一般社団法人 仏事普及協会
私が僧侶になって間もない頃、先輩の僧侶に同行して葬儀にいった時の話です。 その葬儀は、若くしてお子様を亡くしたご家族でした。 当時、私が同行していた法事・葬儀の中でも特に家族の悲しみが深く、いつも以上に緊張感を持って式場に向かいました。 1日目の通夜が終わり、式場で手を合わせて帰ろうとした時に、参列していた20歳くらいの男の子が私の元へ来て話しかけました。 男の子は故人様の親戚で、いまは大阪で働いていると言いました。そして、 「この世は腐っていると思うんですけど、そう
私は今まで執行しました葬儀の中で、特に忘れられない葬儀となりましたのは、17年程昔に出遇った赤ちゃんの葬儀でしたね。 赤ちゃんは男の子で、心臓病のために生後一週間で亡くなりました。 そしてご家族のご依頼で、通夜と葬儀をご自宅で行うことになりました。 お宅に到着しますと祭壇のあるお部屋に案内されました。私は祭壇の前で赤ちゃんを抱いているお母さんと、幼稚園の園児ぐらいのお兄ちゃんらしき幼児が、母親の隣に座って、三人で亡くなった赤ちゃんの写真を見ながらご遺体を見守っているよう
私の今月の心に残った仏事は葬儀会場でとても大きな写真が真ん中に飾られていたことです。居酒屋の中でご家族でそろって写っておりました。 ご葬家の方によりますと、幼いころに父と一緒にその店で食べていたとのこと。 しかし、その後三十年間その店に通うことはありませんでした。そして、あるとき旅行に行ったときにまたその居酒屋に入りました。 今度はお酒が飲める歳になって。 その時にとても喜んでくれたとおっしゃっていました。 思い出したのは私の父親の事です。あまり口には出さず、私のこ
現在コロナ禍で日本に帰国されるのも大変ですね。帰国後は14日間も待機滞在がありますから。 たとえば大切な人が事故や病気で入院されたとか、危篤になったとか、亡くなられたとかという時は、帰国後直ぐに会うことができないのが現状です。このようにあたりまえのように自由にできていたことが出来なくなる。こんな辛く悲しいことは早く終わってほしいものです。 さて、そんなコロナ禍にあって、今年になって2か月の間にご両親が続いて亡くなられた方がおりました。 喪主様になるご長男様は、お仕事でタ
先日11歳で自死された女の子の7回忌をつとめた。 月参りには頻繁に訪れるご夫婦だがしっかりお話をしたことがなかった。 仏事支援に入るまでは、どのように話を聞いて、出遇い直しをしていただくかを考えていたが、私の思い計らいではなく、故人を忘れないための法事なのだ、故人のことを話したいに違いないと信じてお話を聞かせていただいた。 娘さんが死を選んだことについて、親としてできることがあったのではないかと今でも悔恨の思いがあり、それはきっと彼らが命終わる時まで持ち続ける思いなのだろ
私の母は、元気だ。 だから、いつもは母のことをそんなに考えていないし、思い出しもしない。 でも、先日担当した法要の時に、母のことを思い出した。 施主様のお母様の十三回忌法要だった。 施主様は法要の中で、急に思い出したそうだ。 子供のころ、学校に持っていく給食のナプキンにお母様が英語で曜日の刺繍を入れてくれ、そのナプキンを持っていくのがうれしかったこと。そのシーンとその時の気持ちが突然、立ち上がった。 法要にはそんな力がある。 僧侶の読経と、凛とした本堂のたたずまい。
法事を「やりたい」ではなく「やらねば」ととらえているご葬家の仏事支援は難しく思う。 ご自身の持つ価値観に左右され、自分が今行っていることに疑問を持ってしまうと、そればかりにとらわれて純粋に向き合うことができなくなると感じたことがある。法事の場には日常とは別の空気感がある。それの空気感をいかに保てるかは仏事支援相談員や僧侶など、関わる職員すべてが作り上げていかなくてはならない。 事故、自死の方の仏事支援。私自身がその死のありさまを「特殊なもの」と見てしまって、構えてしまう。
一番心に残る、後悔した失敗は、今まだ悩み中であり解決できていません。技術面の改善は努力すれば報われます。しかし、気持ちの面で越えなければならない問題に直面してしまうと、どん底まで落ち込んでしまうのです。 つい最近、3回忌法要の仏事支援をしたご家族の方とお話をする機会がありました。 「法要で故人様の話をするのが辛かった。家族みんな違和感を感じている。辛いのだからそっとしておいてほしい。」と正直な気持ちをお話してくださいました。 悲しい気持ちで法要を終え帰宅するのは、どん
皆さんこんにちは。そして、はじめまして。 仏事普及協会です。 突然ですが、皆さんは「法要」と聞いたとき、どんなイメージがありますか? 「故人様のために手を合わせる場」 「親戚が久々に集まる」 「やらなくてはいけないもの」 「お経の時間に足がしびれる」 他にも様々なイメージがあると思いますが、ざっくり言えば「お坊さんが故人様のためにお経を読む時間」と思っている方も多いのではないのでしょうか。でも本来の法要はこのような一方通行な時間ではないのです。 法要の目的は、「亡き人と