっしゃっていました。 

 お釈迦様は、この世の道理として諸行無常と説かれています。「常なるものは無い」のです。人の命も必ず寿命があり死を迎えます。この「死」は、人が望む通りに選ぶことができません。年齢や病気の有無に関わらず、どなたにも死は訪れうるのです。


 本願寺第8代である蓮如上人の『疫癘の御文』には、死ぬことは「生まれはじめしよりしてさだまれる定業」とあり、そして「いよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり」と人の生きる道筋を説かれました。死によって暗く終わる人生ではなく、阿弥陀仏が極楽浄土へと救ってくださる有難い人生を全員が送っていると言えます。

この度お会いしたご家族の方の例で言えば、入浴中に前触れなく亡くなった点だけを見るととても悲
しく辛い気持ちに悩まされますが、私たちに生きること・死ぬことの人の身の事実を教えてくださった尊い仏様と今なられたのだと受け止めることで、感謝の念も同時に湧いてきます。

ご葬儀から間もなく一年。ご遺族が今を大切にしてかけがえのない一日一日を歩まれていることを願うばかりです。
 私自身、「生」と「死」というこの身の事実と向かい合って歩んで参りたいです。

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