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視点を変えると

法事を「やりたい」ではなく「やらねば」ととらえているご葬家の仏事支援は難しく思う。

ご自身の持つ価値観に左右され、自分が今行っていることに疑問を持ってしまうと、そればかりにとらわれて純粋に向き合うことができなくなると感じたことがある。法事の場には日常とは別の空気感がある。それの空気感をいかに保てるかは仏事支援相談員や僧侶など、関わる職員すべてが作り上げていかなくてはならない。

事故、自死の方の仏事支援。私自身がその死のありさまを「特殊なもの」と見てしまって、構えてしまう。「故人のことを聞くと、つらいのではないか」と勝手に判断していた。それよりも多分、ご葬家の痛みを感じることが怖かったのだと思う。

事故で息子さんを亡くされた方にお電話で法事のお誘いをしたとき、「主人がまだ息子の死に向き合えず受け入れることが出来ない状態。いつか向き合える日が来るまでは法事という形では行うことはできない。」と言われ、どう伝えるべきなのか悩んだ。

僧侶に相談すると「法事はその方をもう二度と死なせないために行うものだ」と教えていただいた。向き合える日が来てから行うのではなく、向き合える日を迎えるために、行うのが法事であり、その方をもう一度死者にしないために、生きている限り出遇い直していくのが法事であると受け取った。

それを教えていただいて、私の視点が間違っていたことを知り、誰かに伝えていくには、自分はまだまだ聞法が足りていないと感じた出来事だった。

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